回りだした歯車 2
――殺せ。あいつらを全員、殺るんだ!
ユメは魘されていた。男の声が依然として頭の中に居座り、ユメに命令し続ける。
――あいつらがもがき苦しむ姿を見らねばならん
嫌だ嫌だ嫌だ。響き続ける声に、金縛りにあって動かない体。それでも抵抗し続ける。何も見えない闇の中で底なし沼で溺れているかのようにユメはもがき続けた。首を絞められているかのように、苦しい。ぴくりとも動かせない体の中で、混濁とした意識が必死に抵抗をし続ける。
もがき続けて、どれほどの時間がたっただろうか。逆らう力を少しずつ弱めながら、ユメは疲労、そして絶望を覚えた。一方で意識の一部が果敢に甲高い声をあげる。
――あきらめてはダメよ! 闇の声に乗っ取られてはダメ! なんとしても追い払うのよ!
未だ激しく抵抗を見せるその少女の声はやがて大人の女性の声に変わっていく。紫の洞窟で聞いた声、セレーネのものだ。
闇の中で、セレーネがユメに呼びかけた。
――ディアナ。目を開けなさい
目が覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。この手のパターンは精霊界に来て慣れっこになっていたユメは特に取り乱すこともなく、ゆっくりと上体を起こした。無意識に手で前髪を撫で付けると同時に、そう時間はかからず気を失う前のことを思い出す。
左腕にはめられた金の腕輪を見て、ふっと出たため息に安堵が混じる。今は自分の体が完全に自分のものであることをしかと感じながら辺りを見回すと、予想通りダルフィムが視界に入る。彼女はベッドの真正面の壁にとってつけてある暖炉上の花瓶に生けられた花を手入れしていたが、こちらに背をむけているせいでユメが目を覚ましたことに気づいていない。
驚かさないように、ユメはそっと名前を呼んだ。一瞬ピクリと肩が動き、ダルフィムがこちらを振り返る。温かい微笑み。ユメはダルフィムのこの表情が好きだ。とても安心できる。
「お嬢様、目をお覚ましになられたのですね」
ユメがコクンと頷くと、ダルフィムが何か飲みたいものはあるかと聞いたので、紅茶を頼む。
「王宮の方に頼んできますね」
そう言葉を残してダルフィムが背中をユメに向けたのと同時に、ドアをノックする音が聞こえた。
「あら、きっとゲントゥム様ですわ。会議が終わったのでしょう」
ダルフィムが急いで走り寄ってドアを開けると、予想は的中してゲントゥムが無言で部屋に入り込んできた。珍しくはないがどこか不機嫌な顔をしているとユメが思いきや、続いて入ってきた人物にユメは目を見開いた。
ラクス。全く感情が読み取れないエメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐにユメを見つめる。
「お前に話があるそうだ。大方内容は見当がつくがな」
何も言葉を発せずにいるユメに対し、ゲントゥムは唸るように言う。
「というと――」
視線をゲントゥムに移動させながら、ラクスは口を開いた。
「ゲントゥムさんはこれからの僕の提案に賛成してくれるのでしょうか。実践での訓練ほど鍛えられるものはない。ユ、ディアナさんにとっても絶好の機会だと思うのですが?」
ゲントゥムはユメに顔を向けたまましかめっ面をしていたが、観念でもしたかのようにため息をついた。
「ディアナが同意したら仕方ないですな。しかし、こちらにもやるべきことはある。同意が得られたとしても、それに差し障りがない程度にまでというのが条件になりますが、承諾してもらえますかな?」
もちろんです、とラクスがにこやかに答えた。ラクスとゲントゥムのやり取りをユメは交互にそれぞれの顔を見ながら、ほとんど内容を理解することなく見守っていたが、ラクスが再びユメの方に視線を戻したので、その刹那背筋をぴんと正した。
ラクスが何か言葉をユメに対して発する前に、私は退室させて頂くと断りゲントゥムがその場を後にし、私はお茶を用意してきますとそれまですっかり存在感を後ろで消して控えていたダルフィムがそのゲントゥムに続いた後、沈黙の中ラクスとユメは取り残された。
しばらく続いた無音の時は意外に気まずい風でもなく、ユメはやや緊張しているものの落ち着いてラクスを見つめ、ラクスも普段と変わりのない表情でユメを見返す。少なくとも彼は怒っていない。
「もう起きていても大丈夫なのか?」
ラクスは至って穏やかに問う。と同時に、近くにあったサイドテーブルの前にある椅子を掴み、ベッドの際に移動させそこに腰をかけた。腰をかけ再びユメに視線を戻すのを待って、伝わるようにユメは無言でラクスに頷いてみせる。
「一瞬にあれだけのエナジーを使用したんだ。無理もない。素直に無事でよかったと思うよ。今回も、そして前回の聖地でも。ただ目が覚めた時点で、君が僕に連絡をくれなかったのが残念なところだが・・・・・・。まぁ、僕もあれだけひどいことをやったんだ。それを考えれば当然か」
無言のユメにかまうことなく、思わずこちらが気詰まりを感じてしまうことも、ラクスは単調に淡々と話し続ける。真意が読めない自嘲。ユメに射抜くような視線を向けながらも、どこか遠くを見ていような青い瞳。変わらない。あの洋館でラクスに出会ったころ、ユメは直視するのも恥ずかしくいつも心持ち視線を斜め下に泳がせていた――。
「厚かましいことは重々承知だ。だが、どうしても引き受けてほしい頼みごとがある。君はまだ知らないと思うが――」
そして、初めて聞かされる王位継承者選考開催の話。ラクス、そして異母兄のウーヌムにっよる王位争奪。ここ数代は用いられていなかったが伝統的な選考方法に忠実に則ったもの。より実力、資質のあるもののみが勝ち取れる王座。その選考に挑むは二人の王子と、二人それぞれの仲間。
王位継承の話とラクスがユメに頼もうとしていることにはどんな関係があるのだろう。話の核心が見えずユメがその疑問を持った矢先に、ラクスはさらりとその答えを出した。あっさりと、いとも何でもない事のように。
「ユメ、力を貸してくれ。僕の仲間として一緒にこの王位継承争いに参加して欲しい」