彼が優先したもの
ゲーム内でも、「カードゲーム」は出てきた。メリーナはそれを思い出す。おぼろげだった記憶が、どんぐりや花の柄の「フランス式プレイングカード」と、その向こうの妖精達を見ていたら、くっきりとよみがえってきた。
妖精のお店で買いものをすると、一定金額ごとにカード勝負をする。
ゲームは単純で、ポーカーだった。店主よりもいい役をつくれたら勝ちで、アイテムをもらえる。十回ごとにレアアイテムをもらえ、レアアイテムはどんどん効果が高いものになっていく。そういう仕様だった。
妖精達は、酒と、ゲームが好きなのだ。あまりにも長い時間生きる彼らは、そう云ったことに癒しを求めている。気晴らしと遊びを愛しているのだ。単調で刺激のない毎日に倦まないように。
突然、鮮やかに思い出した「ゲーム」の記憶に、メリーナが絶句していると、マティアスはそれをカードを見たからだと思ったらしい。「おばさま、そのような」
「これはわたくし達の習慣、誰に羞じることもない伝統です!」ズザンナが声を荒らげる。「人間達はばかにしますがね。長い時を無駄につかっているなどと偉そうなことを云って! 自分達だって、短い生を戦いに投じて尚更に短くしているくせに!」
成程、と、メリーナは内心頷いた。妖精達と人間の仲違いの原因は、このカードにあるらしい。もとの世界では人間達も興じていたカードゲームだが、こちらでは人間達にはあまり人気がないのだろうか?
いや、どんな場所であっても、人間にも気晴らしは必要だ。要するに、長い時を生き、カードゲームを長時間楽しむことのできる妖精達に対するやっかみか、揶揄だったのだろう。妖精達はそれを大変な侮辱とうけとった。人間達は短い生をつないでいくうちに、妖精達との仲違いの原因を忘れていった……。
ズザンナがすすみでてきた。卓の前に立つ。年輩の妖精が来て、チップなのだろう、椎の実がはいった器をふたつ置いていく。ズザンナはそれに頷いてから、メリーナを見る。
「お嬢さん、規則はわかるかしら?」
「おばさま」
「わかります」
メリーナがか細い声で云うと、ズザンナは不審げにし、マティアスはぎょっとしたようにメリーナを見た。
「リナ?」
「宮廷で勉強したの」
メリーナは低声で答える。それは事実だ。宮廷ではたまに、陛下や殿下がたの主催で、カードの会が行われた。お茶会を兼ねた軽いもので、賭けるものは菓子、勝ち負けも特に競いはしないが、官女の教養として、一応役は覚えている。「前世」を思い出すよりも前にポーカーのルールを覚えたので、ゲームにポーカーが出てくるのも自分の頭がつくりだした都合のいいものだと、半分は思っていた。
だが、今、メリーナは確信していた。これは、あの「ゲーム」のなかだ、と。それよりもずっと後の年代だけれど、間違いはない。名称は違っても、ルールがそのままでポーカーが存在している。今のポーカーが、だ。ポーカーに似たなにかではない。
メリーナは卓へ近付いていって、ズザンナの向かいに立った。軽くお辞儀する。ズザンナは尊大に頷いた。
「では、ゴットフリードがカードを配ります。宜しいかしら」
「はい」
メリーナが返事をし、ズザンナが指示して、ゴットフリードがカードデックを手にした。
情況はあまりよくない。メリーナは手のなかのカードを睨んでいた。若い妖精達が喚いている。メリーナはすでにチップの半分以上を失い、ズザンナは余裕綽々だった。
マティアスの従姉妹が咽をしぼって叫んでいる。
「おばさま、ずるいわ! 彼女は簡単に規則を知っているだけじゃないの、ずっとやってきたおばさまとは腕が違うのよ!」
「お黙り、ハンナ」ズザンナはにべもない。「勝負をうけた彼女に失礼ですよ」
メリーナはカードを伏せて、ゴットフリードのほうへずらした。「三枚かえます」
ゴットフリードは片眉を上げ、あたらしいカードを三枚メリーナへ寄越す。メリーナはそれを見て、頭を振り、息を吐いた。カードをすべて伏せる。
ズザンナがそれを見て、掛け金を増やした。メリーナの残りチップと同じ数だ。メリーナも同じだけのチップを賭ける。
ズザンナがカードを開いた。エースが二枚、七が三枚、フルハウスだ。妖精達のカードのスートは「どんぐり」「野いちごの花」「おおばこ」「針」だった。どんぐりがダイヤ、野いちごの花がハート、おおばこがクラブ、針がスペードに相当する。ジャックは子ども、クイーンはカップル、キングは墓石、ジョーカーは片一方の長靴だった。この世界の人間のカードは、おおばこが松の葉にかわり、針が杼になっているだけで、あとは妖精のカードとかわりない。
メリーナがカードを表へ向けると、ズザンナが眉をひそめた。メリーナは軽く目をくるっとさせる。彼女の手はフォアカード、フルハウスよりも強い。
