悪目立ちの新入生
約束の朝8時よりちょうど15分前に馬車はアクロピアの王宮前でぴたりと停止した。ユメは深呼吸をし、心の中で自分に「大丈夫」と言い聞かせると、馬車を降りた。ひんやりとした朝の空気。まだ早いせいだろうか。以前訪れた時よりも人通りは少なく、それでいて何かが始まろうとしているような蠢く緊張感が漂っている。
ユメは一度王宮を睨みつけるように見据えると、迷うことなく正門の方へ(いつも通り衛兵が二人、きりっとした姿勢でたっている。その視線が泳ぐことはない。)歩き出した。正門のところでマルスの代わりに学院へ誘導してくれるものと、ここで落ち合うことになっている。
「ディアナ・クレセント様ですね?」
衛兵の前に立ったところで、ようやく衛兵の視線はまともにユメに向けられた。ユメが無言で頷くと、衛兵の一人は人一人が通れるほどだけ門をガラっと開けた。
「――様が、既にお待ちです」
その者の名前を聞きユメが混乱するのと、その厄介ごとの塊が姿を現すのはほぼ同時だった。ユメはその顔を見て絶句するが、彼はいつもの余裕の笑みを浮かべていた。予想もしないところで突然登場されては、抗いようがなく面食らってしまう。
「どうしてラクスが…・・・?」
「ゲントゥムから聞いてなかったのか? 大切なパートナーの一大事のためにわざわざ駆けつけたんだが、その顔からすると全く歓迎してない様子だな」
当然じゃない。ユメは内心で悪態をつく。こんなにも緊張する入学初日に、失敗が絶対許されない今後の学院生活での運命を分けるこの大事な日に、厄介ごとの塊に来られては困る。しかも第二王子が新入生を誘導なんてどう考えても注目の的ではないのか。いや、それとも王宮内にある学院とあって、生徒達は王族などすっかり見慣れていると?
予想だにしなかった緊急事態に狼狽するユメをかまうことなくラクスは涼しい顔で、もうすぐレニタスがここに迎えにくる、とユメに告げる。
今朝から感じていた小石で突かれているような頭痛が、今この場についてから気のせいではなくはっきりと、大きい石でガンガン殴られているように感じられる。ふと、横をみると衛兵達はもとの姿勢、もとの視線に戻り、ユメやラクスなどがもう全く目に入らないかのように振舞っている。
「レニタスが迎えに来るって、どういうこと? どうして私達だけで今学院に向かうことができないの?」
「君がどうしても歩きたいと言うのなら、僕もかまわない。まぁ、30分以上は歩かないといけないな」
ラクスとひたすら30分、やきもきしながら歩くことを想像し、ユメはそのまま閉口した。今は一刻も早くラクスから離れたい。思えばいつも災いはこの目の前に立っている少年からやってきた・・・・・・。
「レニタスの王宮内馬車はそんなに待たずとも、すぐここへ来るはずだ」
「王宮内馬車?」
「王宮内が広いからね。移動のために外と同じように馬車を使っているんだ
「それなら、どうして普段は馬車のままこの王宮内に入ることを禁じているの? 王宮内でも馬車を使うなら別に――」
「セキュリティのためさ」
ラクスがレニタスの姿がないかとちらっと後を振り返りながら、事も無げに答える。
「王宮内で使ってる馬車はちょっとだけ一般に使用されているものとは違うんだ。まず屋根と囲いが無い。誰が乗っているのか一目瞭然にするためだ。また乗車の際、行き先を告げないといけない。行き先によって馬車の色が変わる。同じ目的地に向かう他の者が、容易に相乗りできるようにだ。例えば学院行きだと、ああいうオレンジ色だ」
ラクスは振り返らなかったが、自分の肩越しに親指でくいっと後を示した。そこにはまさに今説明にあった屋根・囲いなしのオレンジ色の馬車(もはやほとんど荷車と違わないが、座り心地のよさそうな椅子がとってつけてある)があり、こっちに向かってきている。にこやかな微笑を浮かべ馬車に乗っているのは、言うまでもなくレニタスだ。
「馬車に乗る前に少し忠告しておこう。さっきも言ったように王宮内で使用が許されているのは、王宮内用の馬車のみ。くれぐれも自家用馬車で中に入ってこないように。もしそのまま入ってきたら、次の瞬間には馬車は消える」
ユメが眉を顰めると、ラクスは付け足した。
「中が見えない馬車は問答無用に、衛兵達の集中攻撃対象だ」
「ユメさん、ご機嫌いかがですか?」
ユメは少し緊張をほぐし、レニタスに向かって微笑んだ。いろいろと変わってしまったあとでも、どこかにこやかな笑み、落ち着いた声は何の変化も無い。
すーっと何かにひかれるように進む馬なし馬車、いや荷車。本城の横にあるレンガの道を快適な速度で行く。ときたますれ違う、違う色の馬車、青、赤、紫。ラクスとユメはレニタスの座る椅子の向かい側に備え付けられた椅子に座った。
「前々から思っていましたが、やはりディアナ様はすごいですね」
レニタスのいきなりの切り出しに、当然ユメは目を丸くする。
「すごい?」
はい、とレニタスが頷く。
「目まぐるしく変わる環境の変化に、抵抗なく受け入れていらっしゃる。さすがはゲントゥム様の孫娘様といったところでしょうか」
環境の変化。
受け入れる。
違う、とユメは口にこそ出しはしなかったが、心の中で否定した。
違う。受け入れられたのではない。ただ途方に暮れて受け流しただけだ。受け流して、目をつぶってるだけなのだ。力が無い自分にできる精一杯の抵抗なのだから。
本城の建っている小高い丘をくだると、そこは広い広い庭園が広がっていた。等間隔にたっている像やオブジェ。ラビリンスに、大理石でできた噴水。広大な庭園を輪郭どる森林たち。
「あれが、王立学院だ! 王立研究所と一続きになっている」
ラクスが指差したのは、本城に対峙するように庭園を挟んで聳え立つ・・・・・・これまた大きな城。本城よりも高く盛り上がった丘の上に立てられているためか、どこか神々しさを感じる。
「高く聳え立つように立てられているのは、学問の美徳がこの国にとって最も重宝されるべき権威であることを示すためです」
学院を見上げながら説明をするレニタスの顔はどこか誇らしげだった。
「誰もがそう簡単に入学できる学院ではない。君は極めてラッキーだよ、ユメ」
ラクスが隣でつぶやくように言ったが、学院の堂々たる存在感にある種の畏怖を感じたユメは緊張で高鳴る胸をどうにか宥めようとするのに精一杯で耳には入らなかった。