6 人と魔の境界は
朝の日間ランキングでハイファンタジー10位、総合23位まで上がっていました。読んで下さった方、ブクマポイント入れて下さった方ありがとうございます<(_ _)>
引き続きがんばります(´・ω・`)ノ
俺は中空の赤黒い亀裂を見つめていた。
「さて……と。結界の修復はどうすればいいんだ?」
呪文のリストを呼び出す。
目論見通り、この状況に見合った呪文が表示された。
ルーンリペア:魔力で構成された物質を修復する。
「名前からして魔王城に使ったリペアのバリエーション魔法か」
俺は空に向かって右手をかざした。
「『ルーンリペア』」
呪文とともに、赤黒い亀裂がすうっと薄れ、やがて完全に消える。
「これで結界の穴は塞がったかな?」
「今、探知します」
ステラの額に第三の瞳が出現した。
「問題ありません。結界の破損分は完全に修復されました」
「じゃあ、これでしばらくは持つな。少なくとも三カ月程度は」
「三か月……ですか?」
「百の勇者が魔界に侵入するとき、とある奇蹟兵装の使い手が結界を破ったんだ。次にその力を使えるのはおおよそ三か月後。一度『結界破り』を使うと、力をふたたび補充するのにそれくらいかかるらしい」
訝るステラに説明する俺。
「三か月経ったら、また勇者たちが侵攻してくる」
「……また、多くの魔族が戦いに巻きこまれるのですね」
「今回の侵攻は手始めに過ぎない。次は結界にもっと多くの穴を空けて、大々的に勇者軍を送りこむ予定なんだ」
そう、百の勇者どころか、千の、あるいは万の──世界中の勇者たちを。
それだけの軍勢が押し寄せれば、今度こそ魔界は滅亡するだろう。
今まで人間と魔族の戦いが拮抗していたのは、魔族側には魔界という絶対的な安全地帯があったからだ。
魔族は人間界に自由にやって来れるが、人間は魔界に入ることさえできない。
戦いは魔族側の一方的な侵攻である。
──つい先日までは。
人間側は魔界の結界を破る方法を編み出し、勇者たちを送りこむことに成功した。
自分たちが侵攻を受けることなど想定していなかったのだろう、魔族の迎撃は後手後手だった。
だから俺を含めた勇者たちは勝利を重ね、魔族軍は大ダメージを受けた。
しかも今回は、あくまでもテストケース。
次は、もっと強力な軍勢が押し寄せるはずだ。
「それまでに防衛体制を整えておかないとな」
「承知いたしました。損耗した兵や武装の整備は私の方で進めておきます」
「頼む」
言いながら、俺は仮面の下で小さなため息をついた。
三か月後にまた攻めてくるであろう勇者たちを迎撃する──。
魔王としての立場で思考を巡らせる自分に、心理的な違和感があまりない。
今の俺の心は人間のそれなのか。
あるいは、すでに完全な魔族の──?
まあ、悩むのは後だ。
「いくぞ、次の戦場に」
勇者たちの侵攻ルートはあと四つだ。
「次に向かう東部地方は風の強い場所です。振り落とされないように、しっかり掴まっていてください」
「あ、ああ」
俺はステラの腰に腕を回す。
……あらためて考えると、少し照れくさいな、この格好は。
さすがに十代の若者のようにドギマギすることはないが。
「私……魔王様に抱きつかれてる……」
ステラのつぶやき声が聞こえた。
「ん、どうしたステラ?」
「っ……! も、申し訳ありませんっ。その、私……男の人と、こんなにくっつくのは初めてで……」
ステラの声がうわずっていた。
「そうなのか……?」
「臣下の分をわきまえず、このような発言を……本当に申し訳ありません」
「いや、そこまでかしこまらなくてもいいぞ。臣下っていっても、俺はどっちかっていうと相棒みたいな気持ちだし」
相棒──。
その言葉を告げたとたん、胸がずきんと痛んだ。
かつての相棒であり、愛弟子でもあったライルのことを思い出して。
「身に余るお言葉です、魔王様」
ステラが声を震わせた。
「私ごときに」
「ほら、またかしこまってるじゃないか」
俺は苦笑した。
ステラと言葉を交わすと、それだけでさっきの胸の痛みが薄れる。
癒されるようだ。
「よし、手始めに俺のことはフリードと呼べ」
「えっ? ええっ……!?」
ステラの堅苦しさをほぐすために、なんの気なしに提案したんだが、彼女は妙に動揺している。
「ああ、みんなの前だと示しがつかないか。じゃあ、二人のとき限定でどうだ?」
「……お名前で、お呼びするのですか」
「ステラさえよければ、な」
「で、では……」
振り返ったステラが俺を見つめる。
「フリード、さま……」
なぜかその顔が赤らんでいた。
