第四話
「原因は……不明よ」
言葉を放ったのは、桜島医療所の女医師、タカダであった。
短く切りそろえられた黒髪と理知的な瞳。
巌とは面識のあるタカダが、巌、弥生に対して、カネコの一件を説明しようとしている。
あの後、カネコは所定のマニュアルどおりに、医療所のほうへと運ばれた。
担架に乗せられ、なすがまま、といった様子であったカネコ。
そんな言うなれば、赤ん坊のような状態だったにも関わらず、カネコはあいも変わらず訳のわからない独白を続けていた。
意味の分からないような、文脈の繋がらないような言葉を、カネコは担架に乗せられながらも喋り続け、そしてそのまま病院へ。
その様子は明らかに異常で、常軌を逸しているというのがすぐさま見て取れる有様。
表現に苦しむような……一言で言えば気持ちの悪い表情を浮かべながら、カネコはそのまま医療所へと直行したのである。
その、担架に乗せられ、医療所に運ばれるカネコを、巌と弥生は追った。
自然と、というのが正しいのかもしれない。
カネコの豹変。
それを目の当たりにした巌と弥生が、そのまま何事もなく日々を生きられるはずもなく、このようにカネコの姿を追って医療所までやってきたのは、至極当然な話だといえよう。
カネコはそのまま医療所まで運ばれ、一応、という形で手術室に運ばれた。
勿論、そこまで巌と弥生が入れるわけもなく、2人はその手術中のランプが灯っている手術室の前で、無言のままに待つことになった。
所在なさげに、何が起こったのか分からないといったように、困惑した表情でそこで佇む2人。
そこに、タカダとヒョウドウがともに現れたのである。
事情を説明する、というヒョウドウの言葉と、あ〜あ、もうか、という具合に嘆息するタカダの姿。
突然の出来事にどうしたらいいのか分からなかった巌と弥生は、ヒョウドウの言葉に何も反抗することなく、それに従った。
そして案内された部屋が、今、巌と弥生がいる部屋なのである。
部屋の中。
そこには、巌と弥生、そしてタカダとヒョウドウの4名がいた。
普段は何かの会議などで使う部屋なのであろう。
前方、タカダの立っている場所の頭上には、スクリーンが設置されており、映写機のようなものまで見て取れる。
巌と弥生が座っている椅子も、そこらの安物ではなく、皮製の高価そうなもの。
そんな、来客のためのような対応に、本来ならば違和感を覚えるのが普通なのであろうが、しかし今の巌と弥生にそこまでの余裕はない。
目の前で展開され始めた、タカダの説明を熱心に聴くこと以外には、今の2人の脳裏には何もなかった。
「『箱庭』が創られたのは、今から5年前。アメリカが壊滅し、そこの研究者が日本に移住してきたのが契機だったわ。トマス・マン博士。彼とその助手、そして日本の研究者のもとで、誰でも操縦できて、地球同位生命体にも対抗しうるような兵器の開発が目指された」
タカダの口調は、堅い。
巌と医療所で相対した時とは考えられないような堅さが、声と表情に浮かんでいる。
しかし、それも無理からぬことなのだろう。
彼女がやろうとしていることは、ひとえに巌と弥生の希望を壊すものであるのだから。
精神の死。
いうなればタカダは今、人を殺している最中なのであった。
「それまでも、現代兵器の有効性は認められていたの。地球同位生命体に対して、ミサイルを撃ち込めば殺すことができるし、小型小銃であっても何発か弾を撃ち込めば、殺すことができた。
でもね、奴らは『個』としての特性はもってなかったの。言うなれば、植物みたいなもの。自分が死んでも、種となる群体が無事ならばヤツらにとっては勝利。そんな中で、目の前の地球同位生命体1体を殺しても何にもならない」
タカダの喋る言葉は、巌としてもよく知っている知識だった。
それは地球同位生命体の基礎知識。
個としての活動ではなく、群としての活動。
