#20 そんなに俺が悪いのか?
名殻出雄は激怒した。
いくら進んでも出口の見えぬ、この薄ら闇に。
そして、執拗に尻や背中を蹴ってくる、亡霊ソフィーティアンヌに。
「もうやめろ! そしてついてくるな! お前みたいなやかましい女の面倒はうんざりなんだ!」
『私が諦めるのを諦めろォッ!』
ソフィーティアンヌの猛攻に耐えながら、この第6層を進んでいく。
目の前に広がるのは、古代都市のような巨大な空間。
石造りの建物が所狭しとならび、各通りの溝には清らかな水が流れている。
1層や3層のような華やかさはない。
無人の寂しさと、どこまでも続く薄暗闇が街を覆っている。
石と水の冷たさが空気と交わり、2人の頬を優しく撫でた。
「神殿の中に街が……」
『キヒヒ、すげぇだろ? ここは遥か昔、兄様が密かに建造した地下神殿。人員はどうやって確保されたのかは知らねぇが、やっぱり兄様はこの世で1番の御方だ……』
うっとりとソフィーティアンヌの顔が惚けるのを、苦い顔で見る出雄。
"兄様"とは生前の兄弟のことだろうか。
彼女は歴史に名を残さない王の1人娘。
その上には3人の兄がいる。
長男は王位継承者にして最後の王。
彼が王位を継いで数年後に、文明は戦争や自然災害などで歴史の表舞台から消えたという。
次男は文武に長けた気性の荒い性格の武将だ。
戦場では数々の武功を上げた英雄の1人でもある。
三男は長男と共に内政において建築や治水などを手伝ったが、特に目立った経歴はない。
任された仕事を淡々とこなすだけの人間であると、歴史には刻まれている。
「兄様兄様うるさいな……確か3人いたな、長男か? 次男か?」
『は? なんでテメェに教えなきゃなんねぇんだ。野垂れ死にが嫌ならとっとと進めボケ』
頭にのりやがって。
腹は立ったが、コイツの軽口を利用しない手はない。
なので、ソフィーティアンヌをおだててみた。
「……いや何、お前があまりにも心酔しているものでな。ちょっと興味を持ったんだ。この地下神殿を築く程の力とカリスマ性は、きっと絶大なものだったろうからなぁ?」
『あ、わかる?』
兄様の話題を振るとコロリと態度を変えた。
『この偉大な地下神殿を築いたのは、御三男の方だ。名をヴェリンカルナ。上の兄様方も優秀だが、1番はこの御方だ』
「三男坊が? 意外だな。まぁ当事者がいうんだから間違いはないだろう。……だが、お前。確か穴に落ちる前……"兄様の邪魔はさせない"と言っていたが。そいつもお前と同様この世にまだ存在しているのか?」
『……さぁな』
「隠し事が下手だな、その兄貴とやらも苦労するだろうなぁ」
『テメェが言えたことか。テメェだって隠し事をしてるってぇ顔だぞ? キヒヒ、私にはわかるのさ』
「………………」
下卑た笑みを絶やさずに、前方へと周り出雄の顔を見上げる。
『テメェ、他の連中とは違うな。この地下神殿に然したる興味も無ければ、遠足気分で来たわけでもない。なぜアイツらと同行してんだ?』
なにかを見抜かれているようで、つい怪訝な表情になった。
実際この神殿に興味はない。
あるのは己の強さを求めることのみ。
そのためには……。
『ふん、あの中に目の敵にしてるやつでもいるってか?』
出雄の心を言い当ててみせる。
「黙れ。貴様には関係のないことだ。……俺はアイツを、リョドー・アナコンデルを認めはしない。アイツが……史上最強の英雄だと? くだらない幻想だ。必ずやその幻想ごと俺が奴を張り倒し、更なる高みへと昇る」
『ほぉう、あのクソ中年オヤジそんなに強ぇのか? ま、どうでもいいが。現代を生きるテメェ等がどれほど強かろうが、私の兄様には勝てねぇよ』
2人の騒がしい声が、澄んだ空気に乗って響き渡っていく。
このとき、出雄は不思議と緊張感を感じなかった。
それと同時に違和感を覚えていた。
これだけ騒いでいるというのに、あまりにも周囲が静かすぎる。
この地下神殿にいるのは、ソフィーティアンヌだけではあるまい。
(こうもひっそりとしていると逆に不気味だ。本当にコイツと兄様とやらだけなのか? 否、他にもいる。何か邪悪な思念を感じる。……関わるとろくでもないことが起こるような。俺の勘がそう告げているッ!)
