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第三話

 死ぬことよりも、自分が自分でなくなることの方が恐ろしい。

 ―――――平成38年4月7日、日本、浮き島。



 ◆◆◆



 カネコのあの騒動から翌日。

 朝になって、いつものように朝ごはんのしたくをしているカネコに対して、巌は昨日のことについて詰問していた。

 巌としては、あの体の底を揺さぶるような慟哭に、なんらかの嫌な感じを見出しており、それを知るための詰問であった。

 しかし結果は、煙にまかれるだけまかれて、適当に扱われただけ。

 なんでもない。というか昨日は寝ぼけていた。君には関係ない。じきに分かる。

 巌にしては積極的に質問を繰り返していたのだが、返って来る言葉はそのようなものだけだったのである。

 そんな返答では巌は到底納得できたものではなかったのであるが、しかしそれ以上の質問をするヒマもなく、カネコは舌打ちとともに部屋から出て行ってしまった。

 そんなわけで、変なものが胸の中でくすぶり続ける巌であった。

 納得は、今でもできていない。

 なんだか、ソレをきちんと解明しておかないといけないという思いが、巌には予感としてあるのである。

 ――――昨日のカネコさんの様子は明らかにおかしかった……自分が自分でなくなるっていうのは、どういう意味なんだろう?

 カネコの言っていた言葉。

 その中での「恐怖」という単語については、巌としてもよく分かることだった。

 つまりは、地球同位生命体との戦いで、命を落とすかもしれないということ。

 ひょっとしたら、死んでしまうかもしれない。

 その恐怖は、少なからず巌の中にもある。

 しかし「自分が自分でなくなってしまう。まだ俺はおかしくなっていないよな?」といった言葉の意味が、巌にはまったく理解できないのである。

 何か自分の知らない事があるのではないか。

 それは、この桜島全体に流れている停滞というか無関心みたいなものに、関係があるのかもしれない。

 そう仮説づけたところで、巌は我に返った。

 自分の思考に沈殿しているうちに、周りの情景が目の前から消えていた。

 今、ようやく自分の周りの状況を認識するに至った巌は、その状況を言葉にして、自分のいる場所を整理する。

「そうか、『箱庭』のドックで、『箱庭』を眺めていたんだっけ……」

 巌の言葉の通り、そこは第13小隊の『箱庭』が並ぶドックだった。

 全長15メートルの鉄の塊が、巌の目の前には5体ある。

 『人型』の、一昔前のロボットじみた形状。

 重厚なその作りは、見る者の心を圧倒し、非現実の世界へと連れ込んでいく。

 こんなものが二足歩行を行うことができるのだから、やはり科学力というものはすごいな、と巌は考えてみる。

 その、『箱庭』が並ぶ大きな建物。

 朝、カネコに昨日のことを詰問して、けんもほろろな扱いを受けた巌は、なんのきなしにこの場所に来たのだった。

「『箱庭』か……」

 昨日のカネコの言葉は、明らかにこの『箱庭』関連なのだということが、巌にも理解できている。

 それだからこそ、こうしてこの場所に来たというわけなのだが、しかしその先が続かない。

 誰か他の人に話しかけてみようとも思ったが、あいにくと周りには整備の人も含めて誰もいなかった。

 だだっ広い空間に一人っきり。

 いや、一人きりでもないか。

 そう、目の前に、いる。

 人ではないが、しかし人の形をしているものが。

 全長15メートルの、鉄の塊。

 『箱庭』が、いる。

 と、その時だった。

 人一人いないその場所に、巌のものではない足音が聞こえた。

 