そして、そこからくる地球同位生命体の数の多さ。
1体を殺すことができても、その後の地球同位生命体を殺すことができず、今度は自分がヤツラに殺される。
移動速度の違い。
陸戦ではそれ故、軍隊による攻撃は初期段階で不可能であると判断された。
だからこその『箱庭』。
攻撃力と移動速度をかねそろえた存在。
それを備えた、『箱庭』という兵器が必要だったのである。
そのことを理解していた巌は、タカダの次の言葉を予想し、その先を口にした。
「生身での戦闘は不可能で、戦車などの外的兵器を使っても、その移動速度故に地球同位生命体という『群』には対抗できない……だから『箱庭』が開発された、って、そういうことですよね?」
「そういうこと……それで創られたのが『箱庭』。
人間の神経系をすべて『箱庭』へとトレースすることによって、自身が『箱庭』となって行動する。だからこそ……だからこそ、こんな問題が起こってきたというわけ……」
「…………」
歯切れの悪い感じに、弥生と巌は顔をしかめる。
タカダの様子には、何かそれ以上、話を進めたくないという意思を見ることができ、煮え返らないように言葉を曖昧にするだけだった。
ぎり、という具合に歯を食いしばっているタカダ。
白衣姿の女医師は、苦しそうな表情で、それ以上の言葉を続けることができないようだった。
そんなタカダに、ヒョウドウは、
「タカダさん。早々に話を進めていただきたい。もう誤魔化すことはできない。ならばここで説明してやるのが、せめてもの道義でしょう?」
違いますか? という表情とともに、そう言ったヒョウドウは、いつものように無表情だ。
冷たい声色と、冷たい瞳。
それらがタカダを睨みつけ、とっとと話を進めろと暗に示していた。
それに対して、タカダは、むっとした表情を作りながらも、しかしヒョウドウの言葉の通り、話を続ける。
「『箱庭』計画の初期段階、『箱庭』開発中にそれは起こった……。
実験段階、その『箱庭』のテストパイロットの……頭がおかしくなったの」
「頭が……おかしく?」
「頭がおかしく。精神が狂って。気が違って。気が狂って。その人がその人ではなくなる……」
ここでもう一度、タカダは言葉を濁す。
しかし、今回はその時間は短く、意を決したような顔つきになったタカダは、その次を口にした。
「パイロットの精神が……『箱庭』に乗り移ってしまう。
通称『同化現象』。これが起こると、そのパイロットの意識や記憶がすべてなくなってしまうの」
「え? 同化……ですか?」
「そう、同化……神経系をすべてリンクさせて『箱庭』を動かすわけだけど、それが戻らなくなっちゃうのよ。
ううん、正確に言うなら違うわね。『箱庭』に移していた神経はもとのパイロットに戻る……戻らなくなるのは、そのパイロットの精神……とでもいうのかな、魂とか……非科学的だけどね」
「精神……魂……」
巌は、そのタカダの言葉に、どう反応していいものか分からないように困惑した様子だった。
まるで、荒唐無稽なその話。
精神がなくなるなど、あまりにも漠然としすぎていて、逆に実感がわかない。
つまりはどういうことになるのか、という眼差しをもって、巌はタカダに視線を向けた。
「つまり……パイロットの自意識がなくなるってこと。自分を自分だと認識することがなくなる……というか、早い話が、その人がいなくなるということ」
「いなくなるって……だって、カネコさんは、その『同化現象』とかいうのにかかっても、変わらずに存在していたじゃないですか……いなくなってなんか……」
「ごめんなさいね、言葉が足りなかったわ。
物質としての存在がなくなるということじゃないのよ。自分を自分だと認識できなくなる……意識がなくなるっていうのは、文字通りの意味でね。何も感じないの……何を見ても何も感じない。何を聞いても何も感じない。何をしても何も感じない……自分がここにいるということが分からない。というかそもそも認識する主体がそもそもいないってことなの。何も感じないということすら感じないというか……」
