4 調査行
俺たちは『天想覇王』の魔力反応があった場所へ向かっていた。
おおまかな位置に関してはジュダが探知してくれたから、後は現場に着いてからの探索になる。
その場所は西部地方にある岩山地帯。
なんでも古代遺跡が点在している場所なんだとか。
メンバーは、フェリアとジュダに加え、第三軍と第五軍から二人の補佐が数人ずつ。
合計で十数人程度の少人数である。
万が一を考え、冥帝竜──ベルには城の上空警備を頼んでおいた。
あいつもジュダ同様に気まぐれな性格だから、どこまで戦ってくれるか分からないが……戦力としては頼りになるからな。
「ジュダ、お前はどう見る?」
歩きながら、俺は銀髪の美少年魔族にたずねた。
「ん?」
「『天想覇王』のことだ。なぜ魔界に現れたんだろう?」
「さあね。現状では情報が少なすぎて分からない、としか」
と、ジュダ。
「まあ、推測するなら──この間、百の勇者が攻めてきたときに空いた結界の穴から、天想覇王も魔界にやって来たんじゃないかな」
「なるほど」
「だけど、あの結界は聖なる力が強ければ強いほど、反発力を増す。天想覇王クラスの神性を備えた兵器が通過できるとは思えないんだ」
ジュダがわずかに眉を寄せた。
「現に熾天使級奇蹟兵装──最強の勇者たちも前回の戦いには参加していない。彼らの武器は聖性が強すぎて、結界を通れなかったんだろうね」
俺は黙って彼の説明を聞いていた。
さすがに魔法関係の分析能力は高いみたいだ。
気まぐれな性格は難点だが、やはり味方に引き入れてよかったと思う。
──俺たちはなおも進んだ。
夜になり、森の中で野営することにした。
交代で見張りを立て、それぞれに仮眠を取ってもらう。
俺は一人、天幕の中で休んでいた。
「魔王様、いいかしら?」
フェリアが天幕に入ってきた。
足元まで伸びた薄桃色の髪に、小悪魔を連想させる美貌。
背から伸びたコウモリのような翼や、腰から垂れ下がった尾が、ぴこぴこと動いている。
「何かあったのか?」
まさか敵襲、と身構える俺に、
「ただ会いたかっただけよ」
フェリアが微笑んだ。
「ねえ、あたしのこと……どう思ってるの?」
「唐突にどうしたんだ」
俺は戸惑いつつ彼女を見つめた。
小悪魔然とした微笑みは、その言葉が冗談なのか、本気なのかを悟らせない。
「あたし、強い男は好きよ」
「魔族にはいくらでも強い男がいるんじゃないのか?」
意図がわからず、はぐらかし気味の台詞を返す俺。
「魔王様は別格でしょ」
フェリアは笑みを深めて、すり寄ってきた。
「この間、あたしの夢の中での戦いはすごかった。魅了されたわ」
「相手が過去の魔王たちだったからな」
答える俺に、フェリアはさらに顔を寄せた。
すぐ間近に、彼女の可憐な顔があった。
さすがにドキッとする。
「ねえ、仮面を取って素顔を見せてくださらない?」
フェリアがささやいた。
「いや、これは──」
「ね、魔王様」
ふうっと吐息が吹きかかる。
仮面越しにも感じ取れるくらいに、甘い。
……こいつ、また魅了魔法を使ってないか?