空気が冷たく感じた。
にじみ出る汗が体を冷えさせ、歩調を鈍くしていく。
そしてついに感じ取った。
邪悪な思念、その元となる存在を。
「誰かいる……この街の広場のベンチに座っているあの"女騎士"」
通りを抜けると、中央に噴水のある広間についた。
ベンチに人影が見えたの、でじっと目を凝らし見てみる。
それは鎧をまとった女性だった。
銀色のショートボブ、前髪に隠れた気怠そうな半目。
見るからに健康状態が悪そうな表情が、突如出雄に向けられる。
絵具を塗りたくったような真っ暗な瞳からは、なにを考えているのか想像もつかない。
「……貴様何者だ? 何故ここにいる?」
『キヒヒ、アイツかぁ。おい、もっと近づいて話してやれよぉ男だろぉ?』
ソフィーティアンヌは、女騎士を知っていそうだ。
能面のように冷たい表情をじっと出雄に向けたまま、ピクリとも動かない女騎士を前に後ずさりをする。
『おいおい逃げるのかぁ? 男らしくねぇなシャキッとしろよオォイ』
「うるさい、ああいうのに関わるとロクなことにならないんだ!」
ソフィーティアンヌに気をとられ、顔と視線を女騎士から外していた。
ふと前を向くとそこには……。
「………………」
音もなく影もなく気付けばそこに。
出雄の真正面に、しかも顔を接触する目前まで近づけていた。
瞳に広がる虚空の闇。
口を一文字にしてじっと出雄を見ている。
戦慄のあまり声が出なかった。
見ず知らずの薄気味悪い女が、いつの間にか自分の真ん前にいるのだ。
誰だってこわい。
じっとりと嫌な汗が着衣の中で、熱をこもらせていく。
1歩1歩後ろへと下がらんとするが、それに合わせ女騎士も歩み出てきた。
「もう1度聞くぞ? 貴様、何者だ?」
「……誰だっていいじゃない」
「質問に答えろ、貴様は……」
「誰だっていいって言ってるでしょッ!!?」
突然のヒステリックにビクリと肩を震わせ、飛ぶように後方へと下がり間合いを空ける。
女騎士は興奮したように目をギラつかせ歩み寄ってきた。
「いつもそう。男は皆偉そうで……なんでもかんでも決めつけて……私がどれだけ頑張ったかなに1つわかってないくせにぃい!」
「えぇいやかましい! 喚くな! 俺はやかましい女が嫌いなんだッ!!」
「ああああ! 私のことやかましい女って言ったぁ! 今確かに言ったぁ! 私はただ自分の主張をしているだけなのにぃ!! 侵害されたぁ! 私の心を侵害されたぁ!! またしても男に私の心を侵害されたぁ!!」
『あ、これはうっせぇわ。うん』
髪の毛を掻きむしりながら身を捩らせ、奇声を上げ続ける女騎士。
尋常ではない空気を感じた出雄は身を翻し、そのまま逃げた。
なぜかソフィーティアンヌも、なにかを喚きながら走ってついてきた。
『おうコラ待てやぁ! 敵前逃亡かこのヤロウ! てか私を置いてくなッ!』
「やっっかましい! あんなクソめんどくさい女に付き合ってられるか! それとこれは敵前逃亡ではない、戦略的撤退だ!」
『どこがだよ!』
キンと張り詰めた空気を纏う街の中を、一目散に駆け抜けていく。
緊迫した状況は最早寒さすら感じさせなかった。
『おいどこまで走るんだよぉ!』
「うるさい! この街を抜けるまでだ!」
闇雲に走ったせいで、いつの間にか元来た道からだいぶそれてしまった。
入り組んだ街並みを走り抜けていくはめになっていたのだ。
そして、曲がり角をまがった直後。
「どこへ行こうっていうのよぉ!?」
ちょうどその先に合った一軒家。
その壁を、タックルでぶち抜いた例の女騎士が現れる。
華奢な体躯でのパワフルな行動に、つい呆気にとられていた。
その手には、大剣ほどの大きさがある工具を持っているのがわかった。
出雄自身それがなんであるかすぐに理解する。
それは、魔鉱切断機構刃。
魔石などの魔力鉱石を採掘する際に用いられ、刃のエッジを超高速回転させ使用する工具だ。
少なくとも武器として用いられることはない、はずである。
「な、なにぃいい!?」
『ハァーッハッハッハ! 面白れぇなオイ!』
「殺してやる……アンタもどうせ、私を否定するんでしょ? 否定するのなら……こっちからぶっ殺してやる!」
工具が唸りを上げ、エッジが高速回転を始める。
「おいマジかやめてくれよ。お前騎士だろ? 騎士がそんな武器使っていいのか? 騎士道精神はねぇのか?」
「そんな男が勝手に作ったルールで、私を縛り付けないでよぉおお!!」
立ち並ぶ家の壁を削り崩しながら、人間とは思えないほどの超人的速度で迫ってくきた。
ギョッとした出雄は逃げようとする。
『捕まえたぁ!! いよぉし、このまま殺れぇ! こいつを真っ二つにしてやれえ!』
なんとソフィーティアンヌが、出雄の腰にしがみ付いて動けなくさせてしまったのだ。
「貴様ッ、はなせ! はなせぇえええ!!」
『はなすわけねぇえだろぉ!? お前はここで死ぬんだよぉおお!』
身を捩ったり力任せに何度も押してみた。
だが、ソフィーティアンヌはビクともしない。
気づけば女騎士は攻撃態勢に移っており、豪快に工具を振り回してきた。
「くそったれがぁあ!!」
出雄がとった手段それは……。
『――――へ?』
自らの体を独楽のように回転させる。
ソフィーティアンヌの体が若干浮き、力が緩んだ瞬間を見計らい女騎士のほうへと投げ捨てる。
『て、テメェ!』
魔鉱切断機構刃の金切り声と、ソフィーティアンヌの断末魔が、大量の血しぶきと共に空間に響き渡った。
上下真っ二つになたソフィーティアンヌの口は、魚の様にパクパクとしばらく動き、ピタリと止まる。
「ゆ、幽霊でも血が出るとは驚きだ……。だが、今は、逃げるのが先だッ!!」
「待てこのクズやろぉぉぉおおお!!」
全速力で街並みを駆け抜けていく2人。
出雄は、これ以上ない恐怖と焦りに身を強張らせながらも走っていく。
だが、出雄にはまだ秘策があった。
それは自らの命を懸けて手に入れた、最強の力と言っても過言ではない代物。
ゆえに、出雄は機会をうかがう。
そのために逃げ続けた。
「なんで逃げるのよぉお!? そもそもこんなことになったのは、アンタのせいでしょお!? アンタが私の心を侵害したからでしょおお!?」
「このくそったれがぁあ!! 何故だ、何故俺の周りにはこういう面倒くさい女しかいないんだぁあ!!」
出雄の受難はまだ始まったばかりだった。