「…………」
「『箱庭』に乗ると、自分の意識は、自分を人間としてじゃなくて『箱庭』そのものだと認識するでしょ? それがそのまま続くのよ。戻らない。意識は、元の人間の入れ物に戻らない。
だから、その『同化現象』のあとの人間に残っているのは、何もないってこと。精神の……魂の残滓とでもいうのかな。とにかく以前の……今までの自分ではない ――――自分が自分でなくなってしまう」
「…………それって」
今まで沈黙を守ってきた弥生が、小さな声で反応した。
その顔にはいつものような無表情が浮かんでいながら、絶望を信じたくないという焦燥感とでもいうべきものが浮かんでいた。
「…………それって……生きてるけど……死んでるってこと?」
「……そう、その通り」
タカダが沈鬱に答えた言葉に、弥生は息を呑むように絶句した。
目が見開かれ、いやいやをするように首を横に振る。
絶望が、
その表情には見紛うことない、絶望が浮かべられていた。
「え? え? どういうことです?」
そんな弥生とは異なり、今だに状況が分かっていない様子の巌。
ある意味、最後まで幸福であるこの男に、その場にいるもっとも冷たい男が引導を渡した。
「お前が『箱庭』に乗る限り、いつかはこの世からいなくなるってことさ。
肉体的な死ではない。しかし、お前をお前だと認識させている記憶という記憶がすべてなくなる。思考は混濁し、というかそもそも元の人間の入れ物に、お前という存在は戻らない。
つまり早い話が、今この場にいるお前が、いなくなるということだよ」
声色の一つも変えずに死刑宣告をしたヒョウドウ。
眉すら動かさず、表情にはなんら変化はない。
感情というものが、この男にはあるのかという疑問。
その疑問を疑問として抱くだけの余裕のある者などこの場にはいなく、ヒョウドウのその言葉によって、今度こそ完全に室内の空気は凍りついていた。
「じゃ、じゃあ……」
声がかすれている。
希望を今だに失いたくないがために言葉を放とうとする巌は、それ故に最後の光まで失うことになった。
「――――じゃあ、カネコさんはもとには戻らなくて、あのまま一生?」
「一生……ならばもうすでに終わっているがな。肉体的な人生という意味であるならば、このまま一生だ。心臓が停止するまで、あのまま『生き続ける』」
生き続ける。
その言葉はあまりにも生々しいものだった。
あのまま、
自分が誰なのか分からず、
そもそも『分かる』という言葉の意味すら分からず、
意識はなく、
訳のわからない言葉をしゃべり続け、
気持ちの悪い表情を浮かべ続けるだけ。
それは、今の自分からみれば、『死』よりも恐ろしい、『生』なのだと……。
「――――そんなの!!」
静まり返った場を壊したのは、信じられないことに弥生の絶叫だった。
怒りという感情が、彼女の顔を赤く染め、その吐く息までも荒い。
黒髪が逆立つかのような熱を帯びており、激怒していることは明瞭にして明白。
目を見開き、怒りに打ち震える弥生。
そんな弥生の姿は、今までなかったものであり、長年彼女と一緒だった者が抱く感想といえば、
「……弥生お姉ちゃん?」
困惑。
目の前にいる人物が、今まで長年付き合ってきた、あの弥生だとは思えない。
巌をして、そのような感想を抱かせるほどに、今の弥生の様子は普段では考えられないものだった。
「なんで、今更……そんな、今更……最初に!! なんで、ここに来る前、なんで!!……なんで最初からそれを言わないのよ!!」
「…………」
支離滅裂に放たれた言葉の羅列は、それ故に弥生の激情ぐあいを知らせてくれる。
常日頃は無表情で塗りたくられている表情が、今では怒り以外の感情を見つけることができない。
