#15 閻獄ノ蝶、参るッ! その②
狂人達の、容赦のない攻撃が沙耶に放たれる。
まるで腹をすかせた、血生臭い狼の群れだ。
「ゴォォォ゛ォ゛オ゛ロ゜ォォオオ゛ザァァレ゛ェェェェル゛ゥゥウウッ!!」
「ア゛ァ゛ア゛アアアア゜ァァア゜ア゜ア゛アアアア゛アア゛アアアアッ!!」
独特な奇声が反響し、沙耶とクァヌムの耳をつんざく。
「うっさいわボケ!」
彼奴等が沙耶の間合いに入った刹那。
沙耶の超感覚が、何十倍にも研ぎ澄まされる。
それは、舞う砂利の1粒1粒が鮮明に見分けられるほどのもの。
時間の流れが緩やかに感じられる中、まず最初の1人を。
「オラァア!」
圧倒的な魔力と身体能力で叩き伏せる。
狂人は、グギャと短い断末魔をあげ、そのまま気を失った。
続いて2人目、飛び掛ってくるその顎に鋭いアッパーカット。
宙に浮いた直後を狙い、残像が見える程の怒涛の拳打。
前方へ叩きつけフィニッシュ。
断末魔と共に、舞台から落ちていく。
「まだ終わらんで……、ここからが本番や」
叩き伏せた1人の足を掴み上げる。
そして、軽々と風車の如く振り回しながら、眼前で立ちすくむ2人に向かって、何度も殴打する。
「だぁぁぁりやぁぁぁあああ!」
最後に2人を巻き込むように、掴んだ1人を投げ飛ばし、まとめて場外まで落とした。
悲鳴を上げながら奈落の底へと落ちる敵には目もくれず、すぐに残る敵に目をやる。
この間、僅か5秒ほどである。
残りは5人。
今度は同時に、クァヌムと沙耶に襲い掛かる。
「……こいや、まとめて面倒みたらぁ」
「沙耶、魔力の回復を!」
クァヌムの支援魔術を受け、更にオーラを大きくする。
閻獄ノ蝶
鬼炎の様なオーラを纏い、5分間だけあらゆる攻撃干渉から身を護る強化型魔術である。
しかし、欠点として膨大な魔力を消費する為、使用後の動きに難が出てくるのだ。
このように支援魔術の行使さえあれば、ほぼ無敵クラスの魔術となる。
「へばんなや、まだまだ行くでえ!」
往復する拳とその残像が織り成す、怒涛のラッシュが1人を襲う。
超人クラスの身体能力を持つ彼等にすら、沙耶の攻撃をしのげないでいる。
飛び散る鮮血が、徐々に周囲を血の海へと変えていく。
最早成す術はなく、一方的な殲滅が繰り広げられていた。
並の人間であれば呼吸すらままならないであろう1撃1撃が、乱風となって巻き込んでいく。
「うらぁあ!」
最後の一撃を決めノックダウンを決める。
だが、ここで終わる久瀬波羅沙耶ではない。
今度は舞台の端まで移動し、なんと彫像をボコリと引っこ抜く。
「今度はこれじゃあ!」
300kg以上はあろう彫像を、棍棒かなにかのように振り回す。
その圧倒的火力を防ぐ馬力は、残念ながら狂人達にはなかった。
一方、クァヌムは……
「ア゛ァァァ゛アァアアアッ!!」
「くっ……!」
沙耶やグラビス程ではないにしろ、慣れた体術で攻撃を否していく。
たが、フィジカル面においては並程度。
しかも、決定打に欠ける。
魔術をうまく練れない今、不利な状況に立たされる。
相手は2人。
「クァヌムちゃん! 独自精巧魔術使いッ!」
状況に見かねた沙耶は、魔術の発動を求める。
「……ッ、ですが……、私のその技はッ」
