史上最悪の国王誕生祭 3
ポチ。マルスはそう小竜に名付けたらしい。何かを術で創り出すのはかなりのエナジーと時間を消費する。ゆえに、先程の術は創生ではなく、この世界の森かどこかで遊んでいたポチをワープさせただけらしい。実際ポチとマルスは長い付き合いとのこと。
この赤い鱗で覆われた皮膚に今は小さくたたんである翼。火を吐いて威嚇するところからすると、可愛い犬につけそうなポチという名前は、一見似つかわしくないが、マルスの膝の上で撫でられながら気持ちよさそうに寝ているのをみると、まんざらでもない気がしてくる。
施設に住んでいたため以前は飼うことができなかったユメだが、長らくペットというものに憧れてきたので、自分もポチのような生き物を飼うことができないかと聞くと、マルスは近いうちにご用意しましょう、快く引き受けてくれた。
そうしているうちに、馬車の進むスピードが緩くなると同時に馬車の外から多くの話し声が聞こえるようになった。どうやらアクロピアに到着したらしい。外の様子を見ようと、少しだけ赤い布のカーテンを開いて外を覗いたユメは絶句した。
以前に来た時ももちろん王都ということで人通りが多かったが、今回はそれとは比べ物にならない。興奮が入り混じった声々が馬車内まで届く。
様々な格好をした精霊達で王宮前の広場は、隙間が見当たらないほどに埋めつくされている。老若男女、皆王宮の方を向いて、よく中を見ようと背伸びしたり、飛び跳ねたりしている。近くでは小さな子供を父親らしき男性が肩車をしている。
ふと馬車が停止する。人混みに邪魔されて立ち止まったらしい。一段と馬車を囲んでいる者達の声が大きくなる。ユメ達の馬車を月の頭首のものであると勘付いたのか、多くの精霊達がこちらを注目したり、駆け寄ろうとしたりしているのに気づき、ユメは急いでシャっとカーテンを閉めた。急激に心臓の鼓動が走り出す。今から自分はこの国民達の前に出なければいけないのだ。
「時間には十分間に合いますが、予定よりは遅くなってしまいました。もうたくさんの者が集まっていることでしょう。スムーズに城内に入ることができるといいのですが」
マルスの数分前のこの言葉は杞憂に終わった。馬車がファサードの前に来るなり、門の上にとってつけてあった鐘たちがけたたましく鳴った。
「ゲントゥム様の馬車のお通りだ! 即道を開けろ!」
衛兵達の声が外から聞こえる。どうやら馬車を囲んでいた者達は、素早く指示に従ったらしい。一時止まっていた馬車が、ゆっくりとまた動き出す。
鐘の音から、馬車が城内に入っていくのが分かる。心臓が鐘に負けないくらいに煩く鳴る。汗が滲み出る手で、ユメはダルフィムが用意してくれた、可愛い花の刺繍が施されたハンカチを握りしめた。
門をくぐり少しだけ進んだところで、また馬車が停止する。もちろん今回は人混みのせいではない。
ユメがゲントゥムを見ると、ゲントゥムはコクリと頷いた。言われた通りにすればいい、と伝えるかのように。
最初にマルスが馬車から降りる。そして、後に続くゲントゥム。
ユメは立ち上がろうとして、だが足にうまく力が入らず少しよろめいた。ゲントゥムが振り返る。急いで態勢を立て直すと、無意識にネックレスの宝石を手で掴み、ユメは深呼吸した。
もう、逃げられない。
数秒後、頭をシャンとあげ、前を見据えて、マルスの差し出された手に助けられながらユメは馬車を降りた。
* * *
ユメが馬車から降りると同時に好奇の視線といくつもの囁き声が聞こえた。ゲントゥムが連れ立った少女。召使いでなうことを表す豪華な服にアクセサリー。優雅にお団子にまとめられた髪。
さぞかし興味を掻き立てられるに違いない。
気にしない、と自分に言い聞かせ顎をぐっと上げると同時に視線をあげると、真正面には台座があり中央には、金飾りの大きな椅子にでっぷりとした体格で、灰色の髭を生やした国王らしき人が座っている。頭の上には金色に光る、大きな冠。
国王は辺りのざわめきには無関心に目を閉じており、寝ているのか考えに耽っているのかは判断できない。
その隣には場内で一番艶やかな衣装を身につけた女性。
金髪のゆったりした髪に、豊満な胸。中年くらいの年に見えるが、気品があると同時に群青色の瞳はどこかツンとした冷たさを感じさせる。召使いに日傘を持たせて立たせているが、それでも暑いのかせっかくの美しい顔をしかめ、鳥の羽根でできているらしい紫と赤で彩られた扇を仰いでいた。
初めて足を踏み入れる、王宮。台座の後ろに見える巨大な白乳色の城は、中央、レフトウィング、ライトウィングの3つの城から成っている。広場から見るよりも近くで見ると、王宮はずっと大きくまた荘厳だった。建物の装飾は非常に凝っており、多くの人型の彫刻(恐らく精霊)が、まるで彼らに見下ろされているように錯覚させるほど精妙に彫られている。
あまりの立派さに、カメラを取り出して撮影したいような観光客の感覚を、ついユメは覚える。