その目は炯々と、タカダと……そしてヒョウドウに向けられていた。
そんな人を射殺さんとばかりに、睨みつけてくる弥生。
それに相対したのは、またしてもヒョウドウだった。
「そんなことをしたら、人の集まるものも集まらなくなってしまうだろう。パイロットは全員が総じておかしくなるんだ。人は多ければ多いほうがいい」
「――――な!!」
怒りの臨界点を突破していた弥生は、それ以上の言葉を放つことができなくなっていた。
内部に滞留し旋回を続ける感情を言い表すには、言葉というツールでは役不足。
口にだそうという言葉が、すぐさま次の言葉に上書きされて、一言も口を聞けない状態。それが今の弥生の状況であった。
「数は多ければ多いほうがいい。もとより、『箱庭』とはそういう機体なのだ。
つまり ――――誰でもいい。『箱庭』に乗るのは、誰でもいいのだ。ならば、個性など必要なく、そこには数という無個性。それを優先させるのは至極当然のことだろう?」
「ちょ、ヒョウドウさん……」
あまりに率直な物言いに、タカダが言葉を投げかけるも、次が続かない。
ヒョウドウの言葉。
それに、タカダは一つの真実を見出しているのだ。
どんな言葉で言い表そうとも、そこに、ヒョウドウの言った言葉と同じ意味の文脈があることに、同意しないわけにはいかなかった。
つまり、誰でもいい。
『箱庭』は、選ばない。
パイロットを選ばない。
誰でも、乗れる。
誰でも、操縦することができる。
誰でも、地球同位生命体と戦える。
パイロットの代わりなど、いくらでもいる。
必要など、ない。
――――パイロットの1人や2人が再起不能になろうとも、他を探してくればいいだけだった。
「ふう」
ヒョウドウの嘆息。
冷たい印象をそのままに、話はこれで終わりだとでも言いたそうな有様。
そして、帰り支度を行いながら、言葉を放った。
「辞めるのは自由だ。もっとも、その場合だと、このことの口外の禁止が義務付けられ、元の生活に帰っても始終、監視がつくことになるだろうがな」
持っていた書類を、トントントンとテーブルで揃え、それを鞄の中にいれる。
そしてそれを肩に背負い、部屋の出口の方向へ。
そのまま、何事もなく出て行こうとするなか、最後だとばかりに、部屋に残る者達に向かって言葉を続ける。
「それと、もしも残る場合は、ナカハラヤヨイは、ゲンジマイワオの予備パイロットということになる。ナカハラヤヨイ、お前は四番艦の『箱庭』ではなく、弐番艦の予備パイロットに鞍替えだ。
勿論、それに伴って、寮の部屋割りも変更という形になる」
「…………え?」
「カネコイタルが想像以上にもたなかったからな。パイロットの『同化現象』はその者の精神状態に大きく左右される。せいぜい、サポートをしてやることだ。
――――まあ、もっとも……」
ヒョウドウがドアに手をかけ、そして開けた。
部屋の向こう側、そこには白いタイルで覆われた医療所の領域が見て取れ、この部屋との対比で無機質に見える。
ヒョウドウは、そのまま背中越しに、
「もっとも、『同化現象』が起こったところで、次のを浮き島から呼び出せばいいだけの話ではあるがね」
言い終わったのと、ドアが閉まったのは同時だった。
「…………」
無言という無音が、部屋の中には残る。
2人は、何も語れず、地面を見つめることしかできなかった。
呆然としているのは、一連の話を信じられない故にか、信じた故にか。
複雑そうな表情と、無表情なソレ。
それを顔に描きながら、2人はそこで存在を留めていた。
それを気がねしたように見つめていたタカダは、しかし諦めの表情とともに部屋から出て行く。
結果、巌と弥生は完全に2人きり。
しかし、でてくる言葉は、継続して無言だけだ。
静まり返った室内。
無音。
ピーンと張り詰めた空気の中、
そのまましばし、動けなかった。
(続く)