沙耶の言葉に、躊躇の色が浮かぶ。
「言うてる場合か! アンタ死ぬで!? ……って、なぁに立ち上がりよんじゃいアンタら! 寝とけ!」
向こうでは、再び怒涛の殴打が鳴り響く。
沙耶の言うとおりだ。
体術戦においてはこちらが不利。
更に対多数ともなれば、ジリ貧は確実。
「くらいなさい!」
クァヌムは炎系の、詠唱の要らない簡易的な魔術を行使しつつ戦うことにした。
たが、殺傷能力は低い。
これでは、敵を少し怯ませる程度のものにしかならない。
クァヌム・サンクトぺナムには、独自精巧魔術を使えない理由と、人を殺せない理由がある。
クァヌム・サンクトぺナムは、勝るとも劣らぬ優れた魔術師であると同時に、慈悲深い少女であった。
彼女は人の命を奪う事が出来ない。
その性格ゆえ例え親の仇であっても、慈悲を見せるだろう。
いうなれば"不殺の精神"の持ち主であった。
その高潔な精神が、ジプシアにつたわる生後魔術契約という形で、魂に組み込まれている。
破れば体に呪印が刻まれ、命を蝕んでいくのだ。
このことは、沙耶には教えていない。
独自精巧魔術が出せないのには、もう1つ理由がある。
彼女のソレは"英雄クラス"に匹敵する、致死性の高い魔術だからだ。
使えばたちまち相手を殺して尽くす。
クァヌムにとっては、呪わしい才能の産物である。
(だから……、使うわけには……ッ!)
たが、体術でいなし続けるのも限界だ。
沙耶はあと1人の攻略に苦戦している。
沙耶の閻獄ノ蝶も、致死性の高い魔術だ。
しかし、慣れない加減で時間がかかっているようだった。
「こうなったら……凍らせますッ!」
氷系の簡易魔術。
2人の足が凍らされ見事動きを封じる。
狂人達は氷を破ろうと、拳で叩き、身を捩り、抜け出そうとするがそううまくはいかない。
「無駄です、私の魔力で練り上げた氷。アナタ達では……」
ようやく終わった。
安堵し、全身の力が抜け落ちるような感覚が伝わった次の瞬間。
「グガァアア!」
狂人の1人が咆哮をあげた直後に、足の氷が割れる。
「な……ッ!」
そのままクァヌムに飛びかかってきた。
咄嗟に身を翻し、回避する。
それでも向かってくる相手の頭目掛け、クァヌムは両腕を振り上げ、拳を叩きつけようとする。
「……ッ!」
だが、ここでも彼女の慈悲深さがアダとなる。
彼女はまたもや躊躇した。
相手が、狂人とは言え子供であったから。
その一瞬を、敵が逃すはずがなかった。
「グワァアア!」
「――――ッ、な、なにをッ?!」
その子供に抱き着かれるように、クァヌムの体が締め上げられる。
胸骨が圧迫され、肺に送られる酸素が少なくなる。
それ以前に、背骨ごと圧し折られそうな力で激痛がともなった。
歯車と歯車の間に挟まれたかのような圧力が、クァヌムを襲う。
「この、何を……ッ、するの、ですッ!」
押し剥がそうと力を込めるが、フィジカル面で圧倒的に勝る狂人には勝てない。
「ク……ぁ、がはぁあ!」
犬歯をむき出しにしながら、クァヌムの乳房に、顔を押し付ける。
だが狂人は、人肌の柔らかさなど気にも止めず、殺意と忙しない呼吸を繰り返していた。
(殺される……こんな、ところで……ッ!)
