4 ステラ
目の前を、小さな少女が歩いていた。
まるでステラが子どもになったような容姿だ。
「ステラ……?」
声をかけると、少女が振り向いた。
あどけない顔立ちには、やはりステラの面影があった。
「子どもになっている……のか?」
小さなステラが近づいてくる。
「おい、ステラ──」
呼びかけた俺を無視して、彼女はまっすぐ近づいてきた。
そして、
「えっ……!?」
そのまま俺の体を突き抜ける。
まるで実体がないかのように。
この小さなステラは、幻像の類なのか?
……お母様。
彼女がつぶやいた。
同時に、胸の中に何かが流れこんできた。
寂しさ。
孤独感。
不安。
そして──母への愛情。
「ステラの気持ちが……流れこんでくる、のか?」
戸惑う俺。
夢の中の世界にいる影響なのか、これは?
「ステラ……愛しい娘……」
気品のある美女が小さなステラを抱きしめた。
今度は、強烈な喜びが俺の胸をよぎった。
これもステラの感情なんだろう。
二人とも俺のことは気にも留めない。
いや、そもそも俺が見えていないのか。
戸惑う俺に構わず、二人は話している。
目の前の光景が切り替わり、城の中からよく手入れされた中庭へと変わった。
そこでも小さなステラとその母が談笑している。
「もしかして、彼女の幼いころの記憶なのか……?」
──そして俺は目にすることになる。
ステラの、過去を。
※
ステラ・ディー・アーゼルヴァインは魔界五大貴族の一つ、アーゼルヴァイン公爵家の長女として生を受けた。
アーゼルヴァインは『眼魔』と呼ばれる眷属である。
すべてを見通す『眼』を持つ魔族──ゆえに、眼魔。
「お前は魔王に仕えるために生きるのよ、ステラ」
「はい、お母様」
美しく気品のある母──マルセラ・ディー・アーゼルヴァインはステラの憧れだった。
魔神眼の称号を持ち、魔軍長として働く母のようになりたくて、ステラは自らの力を磨いた。
眼魔としての『眼』の力を。
マルセラは魔王の側近として多忙な日々を送っていた。
自宅である城にいる日は、一年を通じて数えるほどしかない。
ステラには、母に抱きしめられた記憶がほとんどなかった。
そんな母も、ステラの秘めた『力』には関心を示してくれた。
「あたしが力を磨けば、お母様は喜んでくれる」
透視や遠隔視を。
麻痺眼や毒眼を。
呪怨眼や天殺眼を。
ステラはあらゆる瞳術を訓練し、すさまじい速度で習得していった。
「見て、お母様。あたし、また力が強くなったの」
新しい術を一つ覚えるたびに、ステラは嬉々として母に報告した。
「褒めて、お母様」
ステラは一族始まって以来の天才と謳われた。
「あたし、また瞳術の力が強くなったよ、お母様」
それが誇らしかった。
母に、そんな自分を見てほしかった。
「ねえ、あたしを見て。褒めて。愛して。お母様──」
ステラの瞳術は日に日に成長していった。
だが、途中までは賞賛してくれていた母は、徐々に態度が変わっていった。
「ステラ、そろそろ修業は終わりにしなさい」
「えっ、どうして……?」
「過ぎた力は災いを呼ぶ。お前の才がここまでとは……放っておいたのは失敗だったか」
「あたし、よく分からない」
「お前はもう十分な力を得たの。すでに私を超えているわ。いずれは魔軍長の座を継ぐでしょう」
母の微笑みが、そのときは妙に冷たく感じた。
「あたしがお母様みたいに……?」
「そうよ。だから力を磨く必要はもうないの」
「でも、あたし、もっともっと力を強くしたいよ。お母様にもっと褒めてもらいたいの」
「このままでは、お前は『あの力』に到達してしまう。そうなれば、私は──」
母の言葉は難しく、まだ小さなステラには理解するのが難しかった。
「すごい、ステラお嬢様は天才ですね」
「ここまで『眼』を使いこなせる方は、歴代で誰もいませんよ」
「マルセラ様もきっと鼻が高いですわ」
周囲の魔族は変わらず賞賛してくれる。
そう、きっと母も褒めてくれるはずだ。
ステラは、その後も母に隠れて修業を続けた。
彼女の力はさらに増し、新たな瞳術を次々に会得し、そして、
──決別の日は突然、訪れた。
「お前は、目覚めさせてはならない力を身に付けた」
怒りの声が響く。
「だって、お母様に褒めてもらいたくて」
「私がいつそんなことを言った? 力を磨くな、と命じたはずだ」
母の顔が鬼の形相になった。
「だって……だって……」
ステラは戸惑った。
他に、母の目を自分に向ける方法を知らなかったのだ。
多忙な母が唯一自分を見てくれるのは、瞳術のことだけだったから。
その修業を止めてしまえば、母はもう自分を見てくれない──。
そんな不安感で、ステラは止まることができなくなっていた。
「お前は私の命令通りにすればいい。余計なことをして」
母の瞳が妖しい輝きを放つ。
その輝きは稲妻となって、ステラの全身を打ち据えた。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!」
全身に走る激痛。
意識がかき回され、薄れ、混濁する。
自分が自分でなくなるような恐怖感と絶望感。
「この『呪い』は罰だ」
母が冷たく告げる。
「今後お前は、普通の魔族よりも魔力の回復が遅くなるだろう。瞳術の力も格段に落ちるはずだ。目覚めつつある、あの力──『黙示録の眼』はもはや二度と使えない」
「ああ……ああぁぁぁぁぁぁ……っ」
「私の代で『忌み子』を出してしまうとは。私は裁きを受けねばならない。お別れだ」
母は背を向けた。
かつ、かつ、という足音が遠ざかっていく。
「えっ、どこへ行くの、お母様……?」
「私は、裁きを受けなくてはならない。お前とはもう二度と会うことはない」
「待って、行かないで! あたしを一人にしないで、お母様……っ!」
第三の瞳から血の涙を流しながら、ステラは絶叫した──。
※
「ああ……ああぁぁぁぁぁぁ……っ!」
俺の目の前で、小さなステラが苦しんでいた。
その姿が徐々に大きくなり、やがていつもの姿へと戻る。
「ああああ……ぁっ……!」
なおも苦鳴は続いた。
さっきの映像で見た呪いだろうか。
「ステラ!」
俺は彼女の側に駆け寄った。
そっと手を伸ばす。
どうやらさっきまでの幻影じゃなく実体みたいだ。
「はあ、はあ、はあ……」
「嫌……嫌だよ……いなくならないで、お母様……」
「ステラ、しっかりしろ」
「あたし、ちゃんと言うこと聞くから……お母様の命令に従うから……あたしの側にいて……お母様……」
普段のクールさなど、欠片もなかった。
まるで小さな女の子のようにステラはおびえ、嗚咽していた。
「俺が側にいる。大丈夫だ」
仮面を外して語りかけた。
「フリード……様? あたし──」
ステラが呆然とした顔で俺を見上げる。
涙に濡れた瞳が俺を見つめる。
「ステラ」
「あた……し……」
ステラは泣きながらすがりついてきた。
「フリード様……」
「大丈夫だ、俺がついている」
腕の中で震える彼女を、そっと抱きしめる。
彼女の体は柔らかく、思った以上に小さい。
力を込めると折れそうなほどに細く感じた。
俺はステラを、壊れ物のように抱きしめていた──。








