答えの先は始まり 3
銀色の泉の中で、ユメは口を手で塞ぎ目を閉じてしばらくじっとしていだが、やがてうっすらと目を開いた。不思議だ、水の中にいるのに水に触れていることを感じない。体が水中で浮いているのは感じるが、まるで宇宙にでもいるようなふわふわとした感じだ。
また視界に映った世界は、水の中ではなく柔らかい光につつまれた神秘的な空間だった。中でじっとしているうちに、自然と恐怖心が削がれ安らぎが心を満たす。ゆっくりと口から手を離すと、息もできるのか苦しくないことが分かった。上も下も、もちろん自分の回りも優しい光が溢れているだけで、中からはとてもここが自分の飛び込んだ銀の泉だとは思えない。
もっともレニタスによると精霊の呼吸というのは酸素を吸い込むのではなく、サンギスを活動させることを言うらしいが、ユメの場合、自分がどういう風にこの世界で生きているのか分からない。
泉の中を漂いながら心地よさが少しずつ病み上がりで疲労困憊したユメの体を、癒してくれているような気がした。このまま寝てしまいたいくらいだ。肩が、体全身が今までに感じたことがないくらい、とても軽い。ラクスやゲントゥムの言っていた正体不明の術が、解除されたということだろうか。
オーロラのように揺らぎながら、優しくユメを包み込む光。いっそ、本当に寝てしまおうか。いや、でもラクス達がきっと待っている。
やはり上には水面らしきものが全く見えないが、そこを目指せば出られるだろうか?
「ふふふ、とても気持ちよさそうですね」
突然背後から声がして、ユメは身構えると同時に勢いよく振り返った。もちろん先程まではそこに誰もいなかったが、今ユメの目の前には一人の美女がユメと同じように空間に漂っていた。
黒くて腰まであるストレートの髪がゆらゆらと美しく揺れている。長くて黒い睫毛。銀色の瞳。優しげな表情。言うまでもなく美女だった。恐怖は微塵も感じられず、再びユメはふっと全身の力を抜いた。
「そうです、警戒するには及びません。私が何者であるか分かりますか?」
ユメはじっと彼女の端正な顔を見つめながら考える。銀色の泉、月の聖地。精霊の始祖が残した……。
「勘だけれど……、月の精霊の始祖、セレネーさんですか?」
おずおずと答えたユメに対し、美女は微笑んで頷いた。どうやら勘はあたったらしい。だが精霊の始祖というぐらいだから、昔々に生きていた精霊が何故にこの泉に? ユメが疑問を口にするより早く、セレネーが先に口を開く。
「よく分かりましたね。あの方に似て、聡明なようですね」
「あの方とは……?」
「あなたは」
セレネーはユメの質問には答えず、逆に質問を投げかけた。
「ここに何を求めていらっしゃったのですか?」
何を求めて? そんなの決まってる。ユメがこの世界に来る前から、ずっとずっと求めていたことなのだから。
「私は、私は自分が何者であるかを知るためにここへ」
「そうですね」
分かっていたといった風に、セレネーが再び頷く。
「あなたを守る幾重もの術はここで解除されました。さぞかし、負担が消え体が楽になったことでしょう。しかし」
そこでセレネーはやや顔を曇らせた。
「それがよかったことなのかどうか、また適した時であったのかどうか私は、正直分かりません。おそらく、それはあなたが今後決めることでしょうが」
曖昧な言葉にユメはやや混乱する。が、せっかくここまで頑張ってきたのだから、何も得ずに帰るわけにはいかない。
「セレネーさんは、私が何者であるか知っているのですか?」
「ええ、知っています」
事も無げに答える、セレネー。
「私は遠い昔に命を絶った精霊。今ここにいる私は、その分身のようなものです。聖地の守護者として契約のもと、この世界に使えております。生ける精霊ではもはやありませんが、この聖地の力を借りて真実を見通すことができます。あなたをも例外ではありません」
「それなら、もし分かるというのなら、教えて頂けますか? 私が何者であるか?」
「何者であるか……」
セレネーは静かに瞼を閉じた。
「あなたの言う、『何者であるか』ということはどういう意味でございましょうか?」
「意味? えっと、私はラクス達が言うように錯乱した精霊なのか、それとも人間なのか、人間ならどうしてあの場所で一切の記憶がなく見つけられたのか、知りたいのですけれど……」
ゆっくりと開いた銀色の瞳に見つめられ、ふいにユメは自分の問いに自信がなくなり尻すぼみになる。どうしてだろう? ずっと知りたくて知りたくて溜まらなかったことなのに、あの銀色の瞳に見つめられるとまるで自分が間違ったことを聞いているような気がしてくる。
「あなたが精霊なのか人間なのか。真実は私ではなく、他の者の口により時をおかずして明らかになるでしょう。しかし、それに惑わされないことです」
「惑わされない?」
「人間、あるいは精霊、それはただ肩書きにすぎない。世界を超えたらあっという間に、崩れてしまう脆いもの。真の自分、それは肩書きで決まるものではありません。それは他人によって与えられるものではない。心しておくです」
「私、よく……」
セレネーの言う意味がよく飲み込めず、ユメは困惑するも、セレネーは全く気にすることなく話を進めた。セレネーはどうやら、親切に手取り足取り教えてくれる気はさらさらないらしい。教えるというよりも、どこかにユメを導こうとする意思が感じられるような気がする。
「私は守護者であると共に、知恵や助言を与える者としての役も受け賜っております。ゆえに、私達が再び会う日もそう遠くないでしょう。最後に、よく覚えておいてください。これは、あなたのほんの始まりにすぎないということを」
そこでセレネーは両手を大きく広げた。と同時に、銀色の光がユメの足元に現れ、ユメの全身を包んでいく。
「あなたを求めるもの、帰るべき場所にお送りしましょう。旅の始まりに、私の最大の祝福をあなたに……」
自分の正体はともかく、まだちゃんと聞かないといけないことが残ってる。首のあたりまですっぽり光に包まれながら、ユメは慌てて叫ぶ。
「ちょっと待って! ラクス達は? レニタスさん達は無事なの?」
「心配には及びません。それでは、しばしの間……」
そこでセレネーの言葉が聞こえなくなると同時に、銀色の光に遮られユメは何も見えなくなり、体の全ての感覚が不能になったあと、ユメの意識はそのまま途切れた。