#16 激戦 その①
場所は変わり、グラビスのいる広大な砂漠。
乾燥した熱を含んだ風が、今も吹く。
砂をサラサラと撫でまわし、小さな嵐となって漂っていた。
しかし、次の瞬間。
「来ないでよバカぁ!」
「嫌よ嫌よも好きの内だろぉ!?」
高さにして20mはあろう砂ぼこりの柱が、衝撃音と共にそびえ立つ。
その中から、宙を舞う2人の影。
邪悪な気配を纏う神、セト神。
そしてグラビス・アミテージである
「ハハハ、こんなイケメン神様に向かってなんて口のきき方だ。こりゃ、たっぷりお仕置きせんとなぁ?」
セト神の嫌味を利かせた挑発。
だが、グラビスは魔杖を構えながら見据えるほかなかった。
セト神から放たれる異質なオーラに、体が嫌な汗として反応を示す。
魔術はいつでも発動できる。
だが、それが通じる相手か、甚だ疑問にも思えた。
「私はこれまでに何度か人外……己を"神"と称する者や、"神"と恐れられた者と対峙したわ」
「……ほぉう」
セト神が笑う。
グラビスの言っていることが、ハッタリではないと見抜いたのだ。
「どれも強敵だった。……でも、今のアナタほど恐ろしく感じたことはないわ」
「それは、なぜ?」
セト神はその不遜な態度を変えない。
むしろ、自分が高評価を受けていることに、満足そうだった。
「わからない。もしかしたら、アナタが真性の神、だからかな? 私が今まで出会った神とは規模が違う」
「素晴らしい答え、だ。そこまでわかりゃあ十分だよ」
大きな口を、苦々しく歪ませながら肩をすくめてみせるセト神。
「まぁいい。話はここまでだ。君が俺を殺そうとせんという判断は正しい。俺はお前達の味方じゃあないからな、むしろ、敵だ」
セト神の言葉が言い終わるよりも先に、グラビスは周りに巨大な魔法陣を展開させる。
いくつもの星座と、古代文字による魔術詠唱文が複雑に編み込まれた紅蓮の円方陣。
勢いよく噴き出るは、9つの頭を持つ巨大な炎の蛇。
「――焼き尽くせ、"九界覆う獄炎の蛇王"ッ!」
明らかに、一国や大陸を対象とした規模の魔術だ。
本来この術は、術式に3日ほどかかる大掛かりなもの。
莫大な魔力に、複雑な詠唱を駆使せねば、決して成功は望めない大魔術。
一個人に対して用いるような代物ではない。
「大した魔力量だ。イシスにも引けをとらんその才能、心から敬服しよう」
自分を見下ろす炎蛇の群れ。
しかし、それに物怖じもせず、不気味に笑んで見せるセト神。
グラビスは無言で、その不気味さを感じとる。
「俺はどうも、蛇ってぇ奴に縁があるようだな、来な……俺をがっかりさせないでおくれよ?」
セト神は軽く拳を握ると9頭を一瞥する。
その眼光にはもう先ほどの剽げた態度は見られない。
「あらそう。じゃあ精々私を楽しませてよ!」
盛る爆音を上げ、9の炎蛇は牙を向け、恐るべき速度で体をうねらせながら迫る。
純粋な破壊力だけでも、軽く大地を抉り潰せるだろう。
「そうだ、来い……来い来い来いッ! 俺はここだ! 俺に喰らいつけ! 俺を八つ裂きにして見せろ!!」
咆哮と共に更に上空へと飛び上がる。
セト神と炎蛇達の追走撃戦、グラビスも後を追う。
天では九界覆う獄炎の蛇王が、空の色まで赤く焼いていく。
地では炎の残滓が砂漠へと落ちていき、火の海へと変わり果てていた。
「ハハハ、神話の再現、とは程遠いな。もっとスピードだして来いよ、おぉい!」
「逃げ回ってる人のセリフじゃあないよそれ!」
「……そうかい、じゃあそろそろ、イイトコ見せちゃおうかねぇ」
グルンと旋回するや否や、九界覆う獄炎の蛇王の懐に突進していく。
これにはグラビスもギョッとし、咄嗟に動きを止めた。
そして、信じられない光景を目の当たりにする。
