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妖精の郷へ




 妖精の「山」は、森のなかにある。

 そう聴いていたが、見たことはないし、存在自体も信じられなかった。メリーナは森のなかを、それなりに知っている。先生ほどではないが、うろついていた。

 だから妖精の山というのは、人間に理解できないなにかなのだろうと思っていた。目に見えないけれど存在する、というような。

 だが、それはたしかに存在し、人間の目でも捉えられた。なんのことはない。森のなかでも北西の奥の奥、寒くて誰も近寄らないようなところにそれはあったのだ。


「リナ、もうすぐだから」

 マティアスは荷物を背負いなおし、不明瞭な発音で云った。メリーナは頷くが、声は出ない。瞬きの拍子に、まつげにくっついた氷が落ちた。

 森は北西へ行くほど、気温が下がる。植物もなくなり、魔獣が増えるので、誰も好き好んでそちらへ行かない。更に、ある程度すすむと吹雪でなにも見えなくなる。先生にそう教わっていた。

 実際、魔獣は多く居た。そのすべてをアルトゥルが追い払ってくれた。アルトゥルは先導になって、張り切って歩いている。

 メリーナが自分用の防寒具をかきあつめ、三人で出発して、一週間経つ。三日前、一日かけて猛烈な吹雪を越えてきた。妖精達はどうしてこんなに寒いところへ暮らしているのだろう。これなら、人間に少々腹がたったとしても、町のほうがいい気がする。


 メリーナの思考なぞ知らず、マティアスははげましてくれる。おそろしいことに、マティアスとアルトゥルはこの寒さをなんとも思っていないようで、いつもの格好だ。厚ぼったい、緑や若草色や黄色や茶色の生地、もりそのもののようなそれを数枚重ね、地面にひきずるようにして着ている。それだけなのに、ふたりとも寒そうな様子は見せなかった。

「あと少しで階段だ。ほら、山も見えてきた」

 夫の示すほうを見て、メリーナは息をのんだ。びょうびょうと吹く雪まじりの風のなか、山があった。

 山が宙にうかんでいた。


 山、と聴いて想像するような、いびつな三角形をしている。問題はそれが、まったく地面から離れていることだ。メリーナは寒さに痛む目でそれをしばらく眺め、夫を見る。

「どうやってあそこまで行くんです?」

「階段がある」

 それらしいものは見えなかったが、風と雪と、付きに反射する光の所為だろうと思って、メリーナは頷き、雪を踏んで勇ましく歩いていくアルトゥルに続いた。アルトゥルは一応、ブーツをはいているが、それにしたって歩きたい場所ではない。


「にいさん」

「ああ」

 男性ふたりが雪に穴を掘り、メリーナの為の休憩場所をつくってくれた。メリーナはそこにもぐりこんで、夫が用意してくれた、妖精の酒とはちみついりのあたたかいお茶を飲んでいる。寒くても移動すれば汗はかくし、おそらく体重はかなり減った。毎日、メリーナは妖精の酒を呑むよう云われ、従っている。なにか、大事なことらしい。必要なことでなくば、夫は命じるようなことはしない。

 外からは、空気穴を通してふたりの会話が聴こえてくる。

「彼女には、無理じゃないか」

「いや、大丈夫だ」

 少し間を置いて、マティアスは云う。「アルトゥル、お前はわたしの妻の凄さを知らないよ」

 休憩が終わり、三人はまた歩く。




 それから三日かけて、山の傍の崖にいたり、メリーナは夫の云う「階段」を目の当たりにしていた。

 それは、凍り付いた石の足場だった。足場……だろう。ただしそれらも、宙にういている。

 表面が凍り付いた、人間が十人程度なら立てそうな平たい石が、浮揚しているのだ。

「リナ、ついてきて」

 夫がふわっと、それへ飛びのった。妖精というのは身軽だと云われている。僧なのだろう。

 アルトゥルが心配そうにしている。「にいさん、奥さんをおぶってあげたらいいじゃないか」

「リナ」

 マティアスが云い、メリーナは頷いて、数回深呼吸した。

 崖の下は、地面が見えないような谷だ。下はまっくらで()()()()()。落ちればお仕舞だろう。

 メリーナは助走をつけて、ジャンプした。


 夫が抱き留めてくれる。メリーナは凍り付いたような口を動かす。「寒くて体が動かない」

「大丈夫、上へ行けばあたたかいよ」

 夫は、少し高い位置にある石を示す。メリーナは頷いて、そちらへ向かった。こうなったら、やってやろう。これが彼の妻として認められる為に必要なことならば、なんでもない。

「ねえさん、すげえ」

 アルトゥルが感心した声を出す。マティアスが呆れたように云った。「彼女は魔獣がうろついている森で暮らしてるんだぞ。これくらいできるさ」

「そっか、ねえさん、魔法つかえないですもんね」

 アルトゥルが尊敬するような目で見てくるので、メリーナは苦笑した。官女というのは体力仕事なのだ。ご褒美に鞄を戴くくらいには、彼女は重宝されていた。




 石は幾つも続いていたが、メリーナはつるつる滑る石の表面をものともせず、上へ上へとのぼっていった。途中、足を滑らせてひやっとしたが、踏みとどまれた。

 長い時間をかけて石から石へと飛び移り、最後の石へ三人がのると、マティアスがなにか云い、その石が上昇しはじめた。石は山の上のほうへと三人を運んでくれた。


 石が停まり、マティアスに手をひかれて山へとびうつる。距離はさほどではないのに、途端に呼吸が楽になった。空気があたたかく、甘い香りがする。

「ようこそ、我が一族の郷へ」

「まあ……」

 メリーナはあたたかい空気を吸い込み、溜め息を吐いた。彼がもったいぶって示したところには、小径があり、そこには花が咲き乱れている。嘘のように綺麗な場所だ。

 アルトゥルが走りだした。「にいさんが戻ったって伝えてくる!」

「ああ、アルトゥル、彼女の為にあたたかい飲みものと、風呂の用意も頼むよ」

「承知!」

 アルトゥルはにっこりして、小径へ消えた。


 ふたりは腕を組み、ゆっくりと小径を歩いた。メリーナの知らない花が咲き、蜜蜂が飛んでいる。「ここは冬ではないの?」

「冬だけれど、冬に咲く花があるんだよ。下とはいろいろ、違っている」

 マティアスは微笑んで、メリーナの首から襟巻きをとりさった。「これはもう要らないだろう」

「ええ……」

 実際のところ、気温は心地いい程度で、メリーナは男ものの外套を脱いだ。久々にアントワルまで行って、防寒用の装備を買い求めたのだ。女性用のものはなく、男ものだけしか手にはいらなかったけれど、旅行に行く夫の装備を買いに来たのだと思われて、安くしてもらった。

 マティアスはメリーナの外套や襟巻き、数枚着た毛織物のうち幾つかを預かってくれた。メリーナは体が軽くなるとともに、気持ちも解れていくのを感じた。

「マティアス!」

 声に目を向けると、いかめしい顔の男性と、マティアスに面差しの似た女性が走ってきた。マティアスが笑顔になる。「やあ、我が伯父、それに従姉妹よ」

「マティアス、()()()()、よくぞ戻ったな!」




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