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弟分と幼馴染




「リナ、お茶を戴いても?」

「マチュー! また来てくれたの?」

 扉を開けた格好で、マティアスはにっこり笑った。肩に担いだ袋を示す。「君が喜びそうなものを持ってきたよ。それと、悪いけれどアルトゥルが一緒だ」


 あの夜から、マティアスは度々、メリーナの家へ遊びに来るようになった。はじめは夜だけだったのだが、今では昼間でもふらっとやってきて、数日からひと月滞在する。

 ウルリーケや兄とも顔見知りになり、兄が居る時には一緒に釣りや狩りに出掛け、ウルリーケが居る時にはメリーナとウルリーケがもっとお喋りできるようにと、家事を手伝ってくれる。

 丁度、あたらしくつくった野草茶の味を見ようと、お茶を淹れていたメリーナが承知すると、マティアスは家のなかへ這入ってくる。妖精にはいろいろな決まりがあって、マティアスの一族は家人のゆるしを得ないと家に這入れないらしい。人間に似た姿形だが、彼らは「約束」や「とりきめ」に厳しいし、嘘を吐くことも稀らしい。


「おひさしぶりです!」

「アルトゥル、静かにしなさい」

 背の高いマティアスよりも更に背の高い少年が、マティアスの背後でにこにこしている。

 彼はアルトゥルと云って、やはり妖精だ。マティアスがメリーナの家を訪れるようになって三月(みつき)ほどたった頃、一緒に来て、それからは数回に一回、マティアスについてきている。

 色白のマティアスと違って浅黒い肌をしており、髪は赤みの強い金で、切りっぱなしにしている。それは妖精としてはあまり宜しくない格好らしく、マティアスがお説教する場面を何度か見た。

 金糸が編み込まれた紐を頭にまきつけて、羽根飾りをつけている。頭の飾りは階級に関わるらしく、マティアスはいつも細い鎖と緑の宝石なのだが、アルトゥルは二回、それがかわっていた。はじめ、マティアスにくっついてやってきた時は、白い紐をみつあみのようにして頭にまいているだけだった。


「ねえさん、薪割りやります」

「ありがとうアルトゥル」

「いえいえ」

 アルトゥルは肩に担いだ袋を置くと、袖をまくりながら外へ出て行った。マティアスはアルトゥルの、本当の兄ではないものの兄貴分らしく、アルトゥルはメリーナを「ねえさん」と呼ぶ。

 マティアスが仏頂面で、テーブルへ荷物を置きながら椅子へ腰掛けた。「すまん、あいつはここへ来るのが楽しいみたいでね。断り切れなかった」

「断るなんて。アルトゥルはいつも、薪割りをしてくれるし、助かってますよ。いい子だし」

「君はアルトゥルを気にいっているのか?」

 マティアスはちょっと恨みっぽい目をメリーナへくれる。メリーナはその視線の意味がわからず、小首を傾げた。

「いい子ですから……」

「それだけ?」

「それだけって、どういう意味です?」

 マティアスは口を開いたが、なにも云わずに頭を振った。メリーナは苦労して丸太を彫ってつくったマグに、お茶を注ぎ、マティアスの前へ置く。マティアスはすねたような口許で、お茶をすすった。


 アルトゥルは屈託がなく、メリーナのつくった魚料理をおいしそうに食べている。ハーブと塩と一緒に蒸し焼きにしただけのものだが、妖精達はそういうさっぱりとした、滋養のありそうなものを好んだ。

「ねえさん、にいさんが持ってきたもの見ましたか?」

「いいえ、まだよ」

 メリーナは頭を振る。魚料理をお上品に食べていたマティアスが、きっとアルトゥルを睨んだ。「アルトゥル」

「なんだあ。にいさん、張り切って蜂の巣をとってきたんですよ」

 マティアスは口をぱくつかせる。おそらく、メリーナを驚かせようよしていたのに、アルトゥルに先に云われてしまってがっかりしたのだろう。口を尖らせ、眉を寄せる。

「アルトゥル、戻ったらお前にドブさらいをさせるからな」

「えっ?!」

「マチュー、そんな意地悪を云わなくったっていいじゃない」

 マティアスは不満そうだ。メリーナは席を立ち、彼が持ってきた袋を開いた。なかには油紙に包まれた蜂の巣がある。

 メリーナはマティアスへ微笑みかけた。「ありがとう、マチュー」

「……君が喜んでくれたのならよかった」

 アルトゥルがパンをかじる。「俺、邪魔ですか?」

 マティアスがアルトゥルのせなかを叩いた。




 今度もふたりは、しばらく滞在するようだった。アルトゥルはうきうきした様子で、森にでかけては薪になりそうな枝を拾い、魚を捕まえてくる。マティアスはメリーナが最近手にいれた織機を調整してくれた。

「ありがとう。縦糸が妙に突っ張ってしまっていたんです。よくなったわ」

「部品が削れていたよ」

「マチューってなんでもできますよね」

「そんなことはない」

 マティアスは誉められて照れくさいのか、かすかに頬を赤らめた。それが可愛くて、メリーナは彼の頬をつつく。

 マティアスは微笑んで、メリーナの手を掴んだ。

「マチュー?」

「リナ、君はずっとここで暮らすつもり?」

「それは……」

 メリーナは口を噤む。


 本当は、先生が死んでしまい、淋しい気持ちがどんどん募っていた。かといって、アントワルへ戻ったり、ほかの町へ住む気もない。女がひとりで、なんの邪魔もなしに暮らせる町は、おそらくマイツェには()()。結婚しているか、尼になるか、どちらかだ。

