6 魔王と魔王
執務室を出た俺は、城の最上階に向かって進んだ。
ゆるやかなカーブを描く回廊──その先の部屋は、公的には俺の私室ということになっている。
が、実際にそこにいるのは、先代魔王ユリーシャの精神体だ。
以前にも一度、魔王の資格を継承するために呼び出されたのだが──。
彼女はこの城に留まりたいということだったので、その後もこの部屋で過ごしてもらっているのだった。
俺としても、何かあったときの相談役として先代魔王が控えてくれるのは助かる。
今回は、煉獄魔王剣の欠片について聞くつもりだった。
ライルとの戦いの際、俺の力が弱体化したのはなぜなのか?
ステラに同じシチュエーションを再現する実験を手伝ってもらったが、そのときは強烈な弱体化はなかった。
違いは──なんなのか。
もしも敵対者が同じように魔王剣の欠片を持っていたら、苦戦を強いられるだろう。
今のうちに対策を立てておきたかった。
「ほう、また来たのか」
闇の中に、薄明りが灯ったような異空間。
そこに一人の少女が立っていた。
俺の腰辺りまでの身長。
長い黒髪に愛らしい容姿。
来ている黒ローブは丈があまってダボダボだ。
「教えてほしいことがあって来たんだ、ユリーシャ」
俺は先代魔王ユリーシャに挨拶した。
正確には、魔王が精神エネルギーで作った仮初めの姿──まあ、幽霊みたいなもんだ。
「ん?」
「魔王剣の欠片のことだ」
俺は人間界での出来事について話した。
ライルとの戦いで、奴が手にした欠片によって、俺の力が大きく削がれたことを。
「……ライルというと、あの小僧か。わらわを炎で焼き尽くした……おのれ」
ユリーシャが怒りの表情を浮かべた。
「精神体でなければ、わらわ自らが人間界まで赴いて、生まれてきたことを後悔するほどの苦痛と絶望を与えてやるというのに……ぐぬぬぬ」
「罰なら、与えたさ」
俺は小さく息をついた。
生きている限り、永遠に続く激痛。
そして奴の野望の終焉。
ライルはもう……勇者としても人としても、再起不能だ。
「で、分からないことがいくつかある。まず、あいつが魔王剣の欠片を持っていたのは、なぜなんだ?」
「魔王剣はもともと、わらわとお主たちが戦った場所の近くに安置されていたからな。戦いの際に、欠けてしまったのかもしれぬ」
ユリーシャが答えた。
「その欠片をあの小僧が持っていたんじゃろう」
「なるほど……」
うなずく俺。
「ライルとの戦いで魔王の力が弱まった理由は分かるか?」
「煉獄魔王剣自体は武器というより祭具じゃからな。そのような機能はないはずだが……そもそも、わらわのときにはそんな現象は起きたことがないぞ。うーむ……?」
ユリーシャが首をかしげる。
「ステラに持ってもらったときは、弱体化現象はなかったし……俺にも分からないんだ」
「……お主は元人間じゃからな。その辺りに関係があるのかもしれん」
ユリーシャが俺を見据える。
「お前にも理由は分からない、ってことか」
「魔力の解析に長けた者がいれば、分かるかもしれんな」
「解析……」
「かつての魔軍長『極魔導』ヅィラームならば、あるいは突き止められたか──だが、奴は先の勇者との戦いで討たれてしまった」
「もしかして、お前みたいに幽霊になってないかな?」
「誰が幽霊か!」
ユリーシャの手から猛烈な勢いで炎がほとばしった。
ごうんっ!
大爆発が起こったが、俺は魔力障壁を張ったから無傷だ。
「いきなり呪文撃ってくるなよ」
しかも最上級呪文の『メガファイア』だし。
普通なら跡形もなく消し飛ばされてるぞ。
「このわらわを幽霊扱いしたからじゃ」
幽霊みたいなものだと思うけど、そう言うと怒るんだったな、ユリーシャは。
気を付けよう。
「他の魔族は死んだ後にそういう体を作れないのか?」
「わらわは特別製じゃ。元魔王じゃし、何よりも最上級の蘇生魔術を自身にかけておったからな。そのおかげで精神体としてこの世に留まれたにすぎん」
ふん、と胸を張るユリーシャ。
「普通の魔族なら、殺されれば終わりじゃ。その辺りは魔も、神も、人間も──大して変わらんよ」
「そうか……」
俺は顎に手をあててうなった。
「地道に解明するしかない、か」
「対抗手段は常に模索していくべきだろう。あとは──もう一つ手段があるぞ」
「もう一つの手段?」
「簡単なことじゃ」
ユリーシャが上目遣いで俺を見つめる。
「お主を守ってくれる強力な味方を増やせばいい」
「味方……」
「その候補となるのは、まず魔軍長じゃろうな。お主のそばにいるのは魔神眼のステラと不死王リーガルか」
「ステラにはいつも助けてもらってるよ。リーガルは……あまり顔を合わせる機会がないんだけど」
出会いからして、いきなり決闘だったしな。
「ふむ。リーガルは人間を憎悪しておるからの。お主が元人間だと知られないように気を付けよ」
「そうなのか?」
「魔族の中には、人を憎む連中が少なからずいる。その理由は様々じゃが……魔族による人間界侵攻は、彼らが主戦派となって行われておる」
解説モードのユリーシャ。
「リーガルはその筆頭格じゃ。人間など、一人残らず滅ぼせばいい、と考えておるだろう」
「……そこまで過激なのか」
「後は獣帝ゼガートと夢魔姫フェリア……二人とも一筋縄ではいかんぞ」
その二人とはまだ連絡が取れていないな。
「強く、信頼できる臣下をそばに置くことじゃな。一人でも多く」
ユリーシャが笑う。
「ただし──その臣下に足をすくわれぬように気を付けよ。王とは、本質的に孤独な存在だ」
その笑みに、かすかな陰がさした。
ユリーシャとの会談を終え、俺は執務室に戻った。
「魔王様!」
その途中、ステラが走り寄ってくる。
休んでいてくれ、って言ったんだが──何かあったのか?
「事件です……っ」
息を弾ませ、告げるステラ。
「事件?」
「王冠が盗まれました」
「……なんだ、王冠って」
たずねる俺。
「もちろん、魔王様の王冠です」
「そんなのがあったのか」
魔王に生まれ変わった際、俺はローブを身に付けていたし、杖もあった。
だけど王冠は見てないな。
「ええ。戦時が続いたゆえ、まだお伝えできていなかったのですが……」
言って、ステラが唇を噛みしめた。
「魔王様にお見せしようと、先ほど王冠を磨いていたのです。そこに犬が迷いこんできて──」
述懐するステラ。
「あまりにも可愛いので、つい気を緩めてしまいました」
可愛い犬なら気が緩むのもしょうがないな。
「あ、ちなみに私は犬派です」
「俺も犬派だ」
猫は猫で好きだが。
「……すみません、話が逸れました。とにかく、その犬が突然本性を現しまして」
「本性……?」
「冥闇犬です」
ステラが告げた。
「魔獣と化した犬は私の手から王冠を奪い、風のように去っていったのです……」








