プロローグ1&2
1
〘RAITO〙と呼ばれる、正体不明の怪物が現れたのは今からおよそ200年前の事。
それは、とある辺境の町の住人が全員忽然と姿を消した、"神隠し"と呼ばれる事件が発端として始まった。当時の警察はその事件を「町人達は何処かに移り住んだ」と結論付けたが、真相は全く違う。真相解明は45年後。〘RAITO〙に町人達は虐殺されたと判明した。
1903年の事件を皮切りに姿を表わし始めた〘RAITO〙。その脅威を人類が知り、絶望を抱く様になるのにそう時間は掛からなかった。
現存の兵器が一切通じず、新たなる兵器開発をしようにも、急激に増加した〘RAITO〙に粗方資源を破壊される。人類は 〘RAITO〙への対抗手段を持て無かった。
そうして戦えない人類は100年の間逃げ隠れしながら生きたとされる。20億人だった総人口は3億人にまで衰退し、科学技術は前進と後退を繰り返した。
そして現在。
2106年。人類は地下から天空を貫く巨大な塔を建設し、更にその塔を中心とした、三層からなる半球の防護壁の展開により〘RAITO〙から身を守っている。
かつて地上のほぼ全てを支配していた人類は、その活動範囲を大幅に狭め、科学技術の発展は100年の遅れを取ったと言われた。
塔の中で生まれ、
塔の中で暮らし、
塔の中で死ぬ。
それが、現在生存している、三億一千七百五十五万ニ千9九百四十八人の全てである。
2
小さい頃に一度だけ見たあの鳥は、何という名前だったのだろうか。
たった一羽で広大な空を生きていかなければならない、白い、あの鳥。
絹の様な風体は美しく、息が詰まった。
その優雅な翼に、しなやかな足に、悠然と空を翔ける孤独な姿に見惚れた。
何も特別な事は無かった。
唯、空を飛んでいる鳥が居ただけ。
だけどそこに、俺は運命があると思ったのだ。
あの時の自分は、運命に出会えたと、本当に信じたのだ。
ガッという音と、その数秒後にガッシャーンという音が食堂に響いた。最初の音は俺が足を引っ掛けられたもの。次の音は俺が持っていたトレイを床に落とした音だ。
床に飛び散った肉と流れるスープに少しの間俺が呆然としていると、ゲラゲラという品の無い笑い声が聞こえてきた。
声の主は俺に足を引っ掛けた張本人だ。
「悪い、悪い。まさかこんな初歩的な悪戯に掛かるとは思わなくてよ。びっくりしたぜ。まあ、でもさ。避けられなかったお前も悪いよなぁ?」
明らかに相手を挑発する口調で笑い声の発生源が話しかけてくる。話している途中も口角は常に上がっており、こちらを馬鹿にしている様子を隠そうともしない。
それも当たり前だ。彼にとって一連の行為は唯のストレス発散なのだから。
此処は100階からなる塔の80階。上層と呼ばれる上流階級の一角。対〘RAITO〙育成機関、戦闘学高等部だ。〘RAITO〙に対抗する手段を創り上げる為に設立されたこの学校は、例年の入試倍率が10倍を超えるエリート校であり、3000人近くの生徒が通うマンモス校でもある。また極端な実力主義で通っており、年5回行なわれる模擬試験の点数によって生徒達には校内順位が付けられる。その順位が高い者は崇拝され、逆に低い者は嫌悪される。強さと弱さによる絶対遵守の序列。それが此処での法である。
つまり虐げられても、自らが弱いのが悪い、という理不尽が平気でまかり通るのだ。だから弱者は文句も言えない。特に、俺の様な順位最下位者は。
まあ俺には他に虐められる理由があるのだが……。
「うん。床、汚してちゃってごめん。迷惑かけたな。」
とにかく、ここでの最適解は素直に謝ることだ。反抗などしようものなら、処分を受けるのは俺の方となる。
背後からは絶えず笑い声が聞こえるが、それは無視して、零したモノを片付ける。このような嫌がらせは日常茶飯事なので対応は否が応でも早くなる。
全寮制である此処は三食豪華な食事が出るが、基本的に一人一回。取り忘れたり、今の様に零してしまってももうニ度と貰えない。
また嫌がらせが起きる前に、俺は用が無くなってしまった食堂を素早く出て行く。
行く所も無くなってしまった俺は、さてどうしようかと考える。正直、学校の何処にでもああいう輩は居て、気を休める所というのは少ないのだ。
歩きながら色々思案していると、ポンッと誰かに肩を叩かれた。
「トウ。」
慣れ親しんだ懐かしい声が俺の名前を呼ぶ。
さらりとした髪。白地に一本青のラインが入っている制服。どうしても目を惹かれてしまう整った顔。
「あゆみ……か。」
振り返って相手を確認した後、正面に立つその美少女の名前を呼び返す。
あゆみは小さい頃からの顔見知りで、所謂幼馴染という関係だ。唯、今は立場が全く違う。順位最下位の俺とは正反対の順位最上位組にあゆみは位置している。
「………久しぶり、だね。」
あゆみはどこかやりにくそうに話しかけてくる。まあ、当然の反応だと思う。あゆみと俺は、小さい頃はよく一緒に行動していたのだが、此処に入った途端にそれがガラリと変わってしまった。
それもこれも、全ては俺が不甲斐ないせいで。
情け無さが溢れ出てきて、俺はそれを隠そうと努めて以前と同じ様に話す。
「そうだね。前の一期試験の時以来だから、具体的には三ヵ月くらいかな。」
「うん。そだね。それくらいだった。」
あゆみも気まずい雰囲気を除きたいらしく、普通通りに話そうとしている。
それが分かって、自分がこんな空気を作ってしまったのが余計に辛く、会話を止めない様にと必死で喋る。
「そういえばあゆみ、順位九位に上がってたね!ニ、三年生を追い抜いて一桁台なんて凄いなぁ!」
「あっ!うん。知っててくれてたんだね。ありがと……。」
俺が知っているとは思っていなかったのか、あゆみは少し驚いた声を上げてから、頬を紅くし、はにかむ様に笑った。
その本当に嬉しそうな顔を見て、つい、ポロッと、出す筈のない本音が漏れてしまう。
「うん………。……ホントに、凄い………。」
言ってしまってから後悔した。何も無い自分にはあゆみの笑顔は眩しくて、少し、嫉妬してしまったのだ。それはきっとあゆみにも伝わってしまう。
「あっ……えっと。トウも、トウもさ。後少ししたら、きっと、その……。」
案の定あゆみに伝わってしまったみたいで、あゆみは何とか励ましの言葉を紡ごうとしている。
だけどそれは、今の俺にとっては何より痛い言葉の剣だ。
「ごめん。ちょっと用事があるからもう行くよ。ホントに悪い。」
半ば強引に話しを打ち切ると、足早にその場を離れようとする。あゆみも、少し引き留める仕草をみせるが、俺の気持ちを察たのか、すぐに引っ込めた。
スタッスタッスタッと、早歩きと走りの中間程度で足を動かす。
あゆみのとの会話は食堂の一件よりダメージが大きく、あそこで逃げられずにはいられなかった。
「クソっ!」
と自分自身に対する苛立ちを吐き出す。
自分はなんて駄目なんだろう。虐められても何もできず、何も言い返せず、挙げ句のはてには、あゆみにあんなに気を遣わせてしまった。
自分がとても惨めに思えてきて、気分がどんどん沈んでいく。
本当に、死にたい程情け無かった。