 それはこのドックの入り口付近から。

 カツンカツンという足音とともにこちらにくるのは、4日前に巌に桜島行きを打診した中年の男。

 その姿は第13小隊の部隊長である、ヒョウドウであった。

「ヒョウドウさん!!」

 巌がヒョウドウの目の前に行き、叫ぶ。

 その表情は真面目という一言。

 巌は、このヒョウドウであるならばカネコの変調を説明できると考えているのだ。

「…………」

 しかしヒョウドウは目の前の巌を、冷たい眼で見据えるだけだった。

 その姿は、背が高く、細い枯れ木のような印象。

 険なる感情が表情の8割がたを占めており、見る者を威圧させるのに十分だった。

「あ、あのですね……質問というか、カネコさんのことなんですけど……」

「……カネコ?」

「は、はい。カネコさんなんですけど……昨日……」

「…………」

 言いよどむ巌。

 それをヒョウドウは、冷たい目つきのまま見据える。

 まるで足元を駆けずり回るアリでも見るかのような、そんな無機質な目付き。

 無感動と無関心と無気力の三重苦が、今、ヒョウドウの瞳を通して巌を圧迫し続けている。

 

 そして巌は、そのヒョウドウの目付きが恐ろしく、さきほどから俯いているままだった。

 このような体験が、今まで巌にはなかったのである。

 過去、巌が誰かに意見を言う時にでも、横には常に弥生がいた。

 というか、そもそも人に意見することさえ、巌としては皆無なことなのである。

 一人だけで、このように人に意見することなど、今までの巌の人生の中で一度もない。

 その経験のなさと生来の性格の弱さがあいまって、巌はそれ以上、言葉を繰り出すこともできずに、モジモジとするだけだった。

「あ、あの……」

 普段であるならば、すでに体は固まり、逃げ出してもいいころあい。

 しかし巌は、なけなしの勇気を振り絞って、ヒョウドウと相対した。

 それほどまでに、巌は昨日のカネコの様子に何か引っかかるものを感じていたのであろう。

 体が震えることにさえ気付かない様子で、巌はヒョウドウに対して言葉を続けた。

「こんなことをここで言うのも、なんか嫌なんですけど、カネコさんの様子が変なんです……なんというか、急に夜中、泣き出して、それで……」

「…………」

「自分のやっていることは無駄だとか必要ないとか……自分が自分でなくなってしまう、とか……それに…」

「……うわごとは?」

「え? 」

「何か、おかしな言動をしてなかったか?」

 冷たい目線はそのまま、巌を見下ろすような形でヒョウドウは言葉をつくる。

 このような形で、ヒョウドウから口をきいてもらったのは初めてだったので、巌は、しどろもどろになりながらも、

「いえ…………。

 あ、でも。おかしな言動、っていうのであれば、僕がこの桜島に来て初めてカネコさんに会った時から、なんか文脈が繋がらないような、変なことを突然しゃべったりはしてましたけど……」