 ただ、ほかの国へ行くという手はあった。マイツェが「魔女国家」と口を極めて罵るベアルセンという都市国家は、女が結婚せずに身を立てることができるという。

 どうしようかとなやんでいる間に、マティアスに出会った。

 シュタルの森を出て行けば、マティアスにはもう会えないだろう。マイツェでは年に一度の祭りで会えるかもしれないが、ほかの国までマティアスが会いに来てくれることはあるまい。マチューに会えなくなるのはいや……。

 メリーナが答えあぐねていると、アルトゥルの騒々しいあしおとが聴こえてきた。「ねえさん、ウルリーケが来ましたよ!」

 メリーナとマティアスは顔を見合わせ、同時に目を逸らした。ふたりの間には、なんとも云えない気まずさが漂っている。


「元気そうね、メリーナちゃん」

 大荷物であらわれたウルリーケは、メリーナを軽く抱きしめ、あたらしいドレスをふわっとさせて椅子へ腰掛けた。メリーナはその隣へ座る。

「ウルリーケちゃんも。お母さまはお元気?」

「ええ。メリーナちゃんの野草茶があるから、調子がいいの。また戴いていい?」

「丁度、何日か前につくったところなの。いいできだよ!」

 ウルリーケはにっこり笑う。

 メリーナはその向こうに、アルトゥルが居るのに気付いた。扉の近くでそわそわしている。片手には、家のまわりで手にはいる花が、雑多にまとめられていた。

 メリーナは、アルトゥルがマティアスに頻繁についてくる理由を察した。アルトゥルを手招きながら席を立つ。「アルトゥル、ウルリーケちゃんの話し相手をしてくれないかな? わたしはお水を汲んで、それから梨をもいでくる。そうだ、蜂の巣を出してあげて」

「えっ」

 アルトゥルは途端に赤くなったが、ウルリーケがにっこりして会釈すると、ぎくしゃくとやってきた。

 メリーナはアルトゥルに、蜂の巣を仕舞いこんだつぼを示してみせてから、きょとんとしたマティアスの袖をひっぱる。「リナ?」

「マチュー、行きましょう」

 ばけつと大きなざるを持って外へ出た。アルトゥルは席について、小さな花束をウルリーケへさしだしていた。




 小川の上流で水を汲み、その近辺の梨やあけびをつむ。そのすぐ傍に、得体の知れない、木立にのみこまれるような坂道があって、メリーナはその辺りへはあまり近寄らないようにしていた。その坂道らしいものは、なんとなくこわい。威圧感があるのだ。それに、ちょっと見ただけでは、それがどこへつながっているかわからない。先生も、そこへは這入らないようにと云っていた。這入ると戻ってこられないのだそうだ。

 メリーナは自分の考えを喋った。アルトゥルは、おそらくウルリーケ目当てでここへ来ている。さっきも花束をあげていた、と。

「成程」

 坂道をちらっと見て熟れた梨をかじり、マティアスは頷く。「それなら、つじつまは合う。アルトゥルはウルリーケのことをやけに喋るのでね」

「やっぱり」

 にっこりしたけれど、メリーナはすぐに息をのんだ。

「あの、マチュー?」

「ああ、なんだい」

「アルトゥルにはいいかわした相手が居たり」

「そんなことはない。アルトゥルのようなひよっこに、そういうことはまだはやいからね」

 メリーナが安堵の息を吐くと、マティアスは頬笑んだものの、すぐに表情を曇らせた。

「ちょっと待って。つまり君はその……」

「ウルリーケは、お母さまの看病のことがあって、未婚なんです。よかったわ」

「それは……」

 マティアスの反応は鈍い。メリーナは首を傾げ、それからある可能性に思い至った。

「もしかして、マチュー、妖精と人間は結婚できないんですか」

「そんなことはない!」

 マティアスはメリーナが驚くような大きな声を出して否定し、自分でも吃驚したのか口をおさえた。


 メリーナは戸惑って、彼を見る。

「マティアス?」

「そうじゃない。アルトゥルにはまだはやいというだけで。その……妖精と人間は結婚できるし、子どもだってつくれる」

「そうですか。アルトゥルなら、不誠実なことはしないでしょうし、」

 メリーナの言葉は最後まで続かなかった。マティアスが彼女を抱きしめたからだ。

「マチュー」

「メリーナ。ずっと云おうと思っていた。わたしは君が好きだ」

 メリーナは目を瞠る。軽くおすと、彼ははなれていった。

「マチュー? あの……どういう意味?」

「君を失いたくないんだ。君はこの森から出ていきたいかもしれないけれど……わたしと結婚してくれないだろうか、メリーナ」

 メリーナは突然の求婚に驚いたけれど、すぐに云った。

「はい。わたしもあなたが好きです、マティアス」

 マティアスがほっと息を吐く。「本当に?」

「本当に」

「ああ……よかった、君に断られたら、わたしは」マティアスは肩をすくめる。「山へ戻って、何千年でも、痛みが癒えるまで出てこないつもりだった」

 その云いかたが面白くて、メリーナはくすくすっと笑った。マティアスが満足そうに頷く。




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