#3 旧校舎 その①
次の日の昼休み、リョドーは学園室へ赴いた。
嫌な緊張だけが重くのしかかる。
「……失礼します」
「おぉリョドーさん、まぁ掛けてくれ」
グレーのスーツを纏い、杖をついた目の前の老人。
彼こそが、この王立ファルトゥハイム学園の学園長だ。
老いて尚も宿すその眼光は、かつての歴戦の猛者としての面影を残している。
学園長は上座に座り、皺のよった表情を更にきつくしながら。
「リョドー・アナコンデルさん、元英雄のアンタには悪いがこれまでの勤務態度とを鑑みての判断なんだが……」
「は、はい……」
溜息しか出ない。
完全なる、クビ宣告である。
リョドーは、黙ってうなずく他なかった。
1ヶ月以内に引継ぎ作業を終わらせること、それが最後の指示だ。
ペコリと一礼して学園長室から出ていく。
「……もう勝手にしやがれ」
その後はどうやって用務室に戻ったか、はっきりと覚えていない。
何人か自分に話しかけてきた気がする。
また因縁をつけてきた出雄は殴った。
長年使ってきたデスクが、目の前にある。
チェアを動かし、重々しく座った。
クビを言い渡されても尚、やる気を出して仕事に打ち込むなど、どうして出来ようか。
放課後までデスクに伏して眠ることにした。
不思議と瞼が重く、うつらうつらと意識を薄れさせていく。
「ん……寝すぎたかな」
次に目を覚ましたのは放課後、周りは茜色に染まっていた。
まぁ流石に何もしないのはまずいだろうと思い、掃除用具一式を持って正門前まで歩く。
なんとか気合で掃除をしていると、グラビスがこちらに向かって走ってきた。
「あれ? おじさんが正門前をここまで綺麗にするなんて珍しいね?」
「おいおい、俺を侮るんじゃあない。俺が本気になったら校舎なんぞ、新築レベルで綺麗になるぞ?」
「あはは、おじさんってホント面白いね」
いつものような言葉の掛け合い。
それももう終わってしまうと考えると、寂しかった。
自業自得とはわかっているが、こういった感情はそうもいかない。
「……で、なんのようだ? もう帰るんだろう?」
「もー、またそうやって早く帰らそうとして……まぁいいや。それはそうとさおじさん」
「うん?」
突如、この季節には似合わない生暖かい風が、二人の間を吹き抜ける。
「この学園に古くからある、"伝説"って、知ってる?」
突然のそのワードに大きく目を見開く。
そういった類の話が、こんな名門校にあったことすら知らなかった。
「……いや、知らないな。だが、どうにも胡散臭い」
「あー、疑ってるね? すごいんだよこれは。おじさんのこれまでの冒険を遥かに凌ぐかもだよ!」
自慢げに鼻息を鳴らすグラビスとは対照的にリョドーはこめかみに手を当てる。
「一応聞いといてやる、どんなのだ?」
「うん!えっとね、この学園の裏側には旧校舎あるじゃない?そこにまつわるお話なんだけど……」
彼女の話す内容はこうだ。
今から2000年以上も昔、この地には、"白銀と黒鍵の神 ダオロス"を祀った巨大神殿が、建造されていたという。
幾多の戦争や天変地異で神殿は塵となり、その上にいつしか学び舎が出来たのだ。
それが今の旧校舎であるとのこと。
「ほーん、そんな歴史があったのか……」
「ふふふ、興味深いでしょ? まだ続きがあるの……」
実は、その地下には神殿の名残があり、今も尚古代遺物は奇妙な脈動を続けているというのだ。
その一端を担うそれこそが、旧校舎の地下にある"巨大な柱"であるという。
その巨大な柱に『隠された呪文』を唱えると、未知へと扉が開かれるというのが概要だ。
「ほーう……面白そうだな。しかしよくそんな話を知ることが出来たな? 情報ソースはなんだ?」
「ん? あ、えっとね? ――これこれ!!」
鞄から、1冊の本を取り出す。
辞典のような分厚さで、地味なオーカーの表紙。
紙質の傷み具合からは、その書籍の古さが見て取れた。
魔術書や教科書などではなく、よくある小説かエッセイかと推測する。
タイトルは――――――『От возмездия с любовью』
作者:Автор неизвестен
「……(見たこともない文字だな。お、下に訳文が)"報復より愛を込めて"。作者……"読み人知らず"。――なんだこれは? 知らないな」
「えー! おじさん、この人の本知らないの!? 通称『アフター』。これは30年前くらいの本なんだけどね、内容がすごいのよ?」