ゴットフリードがしばし、唖然としていたが、我に返ってチップを移動させた。ズザンナは勝負所だと思って額を増やしていたので、チップはほぼ同数になった。メリーナは溜め息をこらえ、カードを捨てる。生きた心地はしばらくしていないし、呼吸もまともにできていない。だが、マティアスとの結婚を認めてもらう為には勝つしかない。
「やるわね」
ちらっと見ると、ズザンナが微笑んでいる。「今のはうまい手だったわ。人間との勝負は、これだから面白いのよ」
「どうも、ありがとうございます」メリーナはそう云ってから、慣れないポーカーをさせられている恨みをこめて付け加えた。「お年を召したかたからまきあげるのは心苦しいですけれど、勝負は勝負ですからね」
ゴットフリードがまた、唖然としたが、ズザンナは楽しそうに声をたてて笑った。
幸運は続くものではない。メリーナはそれを理解しているし、ズザンナもそうだろう。
メリーナはけれど、「ゲーム」のポーカーとは違う利点を見付けていた。ゲームでは、カードを配られた時点でほとんど勝ち負けが決まっているようなものだが、ここでは賭け金をつり上げたり、降りたりもできる。
メリーナは宮廷に居た五年間の、短いような長いような経験を総動員し、表情をとり繕った。無駄に、毎日のように鞭打たれていた訳ではない。可愛げがないとなお打たれても、メリーナは痛みを我慢し続けた。
妖精達はなかなか嘘を吐かない。吐くことが難しいとも云う。単純に、嘘を吐くような頭の構造をしていないのだ。だから賭けごとは、楽しく誠実で後腐れのないものになる。無邪気に神経衰弱だの間違いさがしだのをしている子どもとかわりない。
椎の実がなにかの対価になるのかは知らないが、きっとこれに価値がなくても彼らは勝負をできただけで充分なのだ。妖精と人間は根本的に違うのだと、彼女含む、人間と諍いを起こした当時の妖精達は理解していない。
人間の賭けごとは、汚い面も、どろどろした面もある。彼らはそれを単に、妖精同士では味わえない「刺激」としか捉えていなかったのだろう。
メリーナはそんなことを考え々々、カードを伏せた。いかにも自信ありげに眉を動かし、賭け金をつりあげる。チップは今や、大半が彼女のもとにあった。ズザンナは難しい顔でメリーナを見、残ったチップを器ごとメリーナへ向けておしやる。
「これで、わたくしの役が弱かったら、あなたの勝ちね」
「ありがとうございます」
「まだ勝ちと決まった訳じゃないでしょう。さっきは騙されておりてしまったけれど」
ズザンナがまだ、言葉を続けそうなのを遮って、メリーナはカードを開く。「針」の十、ジャック、クイーン、キング、そしてエースが揃っている。
ズザンナが手札を卓の上へばらまいた。どんぐりとおおばこで、三から七までが一枚ずつ。フラッシュだ。
「わたくしの負けね」
ズザンナはそう云って、マティアスへ目を遣った。疑わしげに睨んでいる。「マティアス、結婚は認めるわ。でもあなたの奥さまは本当に人間なの? まったくもって信じられない」
この郷でかなりの古株らしいズザンナがメリーナを認めると、年配の妖精達は右にならえでメリーナを認め、マティアスとメリーナの結婚を祝福した。
「大変楽しい勝負をありがとうございます、メリーナさま」
席に着き、妖精達からご祝儀の酒をもらうメリーナに、ズザンナがしずしずと近付いてきて頭を下げた。メリーナは頭を振る。
「こちらこそ、あの……とてもどきどきしました」
「あれがどきどきしているひとのすることですか!」ズザンナはまるで傷付いたみたいな表情でそう云い、それから渋い顔になった。「ああまったく。申し訳ございません、奥さま」
「いえ」
「もし宜しければ、ここにご滞在中は、また幾らか勝負をしてもらえますでしょうか? 最近の若い者は歯ごたえがなくって……」
ズザンナが周囲の若者を睨みながら云うと、彼らは目を逸らし、メリーナに酒を勧めた。
マティアスはアルトゥルと一緒に、どこかへ行ってしまった。メリーナは、お手洗いに、とことわって、集会所の外へ出る。うららかな陽気で、とても冬とは思えない。少々酔いがまわっているのか、視野がかすかにゆがんでいた。といっても、普通の酒を呑んだ場合とは、体の感じが違う。おそらく、妖精の酒と人間の酒とは違うのだろう。
お手洗いへ行って、戻る途中、マティアスとアルトゥルの後ろ姿を見付けた。「マチュー……」
メリーナは息をのみ、木のかげへ身を隠した。心臓がせわしなく動いていた。
お酒の呑みすぎでありもしないものが見えたのだ、と思った。けれど、そっと盗み見ると、それはたしかに存在した。
あの……女性だ。いつか、家の前でマティアスと話していた、彼女。
前のものとは違うがしゃれたドレスと帽子で着飾り、手には日傘らしいものがあった。表情は険しく、ぱっぱっと口を開いてなにか喚いているように見える。マティアスとアルトゥルに、なにか云っている。
メリーナは酒の力をかり、腹をくくって、そちらへ歩いていった。女性がメリーナに気付いて鼻を鳴らし、踵を返す。マティアスが一瞬、メリーナを見たが、それを追った。