「…………そうか」

 巌の言葉を聞いたヒョウドウは、脇に抱えていた書類に、何かを書き記し始めた。

 その表情には諦めというか、達観。

 まるで、それまでも繰り返し続けてきた事柄を、惰性において続けているかのような、そんな様子が見て取れた。

 そんなヒョウドウを見て、巌はしかし途方にくれる。

 巌にしてみれば、カネコが、うわごとだろうが、おかしな言動をしていようとどうでもいいのだ。

 気になるのは、あの言葉。

 ――――お前はまだ知らないんだな。

 ――――自分が自分でなくなる。

 という言葉の意味について知りたいだけなのだ。

 ヒョウドウは書類に何かの事項を書きながら、左手に巻かれている腕時計をチラっと見た。

 それと同時に、ボールペンを走らせる速度が高まる。

 なにやら急いでいるような印象で、巌としては、とにかく早く質問しなければ、と気が焦るのであった。

「あ、あの、ヒョウドウさん」

「…………その話は後で聞こう。あと少しで集合だ」

「え?」

「地球同位生命体が茨城県大洗市に現れた。じきに出動命令が下る。だから、集合だ」

 それだけ言って、ヒョウドウはボールペンを走らせるのをやめる。

 そして早々に、司令室へと歩き始めた。

 カツンカツンという無機質に響く足音を残しながら、泰然と。

「それと、ナカハラヤヨイがもうじきこちらに到着する。お前は彼女と親しいんだろ? 当面の案内は頼んだぞ」

「ま、待ってください。ヒョウドウさ……」

「くどい」

 今度こそ、ヒョウドウは止まらなかった。

 歩みを進める勢いを増し、即座に司令室の方向へと姿を消す。

 巌はその後ろ姿を、ただただ見つめるだけしかできなかった。



 ◆◆◆



 第13小隊の『箱庭』とその本パイロットは、出動命令に従って、茨城県大洗市へと出発していった。

 軍用の輸送ヘリが、桜島を出発したのが40分前の出来事。

 予備パイロットの面々は、いつものように桜島にて待機。

 本パイロット達が桜島から出発した今となっては、予備の連中にはなんら仕事という仕事はなかった。

 ドックの一室にある、戦況を伝える大きなモニターのある部屋で、第13小隊の予備パイロットたちは、さきほどからその戦闘を観察しているだけ。

 目の前で展開されている『箱庭』と地球同位生命体との戦いを、無関心の眼で見据えるだけであった。

 そんな第13小隊予備パイロットの面々の中には、巌と弥生の姿がある。

 心ここに在らずといった様子の巌と、それを心配そうに覗いている弥生。

 巌は、自分にあてがわられたソファーに座り、ただ視線をモニターのほうに置いているだけだった。

「…………」

 巌の様子は、まさしく忘却自失という有様。

 目線は尚もモニターに向けられているが、しかし心は沈殿している。

 考え、こんでいる。

 何か引っかかるものを感じる。

 それは、昨日のカネコの変調もそうだが、それに加えてさっきのヒョウドウの一件に関しても……、

 なにやらよく分からない、モヤモヤとした感情が巌の胸を漂い、そして心を迷わせていた。

 自分がここにいることへの迷い。

 場違いな、自分の存在がここでは浮いているような、そんな雰囲気。

 思えば、桜島に来たときから、ここはちょっと変だった。

 人類の最前線基地。

 そこで戦う者というのは、もっと熱いというか、活気に満ち溢れているものではないのか?

 明日への希望を夢見て、いつかくる地球同位生命体を討ち滅ぼす未来を渇望する。

 未来。

 そう、未来だ。

 いつの日か、平和な世界を。

 地球同位生命体に恐怖して震えるしかできない日々を、いつの日にか克服する。

 そのための戦い。

 そのための桜島。

 そのための ――――『箱庭』

 だというのに、この島に溢れているのは、達観と無関心と無感動。

 皆の表情は諦めと無表情によって覆い尽くされていて、未来を夢見るなんていうものは、いっこうに見えてこない。

 なんなのだろう。

 これは自分がおかしいのか?