嬉々とした表情で、本の内容を話し始めるグラビスはまさに水を得た魚。
高速言語で、雪崩のようにしゃべり倒す。
「考古学者たちがある古代神殿に訪れてその地下に"巨大な柱"を見つけるの。柱には見たこともないような文字が刻まれていて、さっそく調査を始めるんだけど自分の国の政府によって調査を打ち切るよう言われるの。納得できない考古学者たちは、構わず調査を続けるんだけど突如現れた政府の送り込んだ刺客によって……」
「言いたいことは大体わかったストップストップ! ――それで? その作家さんと、今回の伝説とやらとは何の関係があるんだ?」
本自体に興味はなかったので、早々に本筋を聞き出すことにした。
グラビスは本を大事そうにグッと両手で持ち、瞳を宝石の様に輝かせながら顔を近づける。
「作者は有名な魔術作家でね、ここに取材で来たことがあるらしいのよ。そのときにモデルにしたのが、旧校舎の地下にある巨大な柱。つまり今回の件ってわけ」
「ほう、モデルになぁ」
「その時からかなぁ、この伝説が流行りだしたのが。でも肝心な呪文がわからなかった」
「呪文がわからない? 」
「うん、私も必死に探してるんだけど……」
「おいおい大丈夫か? ……仕方ない、ちょっと協力してやろう」
リョドーの言葉に、ぱぁっと表情を明るくする。
うれしそうに何度も飛び跳ねる彼女に、軽い笑みがこぼれた。
(いつまでたっても子供だな……さて)
まずは本を調べてみることに。
グラビスはリョドーに本を手渡し、期待に輝く目を向けている。
彼女の期待に応えるためにも、リョドーは必死にページをめくる。
「どう? わかりそう?」
「まぁ待て、落ち着け、こういうのはじっくりとだな……」
「う~ん、貸してあげるから家に帰って調べた方が……」
「いやいや、ここで……あっ!!」
ページをめくろうとした瞬間、手から本が滑り落ちる。
バサッと音を立て地面に落ちると、傷んでいた表紙が外れてしまった。
「ちょ、おじさんなにしてんの! 表紙が取れちゃったよ!?」
「あぁすまん! ちゃんと直す、直すから!」
外れた表紙を手に取った瞬間、リョドーはあることに気づく。
(この表紙……背の裏側になにか仕込まれている……?)
調べてみると、背の裏側に古い紙が折りたたまれ張り付けられていた。
破れないよう慎重に取り外し、ゆっくりと開く。
紙にはこう書かれていた。
『在す導きは忘却の彼方へ
黄昏に軍靴を鳴らし、喉を潰し、痰を吐き出す
されど我は汝の黒馬車に寄り添い
最果ての園への旅立ちを待つ者なり
開け、我が願いよ
真実の扉となりて古えよりの沈黙を具現せよ』
詩のような呪文だ。
少なくとも魔術書にはない不思議な文字列。
「もしやこれが……?」
「……確かめてみる価値はありそうだね」
グラビスは歓喜に震えていた。
新たな発見に、今にも叫びだしそうな勢いだった。
「……これは君に預けよう」
「いいの?」
「あぁ、ちょっと興味がわいた。あ、だが勝手に突っ走るなよ?」
「ふふふ、わかってるよ。……あぁ、今日はもう寝られないかも!」
そのまま弾丸のような速さで、帰っていってしまったグラビス。
後になって、この壊れた本をどうしようかと悩むリョドー。
(本はとりあえず接着剤でくっつけとくか……。そんなことよりもグラビスだ。無茶しなきゃいいんだが。……やっぱ俺が持っていた方が良かったかもしれない)
グラビスの魔術師としての才能は、母親とその夫を遥かに凌ぐものであった。
その歳で魔術のほとんどを極め、国1つを相手にしても、平然と立ち向かえるほどの力を持つ。
底のしれない可能性と実力の持ち主だ。
最近では自らギルドや軍へ赴き、魔物や盗賊の討伐、果ては戦争にまで手を貸してしているという。
勿論、そんなものは出鱈目だと思っている。
根拠はないが彼女を信じたい、と心から思っている。
「さて……もう俺も帰るか」
作業もそこそこに戻ろうとすると、ふと視界の端に映り込んだ。
――――"旧校舎"だ
廃墟と化しボロボロの状態のソレは、今の時間も相俟って、ひどく不気味に映る。
その雰囲気に触発されたかリョドーの心の中で、好奇心にも似たような高揚感が湧き出てくる。
それは視線が釘付けになり、動こうとは思えなくなるほどに。
次の瞬間、不意に風が吹きガタガタと遠くの旧校舎が大きく揺れた。
「……行って、……みるか」
用務室へと戻るはずの足は、旧校舎へと進んでいった。