「バカな……そんなことって!」
まずセト神は1匹目を軽々と拳で否す。
続く2匹目3匹目を、両の手刀で細切れにした。
セト神の周りを6匹が囲む。
だがそれを見計らったように、自身を砂の竜巻に変化させた。
その規模はグラビスさえも恐れ戦くほどのもの。
炎蛇がいとも簡単に巻き込まれ、バラバラに分解されていく。
「……まぁ、アポピスほどではないが、中々だったぞレディ?」
竜巻が解け、元の姿へと戻していくセト神。
グラビスにとっては、神と人間の差を目撃した瞬間だった。
「うそ……、今のは、国を、大陸をも焦土にかえかねないほどの大魔術よ!」
「ふん、確かにそこまでの威力はイシスには無理だろうが……俺の脅威となるには、まだ足りんな」
相手は人間の様な1個の知性体ではなく、自然の意志にして宇宙規模の概念なのだ。
それが人間同等かそれ以上の知性や感覚を持った場合、その差は明々白々。
グラビスは見落としていた。
そして慢心していた。
人間が神に勝つなど。
「……人間諸君、神様をかませ犬にする時代は、もう終わった。そういう夢は、さめるべきだぜ?」
「ぐっ……」
狼狽しながらも隙は見せまいと、魔杖を槍術のように構える。
じわりと額に汗が流れる。
その姿を薄ら笑いで眺めるセト神。
「まだやる気かよ。……どうだ? 戦いなんてやめて、俺の女にならねぇか?」
「嫌ッ!」
「即答すんな傷付くだろうが。……まぁいい、そこまでいうんなら付き合ってやる。たっぷりと可愛がってやるからな?」
ギュッギュッと両の拳を握り合わせながら、スゥッと近づいてくる。
グラビスは殺気をにじませ、魔杖に赤黒い魔力を宿らせた。
「接近戦もいける口か、つい昔までは、頭でっかちの貧弱な体な奴ばっかりだったんだが……気に入ったぞ」
「格闘術も武器術も一通りやってますから。悪いけど、ここでアナタには、負けてもらうわ!」
掛け声と共に、拳と杖が閃光となり、幾度も交差する。
その度に衝撃波と風を切る音が、必殺の意志をもって周囲に響き渡った。
風と焔が、砂と闇が、神と人間が体を打ち付けあい戦っているのだ。
グラビスの体術と杖術、魔術が、セト神の体を何度もたたく。
だが、セト神は薄ら笑いを浮かべ、鋼の肉体でそれを受け止め続けている。
柔よく剛を制す。
しなやかな体捌きと豪快な徒手空拳で、グラビスの猛攻をさばいていった。
(図体のわりになんて身のこなし……これじゃ埒が明かない)
「ハハハ、そんな怖い顔するなって。よし、じゃあ……リフレッシュ代わりにこんなアトラクションはどうだ?」
ケタケタと笑いながら、セト神がパチンと指を鳴らした次の瞬間。
天と地がひっくり返った。
それは文字通り、地には空が、雲が、太陽が。
天には炎をまとう広大な砂漠が。
何もかもが逆さまに映る世界、物理法則や魔術理論すら無視した奇々怪々。
グラビスは唖然とし、状況がうまく飲み込めないでいる。
「ははは、そんなに驚くことはないだろう? たかが、天と地をそのまんま逆さにしただけだ。安心していい、逆さにしたのは、俺が神殿内に作り上げた、この固有界理区域のみ。
現実世界にまで影響を及ぼすと、この星の神やら、他の連中がうるさいからな」
グラビスは生唾を飲む。
相手の力の計り知れなさに、緊張を禁じ得ない。
固有界理区域、即ち、魔術や権能によって作り出された仮想現実空間のようなモノだ。
しかし、かといって何でもできるという訳ではない。
そこにも物理法則は存在し、魔術理論は適応される。
だが、彼の行ったソレは、魔術師の常識を逸脱していた。
(セト神は今、神殿内と言った。つまりまだここは神殿の中。……よかった、早く奴を倒しておじさんを探さなきゃ)
