3 霧の峡谷
俺はステラとともに冥帝竜──ベルに乗り、南部地方の奥地までやって来た。
深い霧に包まれた峡谷の前で、竜を下ろす。
「ご苦労だったな、ベル。ここから先は徒歩で進む」
「助かったぞ、冥帝竜」
俺とステラがベルに礼を言った。
「本来、ボクは魔王専用の乗騎なんだけどね。ステラはボクを可愛がってくれるから、特別に乗せてあげたよ」
黒竜はそう言って巨体を揺すった。
「じゃあ、ここからはヘルハウンドの姿になるね」
ぽんっ、と煙を上げて、可愛らしい犬の姿に変わる。
ヘルハウンド形態だ。
「きゃわわ……」
ステラが目を輝かせて、犬化したベルを抱き上げる。
「ああ、可愛い……もふもふ~」
「あ、そこそこ、もっと撫でてぇ」
「ん、こうか?」
しなやかな指先で顎の下あたりを撫でるステラ。
「ふにゃあ」
「ああ、お前は本当にかわいいなぁ。すりすり」
目じりを下げ、満面の笑顔でベルに頬ずりするステラ。
すっかりキャラが変わってしまっていた。
クールな彼女はどこへ行ったんだ?
「……はっ、し、失礼いたしましたっ」
俺の視線に気づいたのか、ステラは顔を赤くして直立不動の姿勢になった。
俺とステラ、ベルは峡谷を進んだ。
「ねえねえ、ステラは魔王様が元人間だって知ってるんだよね」
「っ……!?」
ベルがたずねると、ステラは顔をこわばらせた。
「ま、魔王様──」
「ああ、匂いとかで分かったらしい。そのことは他の魔族には口止めしてあるから、大丈夫だ」
ステラにうなずく俺。
魔族の中には人間を憎む者も少なからずいるからな。
元とはいえ、俺が人間だったことを明かすのは得策じゃないだろう。
まして、魔族と戦ってきた勇者だったわけだからなおさらだ。
「ボクだって人間嫌いだしね。っていうか、ステラは?」
ベルがたずねる。
「妙に忠義心が厚いみたいだけど、魔王様が元人間だって気にならないの?」
「……フリード様は魔族を守るために戦って下さった。元人間でありながら、人間の勇者たちを相手に」
ステラは静かに、だが力を込めて告げる。
「この方の『魔族を守りたい』という意志を信じている。だから私は、この方を支える」
「ふーん」
「納得いかないか?」
「魔族の幹部は何考えているか分からない連中が多いからね。先代も、その前も、その前の前も──腹に一物って魔軍長を何人も見てきたから」
ベルが笑う。
「でも、君は違うみたいだね。今の言葉には真実の匂いがした。それくらい単純な方が好感が持てるよ。うん、本当に単純」
「……もしかして、微妙に馬鹿にしてないか」
ステラが眉を寄せた。
「してないしてない。それにステラの撫で方は気持ちいいからね。好感を持ってるのも本当だよ。ほら、もっともふもふして?」
「そ、そうか。では遠慮なく」
さっきまでの真面目トークもどこへやら、ステラはすぐに相好を崩した。
「もふもふ、お前の感触は気持ちいいなぁ……」
「あ、耳の後ろもいいかも」
「ん、ここか?」
「そうそう……ふにゃあ」
「──フリード様、敵です」
いきなり真顔になるステラ。
「えっ?」
もふもふしながらも、ちゃんと索敵を怠らないのはさすがだった。
その切り替えが急すぎて、俺の方が戸惑ってしまう。
次の瞬間、霧の向こうから黒い影が現れた。
二十体ほどのモンスターだ。
「魔族か……?」
「いえ、どうやら魔法で作られた生物兵器のようです」
と、ステラ。
おおおおおおんっ!