 この自分の考えは青臭くて、常に命をはることになるパイロットには、このような態度になるのが、それが正しいことなのだろうか。

 …………いや、でも、ボクにはどうしても、そうは思えない。

 巌は内心にこもりながら、ギリっと歯軋りを鳴らした。

 自分の力不足というか、この場に参加していない自分への責めをも足し合わせて、やり場のない怒りが巌の中では渦巻いていた。

 このような巌の態度は、この桜島に来る前には考えられなかったことだ。

 怒り、などという感情は常日頃何ごともなく過ごすのには、まったくの邪魔な存在。

 自分の意見など言う必要もなく、ただ周りの人間の意見に同意していればいい。

 盲目な自動人形。

 そこに言葉はあっても、意思はなかった。

 それが、今では自分のやり場のない感情に、怒りを覚えているのである。

 これが進化なのか退化なのか。

 それは本人を含めて誰にも分からないが、しかしその変化を快く思っていない者がいるということは事実。

 巌の横で、さきほどから言葉一つしゃべらない巌のことを心配そうに見つめる一人の女の子。

 いつも巌の横で面倒を見てきた人形使い。

 中原弥生としては、そんな巌の変わりぶりを、素直に喜べるはずもなかった。

「…………島ちゃん」

「…………」

「……島ちゃん!!」

「え? あ……な、なに? 弥生お姉ちゃん」

 普段はださない音量の声によって、やっと巌はこちら側の世界へと帰ってきた。

 その顔にはなんだか取り繕うかのような笑顔が浮かべられており、弥生としては、むっと不機嫌になる要素として十分だった。

 無表情な顔色の中にも、少しだけ怒りのニュアンスが加わっている弥生。

 しかしそれもほんの微量なものであり、普通人からすれば、その感情の機微を感じ取ることはできないだろう。

 だが、巌と弥生の付き合いの長さを考えれば、それだけの意思表示のみで、怒りの感情が十二分に相手に伝わるのであった。

「…………なんだか、様子が変……何かあった?」

「え? う、うん……でも大丈夫。なんでもないよ」

「…………ホント?」

「うん。ほんと、ほんと」

 無表情をもって、巌のことを、じーと見つめる弥生。

 そこには沈黙という名の迫力があって、いつもの巌であるならば、それだけで己の本心を暴露するに至るのであるが、なんとか我慢した。

 余計な心配はかけたくない。

 それに、まだこれは自分の感じているだけの疑念であるかもしれないのだから、いたずらに弥生お姉ちゃんを巻き込むことはあっちゃいけない。

 そのように考えた巌は、尚も、自分を見つめてくる弥生を、苦笑いを浮かべて見返した。

 なんでもない、と。

 自分は大丈夫だ、と。

「…………」

 それを見て、弥生は、ふう、とばかりに嘆息。

 彼女としてみれば、なんでもいいから巌には自分に頼ってもらいたいのであるが、しかしとうの巌本人がこのような感じなのだから仕方がない。

 若干の寂しさと物足りなさを感じながらも、弥生は巌から視線をはずし、今も戦闘が続いているモニターを見据えた。

 そのモニターに映るのは、あいも変わらずに戦闘風景。

 第13小隊と地球同位生命体との壮絶な戦いだった。

 音声は、ない。

 ただ、映像だけが流れてくる。

 今回の戦闘では、地球同位生命体の数が少ないということで、第13小隊単独での戦闘である。

 『箱庭』5対と、『爬虫類型』の地球同位生命体3体の戦い。

 海の近くの人気のないところを選んで巣を作り始めていた地球同位生命体との戦いは、いよいよ大詰めになってきたといえよう。

 陣地に立て篭もり、防御に徹する地球同位生命体3体を、『箱庭』は遠方からのライフル射撃をさきほどから慣行していた。

 近くにあった木々や壊した家々の材料でつくったその巣は、段々と壊れていき、今ではあと少しでその巣を破壊できるというところまできている。

 あとは時間の問題。

 ここまでくれば、戦況は明らかに『箱庭』側の勝利だといえた。

「…………島ちゃん……島ちゃんの乗る『箱庭』って、あの弐番艦なんだよね?」

「う、うん。そうだよ……弥生お姉ちゃんは、参番艦の予備パイロットになったんだよね? 確か」

「…………そう……急に昨日言われたの……まだ、本パイロットの人とは会ってないんだけど……」

「え? どうして?」

「…………ここに来て、すぐにこの戦闘だから……会うヒマ、なかった」

「あ、そっか……」

 弥生の言葉に「しまった」とばかりに表情を変える巌。

 そうなのだ。

 弥生は今日の朝、初めて桜島に来たのだ。

 それなのにも関わらず、自分は弥生お姉ちゃんを出迎えるでもなく、それを喜ぶでもなく、ただ自分の悩みに悩んでいるだけだった。

 不慣れな桜島。

 それも、到着したと思ったら、いきなり戦闘なのである。

 戸惑うのも無理はなく、それをサポートするのが、桜島に先に来ていた自分の役割ではなかったか?

