6 フェリアの報告
リーガルと話した後、俺は執務室に戻ってきた。
今日の分の書類はすでにステラがチェックしてくれたらしく、決裁待ちの箱の中に入れてあった。
いつもながら仕事が速い。
一番上の書類を手に取ろうとしたところで、コンコンと扉がノックされた。
「入れ」
「ふふ、来ちゃった」
桃色の髪をツインテールにした女魔族が入ってくる。
小悪魔的な印象を与える美貌に、露出度の高い扇情的な衣装がよく似合っていた。
腰からは細い尾が、背中からは蝙蝠のような翼が生えている。
七大魔軍長の一人、夢魔姫フェリアだった。
「魔王様への想いを抑えきれなくて」
ぱちん、とウインクするフェリア。
それだけで背筋が一瞬ゾクッとなったのは、彼女が半ば無意識にチャームを振りまく夢魔だからこそか。
「──なんて、ね。魔王様をお慕いしているのは事実だけど、今日はちゃんと仕事で来たのよ。報告することがあって」
「報告?」
「実は──」
フェリアは俺に顔を近づけ、手短に内容を告げた。
「……魔界の結界が侵食されている?」
「ええ、精神攻撃魔法の類ね」
俺は仮面の下で眉をひそめた。
夢魔の眷属である彼女は、精神系の魔法に関してエキスパートだ。
「勇者たちの仕業か?」
先の侵攻戦の際、魔界の結界はかなり弱まった。
破損個所もまだ残っているはずだ。
その修復は終わっていないから、第二波として精神攻撃を仕掛けてきたんだろうか。
「うーん……はっきりとは分からないけど、たぶん違うんじゃないかしら」
と、フェリア。
「人為的なものじゃない感じなのよね。あるいは──神の力かも」
「神の……?」
リアヴェルトとの激闘の末に、奴が手にした『神の力』は魔界の外に飛んでいってしまった。
おそらく、今ごろは神のもとにあるのだろう。
それが、魔界の結界を浸食している……?
「すぐには影響は出ないと思うけど、放置しておくのは危険だと進言するわ」
普段の小悪魔的な笑みが消え、完全に真顔になっていた。
「今のままだと……いずれ結界を突き破って、聖なる属性の精神魔法が魔界に降り注ぐでしょうね。それを受ければ、大半の魔族は大きなダメージを負う。浸食がひどくなるとまずいわね」
「分かった。結界に関しては、俺が直接見に行く」
「あたしも一緒に行った方がいい?」
「そうだな。来てもらえるか」
「もちろんよ」
フェリアが艶然と微笑み、俺の腕に手をまわした。
むぎゅっ、と豊かな胸が二の腕に押しつけられる。
「あなたの行くところならどこへでも。結界であろうと、戦場であろうと──閨であろうと」
「ストレートに誘惑してくるな、あいかわらず」
苦笑する俺に、フェリアは顔を寄せ、
「じゃあ、もっとストレートに聞いちゃうけど……魔王様はお妃についてどう思ってるの?」
「妃?」
「魔王は世襲制じゃないから、歴代魔王の中には独身を通した方もいるわ。だけど、魔王様はどうされるのかしら?」
「今は、そんなことまで考える余裕はないな」
俺は仮面の下で苦笑を強めた。
「へえ? でもステラからはアプローチされてるんじゃない?」
「い、いや、それは」
彼女とのキスや告白を思い出す。
「……ステラのことはいいだろう、別に」
年甲斐もなく、うろたえてしまった。
「その様子だと満更じゃなさそうね。あたしには、チャンスはないのかしら?」
フェリアがさらに体を寄せてくる。
豊かな胸やしなやかな体の感触にドキッとする。
「……お前、またチャームをかけてないか?」
「あたしは夢魔だもの。これは生態みたいなものよ」
フェリアが蠱惑的な笑みを浮かべた。
「で、どうかしら? あたし──魔王様の好みに合わせて、なんでもするつもりだけど?」
「フェリア……」
「もっと清楚な感じが好み? ステラみたいな? それともお色気全開のほうがいいかしら? あるいは──」
悪戯っぽい笑みは絶やさないまま、フェリアは艶めかしく体をくねらせた。
どこまでが冗談で、どこまでが本気なのか。
なんとも判断しづらい態度だった。
「別に打算や軽い気持ちで言ってるわけじゃないからね。あたしは──あたしを闇から救ってくれたあなたに感謝しているし、想っている……から」
熱い息を吐き出す夢魔姫。
「これは本音よ。もし妃のことを考える余裕ができたら、あたしも候補くらいに入れてよね? なんなら側室でもいいから。ね?」
フェリアは、ちゅっ、と俺の仮面の頬に軽く口づけした。
結界が侵食されている──。
フェリアの進言に従い、俺は彼女とともに執務室を出た。
魔王城のバルコニーから飛行呪文で飛び上がる。
フェリアもコウモリ状の翼で羽ばたき、俺についてきた。
上空数百メートルまで達したところで、結界を見据える。
「……俺には違いがよく分からないな」
それが素直な感想だった。
結界自体は確かに脆くなっている。
勇者が侵攻してきた際に穴が空いた部分については、すでに塞いでいるが、しょせんは応急処置である。
ただフェリアが言うような『浸食』については、よく分からなかった。
まあ、精神系魔法については彼女が専門だ。
俺には分からなくても、フェリアが何かを感じているなら、それを信じてみよう。
と、
「へえ、浸食に気付いたんだ。さすがは夢魔だね」
超スピードで一人の魔族が空を飛んできた。
銀髪に褐色肌の美少年──ジュダだ。
「魔王くんも、もう少し魔法感知能力を鍛えないとね。戦闘力は文句なしだけれど、そうういうところはまだまだ鍛錬の余地ありかな」
「また今度、修業をつけてくれるか?」
「りょーかい。君はなかなか教え甲斐があるからね」
ジュダが悪戯っぽく微笑んだ。
「で、本題に戻そうか。確かに結界は浸食されている。いや、正確には──浸食が加速しているというべきかな」