東部地方は草原地帯だ。
といっても、人間界みたいに牧歌的な風景じゃない。
ねじくれた奇怪な植物があちこちから生えていて、不気味この上ない感じである。
数十メートル前方に、一人の巨漢が立っていた。
その周囲には、無数の屍。
死屍累々の、魔族たちだ。
「あいつは──」
俺は仮面の下で表情をこわばらせた。
「フリード様?」
「下がっていろ、ステラ」
俺は一歩前に出た。
風が、ローブの裾をはためかせる。
「知ってる奴だ」
顔を見たことがある程度だが、その勇名はよく知っていた。
「勇者クラウディオ──別名を『血まみれのクラウディオ』。魔族撃破数は歴代勇者の中で五指に入る」
歴戦の猛者、というやつだ。
「ふん、その紋章は──魔王か。話に聞いていたのと、少し姿が違うが」
クラウディオが俺を見て、にいっと口の端を吊り上げた。
その視線が俺の手の辺りにある。
正確には、手の甲に浮かぶ魔王の紋章に。
「こいつらでは歯ごたえがないと思っていたのだ」
クラウディオは牙のような犬歯をむき出しにして笑った。
足元の頭蓋骨を踏み砕く。
「お前──」
死者をないがしろにする行為に、俺は拳を握りしめた。
「魔王、貴様ならワシの相手が務まりそうだな。戦士として一騎打ちを所望する」
「……戦士なら、戦った相手への敬意はないのか」
「敬意? 魔族相手にか? 笑止な」
「魔王……様……がはっ」
クラウディオが手近の魔族に──まだ、かろうじて息があったそいつに──剣を突き立てた。
ぴく、ぴく、と震え、その魔族は動かなくなる。
「虫けら相手に敬意を払う必要などなし」
「お前……!」
ぎりっと奥歯が鳴った。
「今の奴はどのみち致命傷を受けていた。楽にしてやっただけだぞ?」
「いたぶっただけだろう」
「魔王ともあろう者が、部下の死を悲しんでいるのか? ふん、だがワシとて多くの仲間を失った」
クラウディオは身の丈を超える大剣を正眼に構える。
「ここまで来るのに、他の勇者はすべて死んだ」
ヴ……ンと羽虫が羽を震わせるような音が鳴った。
「奇蹟兵装『アロンダイト』、か」
クラウディオの奇蹟兵装は刃先を細かく振動させ、振れるものすべてを切り裂く機能を持っている、と聞いたことがある。
「兵士たちを全滅させ、次は貴様の城に攻めこもうと思っていたのだが──その手間も省けた。いざ尋常に勝負!」
クラウディオが大剣を掲げ、突進してくる。
「おおおおおおおおおおおおっ!」
裂帛の気合とともに『アロンダイト』が振り下ろされた。
「『ダークブレイカー』」
呪文とともに、俺の前面に黒い輝きが生まれる。
光の刃となったそれはまっすぐ飛び出し、『アロンダイト』を迎撃した。
ぱきぃん、と。
甲高い音を立て、アロンダイトが真ん中からへし折れる。
「ば、馬鹿な……奇蹟兵装が折れた、だと……!?」
愕然とした顔のクラウディオ。
今、俺が唱えた呪文『ダークブレイカー』は武器破壊用の魔法だ。
初めて試したが、なかなか使い勝手がよさそうだった。
「化け物が……!」
「虫けら相手に敬意は必要ない、だったな」
俺は奴の眼前に手をかざした。
「ならば俺も……貴様には敬意など払わず、ただ消し飛ばしてやろう」
心が、ドス黒く塗りつぶされていくのを感じる。
胸の奥に何かが澱むような感覚だ。
「ま、待て……」
クラウディオの顔が恐怖に歪む。
「助け……て……」
かすれた声で懇願するそいつの顔には、もはや歴戦の猛者の面影はない。
「お前はそうやって命乞いをした者を何人殺した?」
告げて、俺は魔力弾を放つ。
黒い閃光に包まれたクラウディオは、悲鳴を上げるいとまもなく──消滅した。
──俺はここの結界も修復すると、ステラとともに次の戦線へ向かった。
そこにも数人の勇者がいたが、俺の敵ではなかった。
一掃し、結界の穴を塞ぐ。
さらに残りの二カ所でも勇者を追い払い、結界の穴を修復する。
こうして結界に空いた五つの穴は全部塞がった。
とりあえず、応急処置くらいにはなるだろう。
短い魔界防衛戦は終わり、俺とステラは魔王城に戻った。
※
そこには一面の闇が広がっていた。
「出口はどこだ──」
彼は途方にくれながら、歩き続ける。
金髪碧眼、秀麗な美貌の少年だ。
まだ記憶が混濁していた。
自分が何者なのか。
なぜここにいるのか。
頭がぼんやりとして思い出せない。
「そうだ、僕は師匠を……」
ふいに、記憶の一部がよみがえる。
「いや、フリードを殺して、それから……」
少しずつ鮮明になる記憶とともに、彼は──勇者ライルは歩みを進めた。