 そう認識した巌は、遅くはなったが、弥生のサポートをする決心をする。

 まるでいつもと役割が違った感じに、少しだけ自笑を浮かべながら、弥生に向かって言葉を投げる。

「それで、来てそうそうだと思うけど、桜島の感想はどう? 僕もまだここに来て4日しか経ってないから、弥生お姉ちゃんと境遇は変わらないんだけど……僕はここいいところだと思うよ、勿論、浮き島も好きだけどさ」

「…………うん、私も好き……やっぱり、自然が多いと、安心できる」

「そうだよね。うん。ここは空気もおいしいし」

 東京という町に、そこまで適応できていなかった2人だった。

 人の塊。

 人のゴミ。

 アスファルトで覆われた世界。

 壊れた空。

 思えば、それらの要因も、この2人があそこでうまくやっていけなかった原因なのかもしれない。 

「…………島ちゃん……島ちゃんの『箱庭』……弐番艦……動きがおかしくない?」

「え?」

 モニターを見る弥生が、巌に言った。

 そこに映されているのは、変わらずに戦闘シーンだ。

 すでに地球同位生命体の巣はことごとく破壊されている。

 3体の地球同位生命体。

 そして、その『爬虫類型』の敵が、今まさにそこから這い出てきて、『箱庭』へとむかって死の行進を始めたところだった。

 その状況を見ての、弥生の言葉。

 その言葉はその通りで、カネコの乗る弐番艦はなにやらおぼつかない足取りで、突進してくる地球同位生命体に対応している。

「ホントだ……なんだろう。ノアに何か異常でも発生したのかな……」

 5体の『箱庭』が隊列を組んで、地球同位生命体を迎え撃とうとしているなかにあって、カネコの乗る『箱庭』の動きがぎこちない。

 上体がよろめいている、という表現が近いだろうか。

 生体制御の必要もないような『箱庭』の操縦方法の中で、パイロットの操縦ミスというのは考えにくい。

 ならばということで、問題があるのはパイロットではなく『箱庭』にあると思った巌である。

「あ、でも大丈夫みたい。ほら、なんとか隊列も整ったし」

 モニター上には、巌の言葉通り、なんとか隊列を組み、地球同位生命体を迎え撃とうとする5体の『箱庭』の姿があった。

 もとより、『箱庭』側が優勢なのには変わりはない。

 地球同位生命体が作りかけの巣から出てくるというのは、単に苦し紛れの行動なのだ。

 そこに統制のとれた『箱庭』の攻撃が加えられればどうなるか、それは火を見るよりも明らかだった。

「…………終わった」

 一瞬、だった。

 隊列を組み、一点集中を可能にした『箱庭』のライフル一斉射撃。

 たったの3斉射目で、3体すべての地球同位生命体は地へと崩れ落ち、絶命した。

「あ、本当だ……じゃあ、あとは本パイロットと指揮官の人たちが戻ってくるまで、自由行動だね。どうする? 弥生お姉ちゃん。どこかで昼ごはんでも食べてくる?」

「…………ん」

 肯定の意思表示を見て、巌は一つ頷く。

 ではでは、と。

 桜島に先に来ていた自分としては、弥生を食堂まで案内しないといけない、と。

 そのように意気込みながら、さりげない感じで、巌は弥生の手をとり、部屋の出口へと向かった。



 ◆◆◆



 厳島巌と中原弥生との出会いは、丁度、巌が2歳の時分まで遡る。

 家が近所で、親どうしも、大学のゼミが一緒だったとかで仲がよかったのだから、巌と弥生が仲良くなるのも当然だったといえよう。

 物心ついたときから一緒だった2人。

 周りの人間は、そんな2人をして、本物の兄弟のようだ形容したものだ。

 いつも一緒で、離れることを知らない。

 かたときも2人が離れるということはなく、そしてそれは小学校、中学校と変わることはなかった。

 幼馴染といっても、限度がある。

 そのような関係は明らかに異常だった。

 異常。

 だから、2人の関係は、異常以外のなにものでもなかったのだ。

 親からの愛情をあまり受けてこなかった弥生は、その対象を巌へと定めた。

