11 神の試練・第一段階
そこは白い輝きに覆われた異空間だった。
空中に、数千の的が浮かんでいる。
いずれも弓の訓練で使う小さな的である。
「いくわよ、『ラファエル』。すべての標的を貫け──」
ルドミラはX字型をした弓──熾天使級奇蹟兵装『ラファエル』を構えた。
弦を引き絞ると、彼女の精神の高まりに応じて光の矢が出現する。
「最大装弾精密連射!」
放った矢が全部で777本に分裂し、標的を次々に射抜く。
「……駄目ね」
ルドミラは小さくため息をついた。
すべての的を同時に射抜くには、一度に発射できる矢の数が足りない。
「精神力自体は一週間前よりも向上していますが……まだ足りないみたいですね~」
背後からの声に、ルドミラは振り返った。
立っていたのは、花のように愛らしい一人の少女だ。
ツーサイドアップにした銀色の髪に真紅の瞳。
小柄な体にまとうのは、瞳と同色の赤い衣装。
頭上には輝く光輪が浮かび、背からは白い翼が伸びていた。
「……ルージュ様」
「引き続きがんばりましょ」
彼女──ルージュが微笑む。
「その奇蹟兵装の力をすべて引き出せば、今の三倍の数の矢を出せるはずですよ」
「三倍……ですか」
ルドミラはうめいた。
精神力を限界まで振り絞り、意識がぼうっとしていた。
光の矢を生み出すと、精神エネルギーを消耗する。
一度に放つことができる矢は777本が限界だ。
その三倍の数の光の矢を生み出すなど、考えただけでも頭がくらくらする。
「ルドミラさん、これくらいで疲れるようでは、神の試練の第一段階すら突破できませんよ~」
ルージュがにっこりと微笑んだ。
──彼女に出会ったのは一週間ほど前。
来たるべき魔界での決戦に備え、ルドミラは同じ四天聖剣のフィオーレとともに修行と奇蹟兵装の強化に努めることになった。
その方法を聞くために『神託の間』に入った。
地上で唯一、天界の神と通信できる部屋である。
部屋に入ると、一人の少女が現れた。
「ようこそ~。勇者ギルドの人たちから聞いてますよ。修業したいというのは、あなたたちですねっ」
「あなたは……?」
「わたしは神の使い──『紅の使徒』といいます。あなたたちのコーチ役です~、よろしくねっ」
妙に軽いノリともに、彼女が挨拶をする。
「神の、使い……」
「天使様、ということでしょうか?」
フィオーレがたずねた。
結い上げた金髪に気品のある美貌。
貴族令嬢であり、熾天使級奇蹟兵装『ミカエル』を操る四天聖剣でもある勇者だ。
「ですね。ルージュとお呼びくださいな」
にっこりと笑ったルージュは、
「神話の時代──神々と魔王ヴェルファーは激しい戦いを繰り広げました」
突然語りだした。
「神々は人間に奇蹟兵装を与え、その戦いの末にヴェルファーを打ち倒しました。配下の魔族たちも弱体化し、彼らは魔界に撤退しました」
神々と魔王との戦いの歴史だ。
それはルドミラも知っていた。
「神々も大きな傷を受け、長い休眠期間を必要としました。ですが、その傷も癒えつつあります。人間と断片的な交信しかできなかった状況から、こうして天使を──つまり、わたしを派遣できるまでに回復したのです。めでたしめでたし~」
ルージュが嬉しそうに笑う。
「というわけで、このわたしがあなたたちをバッチリ鍛えちゃいますね。ちょっと危険も伴いますけど、強くなるためにがんばってついて来てくださいね~」
「……よろしくお願いします、ルージュ様」
天使というには、威厳のかけらもない少女を前に、ルドミラは戸惑っていた。
「じゃあ、さっそくレクチャー開始。まず奇蹟兵装について」
と、ルージュ。
「ご存知だと思いますけど、奇蹟兵装の稼働には大量の精神エネルギーを消耗します。あまり長時間の戦いには向いてないわけですね」
確かに、その通りだ。
ゆえに、魔族と戦うときは消耗具合も計算し、複数の勇者で当たるのが基本戦術となる。
「また精神エネルギーの変換ロスの問題もあります。たとえば十の精神エネルギーを使用したとして、奇蹟兵装が攻撃力として変換できるのは通常で三割から四割程度。これを十割に近づけるようにしましょう。そうすれば、より高威力かつ高精度の攻撃を放つことが可能です」
ぴっ、と人差し指を立てて、ルージュが説明する。
「そこで、まず第一段階として、あなたたちの精神力を強化しましょう。第二段階はエネルギー変換効率の向上。そして最終段階でわたしとの実戦訓練です。この三つをすべてクリアすれば晴れて合格となります~」
「三つの試練、というわけですか」
「そういうこと。じゃあ、さっそく一つ目。精神力の強化です」
たずねたルドミラにルージュが微笑んだ。
「正確には、奇蹟兵装を稼働させるための精神エネルギーを、より強くするということですね」
「精神エネルギーを、強く……」
「奇蹟兵装を操るのに必要なのは、心の力。思い出してください。あなたが戦う理由を。そして強く象るのです。今よりも、もっと強く。もっともっと強く」
神の使徒たる少女は語る。
「その想いの先に──心が成長した果てに、あなた方はさらなる力を得るでしょう」
「つまり、あたしたちの心次第ということですね」
ルドミラがうつむく。
「もっと……心を強くもたねば……」
「あなたは少し思いつめるところがあるようですね。もっとリラックスですよ」