第2戦、開幕。
セト神は含み笑いを浮かべ、逃げる様に後方へと飛ぶ。
グラビスは、度々降り注いでくる炎と砂を躱しながら、セト神を追撃した。
魔術による無数の光弾を放ち、セト神の撃墜を狙った。
セト神は薄ら笑いを浮かべたまま、光弾を躱し続ける。
「ぐっ、当たれ当たれ当たれぇえ!」
願いも虚しく、弾丸はセト神の脇をすり抜けていく。
そして、セト神はグラビスに向かい、掌に力を手中させた。
それは、荒れ狂う自然エネルギーの圧縮。
暴風、地震、津波、竜巻、……その他もろもろの荒ぶる力が、1つの砂嵐を球体にまとめあげたような形で、グラビスに一気に放たれる。
「……ぐがッ!?」
避ける間はなかった。
寸前で防御魔術を発動させたが、貫通してきた衝撃に体が悲鳴を上げる。
放たれた圧縮エネルギーは、球体を中心に半径何kmにも及ぶ強烈な衝撃波をまとっていた。
まさに、自然の驚異そのものだ。
ただ宙に浮いているだけでも、精いっぱいな状態になってしまった。
「フフフ、満身創痍だな」
突如、天地がもとの位置に戻る。
セト神は逆さの状態で、グラビスをケタケタと笑っていた。
「面白かっただろう? パリ・ダカールラリーでもこんなハードなコースはねぇぞ?」
「……嫌味な人、あんまり調子に乗ってると痛い目見るわよ……いいえ、痛い目、見してやるッ!」
「わぁお! お嬢ちゃんおカンムリだよクソッタレ。こりゃあ、一緒にティータイムって流れじゃなくなっちまったな」
「そんな約束してません!」
「とぼけちゃって」
憎たらしい笑みでグラビスを煽るセト神。
思惑通り、グラビスは顔を真っ赤にし、魔術を織り交ぜた格闘戦へと移行。
拳と杖、足と足が豪風を孕みながら、空中で互いに交差しあう。
「だりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃッ!!」
「ははははは! 動きに磨きがかかってるじゃあないかッ!」
「うるさいッ!」
「怒んなよ、すぐにカッとなるのは若者の悪い癖だ」
「だったら、怒りを乗せてアンタを潰すッ!」
「だぁから……一端冷静になれ。じゃないと、致命打を受けることになる。こんな風に……」
ビシュンッ! と音を立て、セト神の姿が突如として消える。
対象を見失ったグラビスは、相手を探そうと一瞬無防備状態になる。
そして、いきなり目の前に現れたセト神の痛烈な一撃。
「お゛あ゛ッ!?」
衝撃と共に、カッと見開き、収縮した瞳。
セト神の隆々とした図太い蹴足が、グラビスの股間に、めり込んでいた。
「ぁ……あ゛、あ……ッ!」
ダメージが瞬時に全身へと行き渡る。
頭の中が、真っ白になりバランスが崩れた。
そのまま地へと落ちていく。
「んっん~バイオレェンス、女のこういう叫び声は、こう、ゾクゾクくるものがあるな。この画期的な技は是非とも、イシスにもネフティスにも披露してやらねば」
空中でセト神がのたまっているとき、地ではグラビスが股間を抑えながら悶絶していた。
うまく呼吸ができない。
ダメージと衝撃で心臓がバクバクと脈打っていた。
(……く、このままじゃ、勝てない。魔術が……体術が、こうも簡単に否される、だなんて……)
苦悩に満ちた表情で天を仰ぎ見る。
太陽を背に、威風堂々とした立ち姿で宙に浮くセト神。
(奥の手……使うしかない、かな。おじさんに怒られそうだけど……、四の五の言ってられないッ!!)
跳ね上がる様に飛び起き、炎と砂漠の中で再び魔杖を構えるグラビス。
それを見下ろし不敵な笑みをこぼすセト神。
次の一手こそ、グラビスは最後のチャンスと、心得る。
その思いを胸に、再び天空を舞う人類最強の魔法少女。
第3戦、開幕。