男女兼用【憧憬を干す】
声劇タイトルは【どうけいをほす】と読みます。
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絶望に似た声
[あらすじ]《7分半程度》
冷房の効いた部屋から逃れた午後。求愛をするセミが鳴き喚く午後。
彼は曇る眼鏡をそのままに、少し影の多い、ビルの傍らに座り込む。
「こんな世界、亡くしてしまおうか」
呟いた声に「いいな、それ」と答える声があった気がした―――。
【絶望に似た声】
父が首を吊った日から三日後、母が父の両親に土下座をした。
至らぬ妻で申し訳ございません。
そんなくだらない謝罪を、さも当たり前かのように受け入れる祖父母に吐き気がして、小さい頃は来るのが楽しみだった、彼らの家を飛び出した。
自分が逃げ出したのを知っていただろうに、母は祖父母に頭を下げたままだった。
振り返る事も、自分に声を掛けることも無く、ただ淡々と。
至らぬ妻で申し訳ございません。
そんなくだらない謝罪を繰り返していた。
耳を劈くアスファルトの焦げる音。
セミが自分を嘲笑いながら、求愛に鳴く。
訳も分からず、涙が溢れてきて、だけれどそれを拭う余裕もなく、じゅわりとアスファルトに溶ける雫に、ほんの僅かな情緒を感じた。
腹痛で目が覚めた。
自分の家だった。庭がよく見える自分の部屋だった。
ああ、そうか。昔の夢を見たのか。
痛む腹を少しだけ擦って、起き上がる。
しゅわしゅわと鳴くセミの声に、嫌になりながら庭ではなく、部屋の方に目を向けた。
母が居た。
正しくは、
母が天井からぶら下がって、居た。
…ああ、だから夢を見たのか。
父が死んだ時の夢を。母が祖父母に頭を下げた夢を。
黄土色に染まった母の顔から目を逸らす。うんざりだった。
父が死んでから、母は優しくなくなった。
あの日、祖父母の家から逃げ出した自分を、鬼のような形相で追い掛けてきた母に頬を打たれた。
そうして引き摺られて家に帰ってきてからは、地獄だった。
母の機嫌はいつも氷のように冷たく、話し掛ければ、身体のどこかしらに痣が増えた。だから自分から母に話し掛ける事はなくなっていった。
時たま機嫌の良い日があったけれど、そういう時決まって母は、自分の事を父の名前で呼んだ。
母の顔をもう一度見た。
うんざりだったぞ、母よ。
床から離れ、揺れる母の足を、思いっきり蹴飛ばしてやった。
ギィ、と大きな音を立てて母が揺れる。
ざまあみろ。
心の中でそう叫んで、さっさと庭へ飛び出した。
カンカン照りの太陽に、相変わらず自分を嘲笑うセミの声。
遅かれ早かれ、この腐った臭いを不審に思った近所の誰かが母を見つけてくれるだろう。
自分は音信不通になってやろう。
ニュースになれば、「警察は、この家に母親と二人暮らしだった子供と連絡が取れない事から、子供が何かの事件に巻き込まれている可能性があると見て、捜査を迅速に進めています」なんて在り来りな記事が読まれるんだろう。
別にいい。
それに、誰も知らなくていいのだ。
天井から揺れる、あの母親が。
実の子を八つ当たりの対象にしていた、なんていうのも。
「あの人の気持ちも知るべきだったのよね」
そんな風に言って、自分から縄に首を通したくせに、苦しい苦しいと藻掻きながら、汚い汁を撒き散らして死んだということも。
誰も、何も、知らなくていいのだ。
知ったところで何になる。
慰めも、同情も、貰ったところで何にもなりやしないのに。
後日、ニュースを見た。
案の定、母の事を言っていて、だけれど不思議な事に子供がどうとか、そんな事は言っていなかった。
まあ、そうか。
義務だというのに学校にも行っておらず、最早ここまで来ると調べる気も無いけれど、もしかすると戸籍すらない可能性が高い。
ああ、くそ。くそったれ。
やっと死んでくれたってのに、まだ解放してくれないのか。
夕方の街頭ビジョンから目を背けて歩き出した。宛てはない。
けれど、このまま歩き続けても行き着く場所は地獄だと分かっている。
ああ、疲れた。
蹲る自分の視界には、“忙しい”と“帰りたい”が、口癖の大人達の足がぞろぞろ見えた。
誰一人として歩みは止めない。誰一人として、この訳ありげな子供に関わりたくないと道を急く。
どれくらい、そうしていたろうか。
夜の虫が鳴き始めて、腕の辺りで蚊が血を吸っていた。旨くないだろう、こんな痩せっぽちの腕なんて。
上を向いてため息を吐いた。
と同時に、動きを止める。驚いたのだ、だってそこにはさっきまで誰も居なかったのだから。
人良さそうな顔をした青年が、未開封のメロンパンを差し出していた。
困ったように眉を下げ、笑っている。
要らない、そう零そうとした口は、控えめな腹の音に遮られた。
どうぞ、甘いのは好きじゃないんだ。
そんな分かりやすい嘘。
跳ね除けようと思ったけれど、腹の音を聞かれているだけに、少し気まずい。
心の中でため息を吐いて、青年が差し出すメロンパンに手を伸ばし―――と、青年がメロンパンを引っ込めた。
何だ、冷やかしか。
そんな気持ちを込めて青年を睨みつけようとすれば、彼は自分の前にしゃがみ込んで、まるで明日の天気を言うかのように、こう言った。
「ねえ、神様にしてあげようか」
不思議と、驚きや怪訝ではなく、哀れな奴だと思った。
だけれど、それ以上にその言葉を“待っていた”自分が居た気がした。
「いいな、それ」
よくも分からないくせにそんな事を言って、青年を見上げた。
ああ、本当に、これ以上なく、
くだらない―――…。
はず、だった。
STORY END.