紫の洞窟 6
ユメが発見された時、地元の新聞はそれを取り上げ賑わった。
総合病院、そしてその裏の森は、もともと不思議な噂が飛び交っていたから、人々の関心もそれだけ多く集まった。
夜中、病院の廊下で女の人の笑い声が聞こえただとか、病院遺体保管庫から消えた遺体だとか、人魂を見ただとか、嘘か本当か分からない心霊スポットにはありがちな噂ばかりではあったが、
言葉を一言も話すことのできない少女が一人森に立っていたのは、疑いようもない事実であり、少女がどこから来たのか推測する記事が多く書かれた。
ユメが歳を重ね、少しずつ養護施設に馴染んでいっても、巷でささやかれていた噂は不気味なイメージとなってユメの背中につきまとい、施設の中でも浮く存在であった。施設の職員でさえもユメをどこかで不気味がってる節があるのを、幼い時分から敏感にも感じとっていた。
不気味な噂のためか、人々はその病院に足を運ぶのを避けるようになり、病院はやがて廃業となる。既に老齢であった院長は、他県で同じように病院を開業していた息子のところに身を寄せたという。
しかしその後も、廃墟と化した病院と鬱蒼と木々や植物が生い茂る森はそこにあり続けた。
肝試しとして、面白がって若者がたまに足を踏み入れる以外は、誰も近寄らない。
ただ一人、ユメを除いて。
最初は自分が発見された場所として、興味本位で訪れた。小学校三年生の頃。もちろん、その時はユメも他の人と同様、森に入っていくのには勇気が必要だった。
病院の前で躊躇し、何度も回れ右をしかけた。
同級生にいたずらで泥だらけにされたボロボロの運動靴を長いこと睨みつけていた。
それでもユメが一歩前に踏み出したのは、どこからか来る不思議な義務感のためだ。
見なければならない、そこへ行かなければならない、まるで誰かに指示されているかのように、頭から離れない。
今思えば、探していたのかもしれない。
他の子供達にいじめられても、大人達に不気味がられても、平気だ、殺されるわけでもないし、平気だと自分に何度も言い聞かせていたけれど、きっと自分が落ち着ける場所をずっと無意識に求めていた。
ありのままの自分を無条件で受け入れてくれる場所。
慣れていたつもりだった「孤独」は、甘受することができなかったからこそ感じるものだった。
時折、冷んやりとした風が、吹き抜ける。
黒のマジックで落書きがされたランドセルの皮ベルトを、折り目がついてしまうほどにぎゅっと握り締める。
自分の生い茂った草を踏む音、風に木々が葉を揺らす音、たまに森のどこかで不気味な声で鳥が鳴く以外は、森は静寂だった。
見上げると大きく伸びた木々によって、途切れ途切れに青空を覗くことができる。
感じたのは、恐怖ではなかった。
安心感、そして懐かしさだった。
そして、その日以来ユメはたびたび森に通うようになる。
いいことがあった日も、悲しい時も。
道路に面している敷地内にためらいもなく入っていく様子を、たまに通りかかった人が不審げに眺めることもあったが一向に気にしなかった。
安らぎを見出した。
そこにいれば、自分がもっとも自分らしく、地にしゃんと足をつけて存在できるような気がしたのだ。
木々も、森に住む動物達もユメを拒まない。
だからあの日、ユメが精霊界へと飛ばされた日、あの時森にいたのはいつもの習慣で、何も特別なことでうはなかった。
実際ダークリット、そしてラクスに会う以外何も特別なことはなかった。
いつ人間界と精霊界の境界線を越えたのかも分からなかったのだ。
人間界で暮らしていた日々。
そう遠くない昔。
なのに、既に記憶が薄れてきていて、綻びが生じた薄い眠りの時にみる夢のような程度にしか思い出すことができない。
鮮烈に思い出そうとすればするほど、色あせて遠ざかっていく。
――錯乱。
誰もがユメを変だ思っている。
人間界では不気味がられ、疎まれた。
そして次元を超えて精霊界に来た今でも、錯乱していると思われている。
かつて地元の新聞は、また町内の人々はユメがどこから来たのか、親は誰なのか興味津々で互いの推測を競わせた。
そして、今、この洋館へとユメを導いたラクスは、ユメの正体を暴くことに手段を選ばない。
自分が誰なのか。
ユメが一番知りたかった。
どこから来たのか。
錯乱していると言われ、涙が出るほどに悔しかったのは、自分でも自信がなかったからだ。
心のどこかで、ラクスの言ったとおり自分は今まで錯乱していたのかもしれないと動揺する自分がいた。
どうしようもなく悔しかった。
頬を涙がとめどなく伝う。
目尻に熱と苦い痛みを感じる。
ドアに寄りかかるようにして座り込んでいたユメだが、ふらふらと力なく立ち上がるとベッドの端まで移動し、そのままパタンとベッドの上に倒れた。
そのまま次の日もユメは起きなかった。
いや、起きれなかった。
全身が痺れるように熱く、重く、悪寒がとまらない。
やがて容態は悪化し意識が朦朧としはじめ、誰かがユメの部屋に入りベッドに走りよっても、誰であるか認識することができなかった。