いや、そもそもサキュバスにとって、それは生態みたいなものなのか。
「出会ったときから、ずっと想っていたの……あたし、本気だから」
濡れたような瞳は、俺をまっすぐに見つめ続ける──。
※
ステラは一人、執務室で書類を片付けていた。
強大な敵──『天想覇王』との戦いに突入する可能性は十分にある。
だからその前に、平時の仕事をできるだけ片づけておきたかった。
フリードの負担を少しでも減らすために。
「後これだけか……さっさと終わらせよう」
魔王の代理で決裁できるものを片っ端から処理していく。
山のように積まれていた書類が、あっという間にその高さを減じていった。
普通の魔族から見れば、驚くべき処理能力だ。
思考能力や反応速度にも長けた眷属である『眼魔』のステラだからこその仕事ぶりだった。
「ふう……」
きりのいいところまで片づけ、ステラは一息ついた。
「失礼いたします。お茶が入りました、お嬢様」
と、タイミングを見計らったように、メイド姿の女魔族が入ってきた。
緩くウェーブがかかったセミロングの紫髪。
地味な容姿に眼鏡をかけた少女である。
彼女はイレーネ。
ステラが公爵令嬢として幼少を過ごしてきたころから侍女をしてくれていた魔族だった。
彼女が魔軍長として召し抱えられると、それについて来て城で働いていたのだ。
「あら、さすがはお嬢様。あれだけあった書類もほとんど片づけてしまったんですね」
公的な場では、自分のことを魔軍長と呼ばせるところだが、今は二人である。
実家で暮らしていたころのように『お嬢様』呼びでも問題ないだろう。
母から距離を置かれていたステラにとって、イレーネは実の姉妹のように親しめる数少ない相手だった。
「さ、どうぞ」
「ありがとう」
礼を言って、ティーカップを受け取る。
香りのよい紅茶が疲れを癒してくれた。
「無理はなさらないでくださいね、お嬢様」
「これくらいは問題ない」
「お嬢様は少し真面目すぎますから。気を抜くことも覚えないと」
ふふっと笑って、イレーネがいきなりステラを抱きしめた。
「い、いつまでも子ども扱いするな、イレーネ」
照れくさくて、つい声をうわずらせてしまう。
「私にとっては、お嬢様はいつまでもお嬢様です」
イレーネがささやいた。
「妹のようなものですから」
「まったく……」
言いつつも、ステラの頬はわずかに緩んでいた。
外見年齢では同じくらいに見える二人だが、実際の年齢ではイレーネの方が百歳以上も上だ。
しばらくの間、ステラは姉のような侍女に抱きしめられていた──。
書類仕事を片付けたステラは、魔王城内を見まわっていた。
「あ、ステラ様、お疲れさまです~」
駆け寄ってきたのは、赤い髪をポニーテールにまとめた女魔族。
城内の警備隊長を務めるリリムである。
「城内の様子はどうだ?」
「変わりないです~」
答えてリリムはため息をついた。
「はあ、魔王様と一緒に行きたかったなー」
「今回の敵は強大な力を持っているようだ。お前たちを気遣ってのことだろう」
ステラがとりなした。
「あたし、魔王様のお役に立ちたかったです」
「それは私も同じだ。だが残された者にも大切な役目がある。お前は魔王城の警護に全力を尽くせ」
「あたしの、役目……」
「魔王様は、別の敵が現れる可能性も考えておられた。私たちはそれに備えるんだ」
「そう……ですね。あたし、がんばります」
リリムがグッと拳を握る。
「やるぞー、おーっ」
「その意気だ」
うなずくステラ。
「ありがとうございます、慰めてくれて」
「私は戦略上のことを述べたに過ぎない」
「ふふ、ステラ様って優しい」
「な、何を言っている!? 私は、だから、戦略上の──」
リリムの微笑みに、つい動揺してしまう。
以前なら、もっと毅然として他の魔族に接することができたというのに。
最近の自分は感情が揺らぎやすくなったように思う。
そう、おそらくはフリードに出会ってから──。
「えへへ、ステラ様も寂しいでしょ、魔王様がいなくて」
「な、な、なななな何を言っているっ!?」
悪戯っぽく笑うリリムに、ステラはますます動揺してしまった。
まるで自分の気持ちを見透かされたようだ、と思った。
仮面の下の、魔王の顔を思い浮かべる。
戦士としての厳しさは持ちつつも、優しく、他者を気遣い、そして──どこか愁いを帯びたような中年男の顔を。
(フリード様……)
心の中でそっとつぶやく。
それだけで、頬が熱く火照った。
とくん、と。
胸の奥が、甘く鼓動を打つ。
「あ、なんかうっとりした顔してる」
リリムが笑う。
「ステラ様、乙女ですねー」
「だ、だから、私は、その──」
ますます声が上ずった、そのときだった。
「──!?」
妙な気配を感じ、ステラは真顔に戻る。
「? どうかしました?」
キョトンとしたリリムに答えず、ステラは額の第三の瞳を開いた。
気配の出どころを、探る。
(これは……!?)
ステラはハッとした顔で、リリムを見つめた。
「ついて来てくれるか」
「えっ?」
「魔王城の地下で不審な気配があった。今すぐ動かせる隊を連れて、私とともに向かうぞ」