ぱちんとウインクする天使。
「確かに、ルドミラさんは真面目すぎますわね」
フィオーレが微笑む。
「隣の『神託の間』でも担当の天使が、あなたたちのお仲間を鍛えているはず。負けないようにこちらもがんばりましょうねっ」
と、ルージュ。
「──というわけで、さっそく移動です」
ぱちん、と指を鳴らす。
同時に、周囲の景色が切り替わり、白く輝く空間が現れた。
ルージュの話によれば、修業のために生み出した異空間なのだという。
今ごろは四天聖剣のシオンとリアヴェルトも同じように修業しているということだった──。
──というわけで、修業が始まった。
それから一週間。
ルージュの指導により、ルドミラは今のような訓練を続けている。
『ラファエル』の最大装弾数を増加する訓練だ。
だが、成果は今のところゼロだった。
最大装弾数は777本のまま、一向に増えない。
「やっぱり駄目ね……あたしの精神力が足りない……!」
「うーん、もっと気楽にやったほうがいいですよ~?」
「でも、次の魔界侵攻作戦では、あたしたちも同行できるかもしれないんです」
前回の侵攻作戦では、四天聖剣は参加できなかった。
彼女たちが扱う熾天使級奇蹟兵装は、他のクラスの奇蹟兵装に比べて圧倒的に高い聖性を持つ。
その聖性が魔界の結界に跳ね返され、通過できなくなるのだ。
彼女たちが魔界へ行くためには、結界に今までより大きな穴を空ける必要があるそうだ。
それは上層部で進めているそうだが──。
「だから、あたしも戦力になりたい。手も足も出なかった魔王に、今度こそ勝ちたい──いえ、勝たなければいけません。でなければ、多くの人たちが犠牲に……ひゃあんっ!?」
言いかけたところで、いきなりルージュに抱きつかれた。
「はい、思いつめすぎ」
ぎゅうっと抱きしめられて、少しだけ落ち着きを取り戻す。
「もっと、りらーっくすしましょ?」
「ですが、ルージュ様。気楽に構えていては、魔王を超える力は手に入りません……!」
「りらーっくす、って言ってるのに~」
ルージュがまた抱きついてきた。
「生真面目ですねぇ。うーん……ルドミラさんには、こういう荒療治っぽいのがいいかもですねー」
ぱちんと指を鳴らすルージュ。
「荒療治?」
たずねようとした直後、
「きゃあっ……!?」
離れた場所で訓練していたフィオーレが、突然悲鳴を上げる。
虚空から何本もの黒い触手が現れ、彼女を取り囲んだのだ。
「こ、この──」
手にした細剣──奇蹟兵装『ミカエル』で触手群を斬り裂こうとするフィオーレ。
「ちょっと取り上げさせてもらいますね~」
ルージュの放った光弾が、フィオーレの手から細剣を弾き飛ばした。
丸腰になった彼女の四肢に触手が絡みつく。
触手は十本、二十本と数を増していき、やがて──周囲一面が、数えきれないほどの黒い触手群に覆われた。
「はっ、ああぁぁぁぁ……いやぁぁぁぁっ……!」
触手群に拘束されたフィオーレが悲鳴を上げた。
秀麗な顔が苦悶に歪んでいる。
「あの触手には精神汚染能力があります。放っておくと気が触れてしまいますよ?」
「なっ……! 彼女を離してください!」
ルドミラは怒りの声を上げた。
「危険な修業だと最初に言ったでしょう?」
ルージュの顔から笑みが消える。
先ほどまでの気楽な雰囲気は消えていた。
氷のように冷たい雰囲気だ。
「命も懸けずに何を手に入れるつもりだったんです? あなたたちが求める力は、そんなに軽い物ではないはずですよ」
「くっ……!」
「さあ、仲間のピンチだけど……どうします?」
「貫け、『ラファエル』!」
777本の矢で触手をまとめて吹き飛ばす。
「無駄ですよ」
ルージュが冷然と告げて、ぱちんと指を鳴らした。
またたく間にすべての触手が再生してしまう。
「その触手は全部で2000本あります。そのすべてを同時に破壊しない限り──一本でも残っている限り、瞬時に再生してしまうんです」
「2000本を、同時に……!?」
だが『ラファエル』の最大装弾数は777本だ。
一度の攻撃で触手すべてを消し飛ばすのは不可能だった。
「迷っている暇はありませんよ。仲間の心が壊れるまで、あと少し──」
ルージュがルドミラを見据えた。
「あなたはかつて、魔族に大切な者を根こそぎ奪われていますね? 今また──自分の非力さで、大切な仲間を失いますか? それとも」
「あたしは……」
すべてを滅ぼされた、あの日のことを思いだす。
あんな絶望はもう嫌だから。
誰か失うのはもう嫌だから。
もう誰も死なせたくないから。
だから、あたしは勇者になった。
「力なき者は何も守れない。力なき正義は誰も救えない」
「あたしは──」
ルージュの言葉に、ルドミラは『ラファエル』を強く握りしめた。
「あああ……ああ……ぁぁぁぁ……っ……!」
目の前では、苦しむフィオーレの姿がある。
黒い触手群が──村を襲った魔族の姿に重なった。
許せない。
憎い。
心の奥底で、何かが湧き立つ。
「力が……」
欲しい。
すべてを壊す力を。
すべてを、殺す力を。
──どくん。
心の奥で、蠢くものがあった。
ドス黒い、殺意だった。
神の武具である奇蹟兵装を起動させるには、もっともそぐわない負の感情。
──どくんっ!
ルドミラの持つ『ラファエル』が激しく鳴動したのは、そのときだった。