台座の前には、広場を形作るように城内に入る許可を得た精霊達が円状に囲んでいる。真ん中の開けた場所で、どうやら王への贈り物である「見世物」が行われるらしい。
ふと台座の右隣を見ると、玉座ほど立派な椅子ではないが、同様に威厳を感じさせる椅子が並べてあり、一部は既に顔見知った者が座っていた。七大貴族。ゲントゥムの馬車は彼らの席近くに停車し、ユメも彼らからそう遠くない位置にいたがやはり曲者ばかり。
立ち見の者がユメやゲントゥムに注目しているのに比べ、ユメが先日会議の間に引っ張り出された者だと気づいているのかどうかは定かではないが、それぞれ物思いに耽っていたり別のことをしていたりと他のものと関心を共有していない。
台座一番近くに日の精霊、ソラ。その隣には大きなリボンを頭につけた少女がすまして座っている。兄妹なのだろうか。髪の色や肌の色白さがほとんど同じだ。
その隣には、アルボア。隣には民族衣装の様な格好をした背の低い男が二人。背中には弓を下げている。
その隣には、黒肌のルチア。こちらは奥さんらしき人を連れ立っている。
その隣にはアウルム。相変わらず派手な格好をしている。宝石をはじめとするアクセサリー達が太陽の光に反射して輝いている。
続いてイグニフェル。足をどかっと大きく開いて、待ちくたびれたような顔をしているが、視線は虚空に向けられているためユメには気づいていないようだ。派手な衣装を身につけているわけではないが、黒い袴を隣に座っている少年と共に身につけているため、浮く様に目立っている。
袴の少年の隣には椅子にちょこんと座ったマレ。退屈しているのか、顔の前で虹色のシャボン玉を作って遊んでいる。頭上には一際大きなシャボン玉が浮かんでいるが、その上には巨大なおたまじゃくしらしき生物がだるそうに寝そべっている。
その隣には3席空の椅子。言うまでもなくゲントゥムやユメに用意された椅子だ。参加人数だけは、伝えてあると聞いた。
マレと空いた席を挟むようにして座っている金髪の男は、初めて見る顔だ。群青色の瞳は、王座の隣にいる女性と同じものだ。
そしてその隣にユメは目を向け、瞬間内臓が飛び跳ねるような感覚を覚えた。
ラクス。並んだ席の中で唯一真っ直ぐにユメを凝視している。食い入る様にこちらを見た、いや鋭く睨んだ視線は「どうなっているんだ、説明しろ」、と言っていた。
ユメも暫く見つめ返していたが、射抜くような視線にすぐに耐えられなくなり、目を反らした。
何がどうなっているかって?
それはユメ自身が一番知りたいことだ。
そうしているうちにゲントゥムは台座近くまで歩を進めると、玉座に向かって膝をついた。
慌ててユメも指示されていた通りに倣う。
「陛下、このような晴れやかな日、大変めでたき式典に遅れて申し訳ありません」
膝をついて敬意は表しているものの、ゲントゥムの謁見は簡素なものだった。ゲントゥムの言葉に国王が目を開ける。どうやら、眠っていたわけではないらしい。思慮深げな瞳が、ゲントゥムを見下ろす。
気のせいか。顔を俯かせながらも、ちらりと盗み見た国王はどこか疲れたような顔をしているように、ユメには思えた。
「いや、ゲントゥムよ。面をあげよ。まだ定められた時刻ではない。気にせず、席につくがよい。だが、その前に」
言葉を括る前に、国王が一言付け加える。
「そこのお嬢さんも面を上げてくれぬか」
肌で感じられる人々の視線。ゴクリと唾を飲むと、ユメはゆっくりと、内心緊張と不安で爆発しそうであったが、冷静さをあくまでも装い、膝をついたままの状態で真っ直ぐに国王を見据えた。
もともと人間界で国王などとは無縁に生きてきた身。突然現れた王族に恐れ多いなどといった感情は生まれない。
ゲントゥムも物怖じする必要はないときっぱり言っていた。ただ、厄介ごとには気をつけろ、と。片時も気を許してはいけない。さもなければ、我々は足を掬われる、と。
「見事なまでの封印の術が凝縮された首飾りに腕輪。訳ありのようだな、ゲントゥム。加えて初めて見る顔だが、この場に連れ立ったということはそれなりに重要人物なのだろう。公に出すとは披露目をもともと狙ってのことだろうが、お前の思惑とあって大変興味が惹かれるところだ」
国王の立てという合図に、ゲントゥムが立ち上がる。国王はユメにむかっても頷いたので、背後にいるマルスを少し振り返り、確認の目配せをした後ユメも立ち上がった。ユメのいるところからは、その後ろ姿しか見ることができない。
今や国王の言葉で、一般の観客だけでなく、台座そして貴族陣からもひしひしと視線を感じる。イグニフェルが今更ユメに気づいたらしく、驚いて身を乗り出すのをユメは目の端でとらえた。
「さすが陛下、素晴らしい洞察力ですな」
ゲントゥムが感心したように言う。国王がユメに関心を示すのは予想してたことだったため、恐らく演技も入っているだろうが。
「それでは、謹んでご説明させていただきましょう」
ゲントゥムが話始める。前もって3人で打ち合わせた通りに。月の精霊の一族としてのユメの勝負は既に幕をきっていた。