怪物たちが咆哮を上げて襲いかかってくる。
おそらく、それなりの戦闘力を持った連中だろう。
人間の基準で言えば、下位の勇者では太刀打ちできないクラスの、強大な魔力の気配が伝わってくる。
──とはいえ、
「『ラグナボム』」
とりあえず爆撃系の魔法で一掃しておいた。
すべてのモンスターが塵となって消滅する。
「あいかわらず瞬殺だねー」
ベルが苦笑とも呆れともつかない様子で言った。
「また来ます」
ステラが警告する。
今度は五十体ほどのモンスター。
これも魔法兵器か。
「『ファイア』」
火炎魔法で吹き飛ばした。
──だが、しばらく進むと、またモンスターの一群に出くわす。
「どれだけいるんだ、こいつら」
「迎撃用に等間隔でモンスターの出現ポイントが配置されているようです」
ため息をついた俺に、ステラが説明した。
「私の『眼』でも完全には見切ることができません。魔力を妨害したり遮断したりするような効果が、この霧にあるようです」
「とにかく警戒して進むしかないか」
言いつつ、そいつらを『バーストアロー』で撃ち抜く俺。
こんな連中に足止めを食らっている場合じゃない。
早いところ、ジュダの元までたどり着かなければ──。
──道中はおおむね問題なく進んだ。
「『エネルギーハンド』」
魔力の腕でモンスターたちを弾き飛ばす。
「『アクアブリット』」
水の弾丸でモンスターたちを貫く。
「『ウィンド』」
風魔法でモンスターたちを吹き飛ばす。
数十体単位で出てくる連中は、いずれも俺の敵じゃなかった。
やがて峡谷の奥まった場所までたどり着く。
「これは──」
俺たちは足を止めた。
今までとは、少し様子が違う。
地面に剣や槍がいくつも突き立っていた。
しかも、ただの武器じゃない。
この気配は──、
「奇蹟兵装……!?」
だが、魔界に侵入した勇者が俺がすべて倒すか、追い払った。
こんな場所に攻めてきた勇者はいないはずだ。
「今までにも勇者が魔界を攻めてきたことがあったのか?」
「いえ、前回の百の勇者の侵攻が初めてのはずですが……」
俺の問いに困惑したような答えを返すステラ。
「じゃあ、これは一体──」
俺は剣や槍が突き立った場所に近づこうとした。
「それは私の研究材料だから触らないでね」
声が、する。
振り返ると、そこに一人の少年が立っていた。
※
森の中では、勇者たちの訓練が行われていた。
あと二ヶ月と少しで行われる、第二次魔界侵攻作戦。
その参加候補者たちの訓練だ。
選りすぐりの勇者たちが剣や槍といった武装型の奇蹟兵装を振り回す。
あるいは自律型の奇蹟兵装を己の手足のように操る。
いずれも、中位くらいの魔族までなら単独で撃破するであろう猛者たちだ。
と、その一人が何かに気づいて剣を止めた。
「あれは──」
草むらから、黒い霧のようなものが立ち上っている。
──否、霧ではない。
近づいてみると、それは妖しい漆黒の輝きを放っていた。
手のひらに乗るくらいの大きさの、金属片だ。
「なんだ、これ?」
彼は金属片を拾い上げようとした。
背後で、悲鳴が響いた。
「えっ……!?」
驚いて振り返ると、そこには一面の血の海が広がっている。
訓練をしていた勇者たちは一人残らず倒れていた。
「い、一体、何が……!? がはっ!」
次の瞬間、彼は矢のようなもので貫かれた。
いや、それは矢ではなかった。
「羽毛……!?」
鉄の甲冑をも貫く、羽毛の矢。
勇者はそのまま倒れ、動かなくなった。
「見つけたぞ」
鳥のようなシルエット──魔族シグムンドがゆっくりと進む。
草むらに落ちている金属片を拾い上げ、にやりと笑った。
「魔王剣の欠片……獣帝ゼガート様に良い報告ができるな」