クァヌムの意識が薄れていく。
死を覚悟したその直後、いきなり体が軽くなった。
呼吸は肺の奥深くまで染み渡り、あの力強い締め上げから、解放される。
「さ……沙耶!」
先ほどまで戦っていた沙耶が、狂人の背後からベアクローで持ち上げていたのだ。
悪鬼羅刹も裸足で逃げ出す、怒りに燃える乙女の表情である。
「おい、誰に断りいれて……、熱い抱擁しよんなら。……覚悟できてるやろな?」
ドスのきいた低い声が、暗く響き渡る。
そして、沙耶の拳が、狂人の後頭部を打つ。
「ガッ……!?」
短い悲鳴をあげ、一瞬痙攣する。
そして、ダラリと脱力し完全沈黙と成した。
それを軽々と、沙耶は後方に放る。
「……遅れてごめんねクァヌムちゃん、痛かったやろ? ごめんな」
先ほどとは打って変わって、慈しむような声で謝る。
そして、そっと両の腕で、クァヌムを抱き寄せ背中を撫でた。
いつもはクァヌムが沙耶にやっていたことだが、今回はその優しさに、快く身を委ねる。
「ありがとうございます、もう平気です。沙耶と一緒に行動できて、私は本当に幸福者です」
「あはは、いややねぇクァヌムちゃん。ウチ等友達やん」
閻獄ノ蝶を解除した沙耶は、力なくその場にへたり込む。
クァヌムは、そんな彼女を出来うる限り回復させる。
「すまんなぁクァヌムちゃん。また戻ったら埋め合わせはするで」
「いいえ、いいのです。アナタが元気ならそれで……」
クァヌムの回復魔術で元気を取り戻す沙耶。
それを見て、嬉しそうに微笑んでみせる。
「ほな、行こか」
クァヌムの手を引き、進もうとした。
だがすぐに足を止める。
進行方向である橋の真ん前で、じっとこちらを見つめる存在が1人。
たっつけ袴のぼろい黒を主とした、侍風の男だ。
両の前腕部に、湾曲した両刃の剣を取り付けている。
「中々いい腕だお嬢さん。アンタとなら、俺も楽しめそうだよ。……それなりにな」
侍風の男は、舞台まで歩み寄る。
そして、ギラリと刃を怪しく振るいながら、こちらに向ける。
「クァヌムちゃん、さがっとき。……あと、あン人相手に、殺すな言うんはちょっときつそう」
「沙耶……」
「大丈夫や、ウチはクァヌムちゃん置いて死なへんよ?――ただ」
沙耶が先ほどから感じ取っていたもの、それは"尋常ではない剣気"。
剣気、それは異能に非ず。
誰もが持ちえる気、即ち意識の流れの1つ。
沙耶に言わせれば、ごく普通の当たり前の概念である。
ただ、放つだけでここまで異質と思わせる気は、尋常ではない代物だ。
この男の放つ気配は、外の世界にいるどの剣士よりも一線を画すものであった。
多大とも微弱ともとれぬ、掴み所のないドス黒さを漂わせる。
――――まるで"妖怪"だ。
「……さっきの敵さん等ぁとは違う。本気で行かな、周りの壁にある首の仲間入りや」
「……ちょいと過大評価し過ぎじゃあないか? もしかしたら、1撃で倒せるかもしれんぜ?」
沙耶の言葉に、不敵に笑むこの男。
飄々としているが相当の手練れであると見抜いた。
彼の構えは意外にもゴツゴツとした印象はない。
いうなれば布のしなやかさと柔らかさを備えているようだった。
実像を見ているというよりも、地面に映る影のような、朧げなものを見ているという感覚だ。
「……一騎打ちや、ええやろ?」
「無論そのつもりで参った。……今回はな」
男は拳を顔の前に、拳闘士のファイティングポーズにも似た構えをとる。
両の刃でゆっくりと空を切らせ、殺気をむき出しした虎牙の輝きをもって沙耶を一瞥する。
対する沙耶は、右足を前に、左足を後ろに低く構えた。
左手で小さく鯉口を切り、右手をそっと柄にのせる。
「捨天背刀流、久瀬波羅沙耶」
「いい名前だ、……久々に楽しめそうだよ」
「……名乗りぃや、ウチが名乗ったんやったら、アンタも名乗る。礼儀やろ?」
その言葉に、うくく、と口角を釣り上げて見せる。
不気味なその表情からは、人を斬りたいという狂気しか感じ取れなかった。
「……アンタが俺の気に入る相手だったら、名乗ってやっていいぜ?」
「なるほど……、ほな、アンタを認めさせたらなあきませんね」
「いざ」
「尋常に」
――――――勝負ッ!!