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メリーナとマティアス




 翌日、アルトゥルだけが戻ってきた。あの女性は人相書きが作成された上で、アントワルの無縁墓地に埋葬されるそうだ。人相書きは各都市へ送られるから、いずれ親類縁者があらわれるだろう。もしかしたら、あのしゃれたドレスや帽子を仕立てた店がなのりでるかもしれない。

 アルトゥルはひととおりのことを説明したあと、不満げな顔になって云った。「にいさん、酷いよ。メリーナねえさんを置いて」

「大丈夫」メリーナはソファに横になっていた。小川にはいったからか、少々熱っぽいのだ。「別に、こちらから会いに行ったっていいんだし」

「……それもそうかな」

 アルトゥルは苦笑いで、台所へ行き、かまどに火をいれる。「どうせ、何日もしたら戻ってくるさ。次の春のことだったらそれですむ。俺はまだ下っ端だから、関係ないし、その間ねえさんをまもってあげるよ。ってことで、ご飯にしよう。なに食べたい?」




 妖精が約束を違えないというのは正しい。

 アルトゥルはマティアスの言葉に対して、実に不満そうな様子を見せたけれど、メリーナをまもってくれた。彼女が動けない時はかわりに動き、彼女の食欲がない時には好物をつくってくれ、時折妖精の郷へ戻って酒を持って来てはメリーナへ呑ませ、どうにもしがたい場合にはウルリーケをつれてきてくれた。おかげでアントワルでは、妖精が祭り以外であらわれたと、騒動が起こっているらしい。

 一年が経ち、メリーナはマティアスが修理してくれた織機で、布を織っていた。縦糸が突っ張るような感覚はもうない。

「メリーナちゃん、お(ひる)、できたよ」

「うん」

 メリーナは頷いて、作業場を出る。ウルリーケはこの二月(ふたつき)、一緒に暮らしてくれていた。アルトゥルは森のなかに仮住まいを持っているが、毎日やってきて、メリーナの体を気遣い、ウルリーケと楽しそうに喋っている。妖精の世界のことは、彼はメリーナに話さない。そこでなにが起こっているのか、そこでどんなことが行われているのか、だからメリーナは知らない。


 こんこん、と控えめなノックの音がして、メリーナはそちらへ向かう。脚の浮腫が酷くて、体が重たい。

 扉を開けると、アルトゥルが満面の笑みで立っていた。「アルトゥル……?」

 アルトゥルがさっと、脇に避ける。そこにはマティアスが居た。




「待たせてごめん」

「ううん……」

 ふたりは外で、向かい合って立っている。

 マティアスは一年分髪が伸び、一年分には見えないくらい苦悩をその顔に刻んでいる。メリーナは彼の頬へ触れ、親指で口の傍を撫でる。

「元気がないみたい」

「ああ、そうかもしれないね。血縁を数人、殺してしまった」

 メリーナは手をおろし、口を噤む。

 マティアスは目を潤ませていたが、涙は決してこぼれなかった。

「リナ?」

「……ええ」

「彼女はきちんと弔われた?」

 メリーナは頷いて、しかし頭を振った。

「お墓にはいってはいるけれど、誰も彼女をひきとっていないわ。彼女の血縁だとなのりでたひとは居ないそうよ」


 あの、身許不明の女性は、今もアントワルの無縁墓地に居る。人相書きは各地に配られたが、誰もなのりでなかった。親類縁者だけでなく、彼女が買いものをしたという店もなかったのだ。

 メリーナは気にしていたから、ウルリーケに情報を仕入れてもらっていた。メリーナよりも長く宮廷に居たウルリーケには、豊かな人脈がある。

 マティアスは溜め息を吐き、片手を額へあてた。

「マチュー?」

「彼女は多分、()()()血縁者が居ないんだろう。いや、妖精には居たよ。彼女は妖精と人間の間にできた子どもだった。わたしと同じくらいの年齢だそうだから、人間の親はとっくの昔に死んでしまっているだろう」




 マティアスは長い話をした。彼が決断したこと、妖精達がやったこと。

 あの女性――マティアスも名前を知らなかった――は妖精の父親と、人間の母親を持っていた。ずっと昔に、あの階段を通って妖精の郷へ這入ったことがあったらしい。だから、坂道から妖精の郷へ這入れた。

 彼女の母親は、妖精の父親に捨てられた。彼女はそう思っていた。マティアスはそれはありえないと考えていた。だが、彼女はそれを信じていて、母親の復讐、そして自分の境遇への怒りから、妖精の郷への侵攻を企んでいた。父親の故郷を踏み潰すことで自分の存在を正当なものにしようとした。


「沢山の、同じ境遇の子どもが居たようだ。わたしは彼女が名をあげた、郷の仲間達を問い質し、知った。彼らは結婚の約束をしなかった。誠実な妖精ではなかったんだ」


 マティアスは哀しそうだった。

 マティアスは人間の女性との間に、約束やとりきめをせずに子どもをつくり、子どもをほうって逃げ帰ったことと認めた妖精達を捕まえた。

 それと同時に、人間と妖精の間に生まれた子ども達をさがし、許しを請うて歩いた。少数の者は妖精の父親をゆるしたが、大概は彼女のように納得しなかった。マティアスは精一杯の謝罪をし、罪を認めた同胞をあの山の下、奈落へと突き落とした。運がよければ助かるだろう。助かったなら、もう罪はない。それが妖精の郷の決まりだ。そして、妖精と人間との間にうまれた子ども達は、それで納得した。妖精の郷へ攻め込むのは辞めると云ってくれた。数人、妖精の郷へ移った者もあるという。ズザンナが面倒を見ているそうだ。




 彼のつらさはわかった。だが、彼にとってはその判断しかなかった。人間に攻め込まれる危険は、あの女性ひとりが死んでも残っていたのだ。

「わたしは君を放っていた」

 マティアスは項垂れている。「虫がいいのはわかっている。でも、まだ君は、わたしの妻で居てくれるだろうか」

「マチュー、まだもなにもないでしょう。わたしは約束をした。ウルリーケちゃんの前で誓ったの。それを反故にはしない」

 メリーナがそういうと、彼は顔を上げ、救われたみたいに表情をゆがめた。「リナ」

「でも、待って、マチュー」

 メリーナがそういうと、マティアスは不安そうにする。メリーナは微笑んで、後ろ手に扉を開ける。「あなたにはひとつ、謝ってもらいたいの。わたしが大変な時に傍に居てくれなかった、そのことを」

 マティアスの手をひいて、屋内へ這入る。ウルリーケが抱えている赤ん坊を見て、マティアスはぽかんとした。

 メリーナは云う。

「もう六ヶ月よ。わたしからもあなたに謝罪するわ。一番大変で、一番可愛い時期を見逃してしまう結果になって」

「リナ、この子は君にそっくりだ」

 マティアスはウルリーケの腕から赤ん坊をうけとる。彼とメリーナの娘は、父親がわかるのか、にっこりしてマティアスの耳を掴んだ。

 メリーナは娘の額を撫でる。

「名前はまだ決めていないわ。マティアス、あなたが名付けて。この子がふたつの種族の間で板挟みになったり、立場を危うくしたりすることがないよう、祝福された名前を」

 マティアスは娘を抱きしめ。静かに泣いた。




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