 これは意識的なことではなく、むしろ無意識。

 承認願望という、誰から認められたいという欲望の肥大化した弥生は、その対象を巌へと定めたのである。

 自分にとって都合のいい存在。

 常に自分に逆らうことなく、いつも自分のことを認めてくれる。

 そんな都合のいい存在へと、弥生は巌のことを無意識のうちに『教育』していった。

 自分の意見を言わない。

 行動を起こすにも誰かからの承認を受けないと……弥生の承認を受けないと行動することができない。

 まるで母親と赤ん坊のような関係。

 それが、浮き島に来るまでの、巌と弥生の関係だった。

 その関係が崩れはじめたのが、8ヶ月前。

 巌が突然、『箱庭』に乗りたいなどと言いはじめたことが発端だった。

 弥生は、そんな巌の言説に、何度も何度も反論し、反対した。

 こんなことがあっていいはずがない。

 島ちゃんが私の意見を聞かないはずがない。

 私の意見を島ちゃんが認めないはずがない。

 そう確信しての反論は、しかし無残にも失敗に終わることになる。

 巌の意思が、弥生の『教育』に勝ったのだ。

 それから、巌は浮き島への試験を受けるための準備をはじめ、そしてソレに弥生もならった。

 巌にとっても弥生と離れるのは苦痛だったが、しかしそれ以上に、弥生にとって巌と離れるというのは文字通りの死活問題だったのだ。

 かたときも離れることを知らず、

 いつも一緒に行動してきた巌と弥生。

 いつのまにか、どっぷりと依存関係にはまっているのは、巌ではなく弥生であった。

 それから8ヶ月。

 試験にも無事合格してしまった巌と、それを追う弥生。

 こうして幼馴染の2人は浮き島へと来ることになり、その人生を終わらすことになる。

 幕はとうにあがっている。

 無知という名の幸せな日々は、これにて終幕……。



 ◆◆◆



 昼ごはんを食べ終え、満腹となって『箱庭』のドックに帰ってきた巌と弥生を待っていたのは、輸送ヘリからすでに降ろされ、元の位置に並んでいる『箱庭』の姿だった。

 全長15メートル超の人型決戦兵器が、ローラーつきの機械に乗せられ、このドックの中で横一列に並んでいる。

 その目には、今だに『箱庭』が起動していることを知らせる、黄色の光が宿っていた。

 まだ、『箱庭』は起動している。

 動ける、状態だ。

 つまり、まだ『箱庭』の中にパイロットが残っているのである。

 『箱庭』を動かすことができるのは、ひとえにパイロットの意識を『箱庭』へと移すから。

 それを可能にするのには、人間と『箱庭』をつなげる神経伝達ケーブルだ。

 その断裂と意識の回復方法を間違えれば、パイロットの意識は人間へと戻ることなく、その人間の形はただの入れ物へと成り下がってしまう。

 『箱庭』の起動を終了させるのには、最新の注意が必要。

 だからこそ、それはこの桜島の設備の整ったところで行われるのである。

「…………やっぱり、大きい」

 声をあげたのは、弥生だった。

 浮き島で練習機を何度となく見てきた弥生であったが、やはり5体もの機体が並ぶさまは、壮大という一言なのだろう。

 その目には、圧倒されている者の感情が浮かんでいた。

「うん。僕もまだ、この光景には慣れないというか、圧倒されるよ」

 2人が顔をあげ、はるか上に位置する『箱庭』の頭部を見上げる。

 第13小隊、四番艦の『箱庭』の頭部だ。

 青色の全体像。

 人型の、ロボットじみたフォルム。

 横に広がっている形状の目は、やはり黄色に染まっており、『箱庭』が今だに起動していることを教えてくれている。

 と、その黄色の光が、いきなり消えた。

 『箱庭』の目は黄色から黒へ。

 まるで瞳に光のなくなった人間のように、その様子は死人のそれだ。

 起動から待機状態へと移行した『箱庭』

 つまりは、『箱庭』とそれに乗っていたパイロットの結合がとかれたのだ。

 巌はその四番艦のコックピット付近に目をやる。

 『箱庭』の胸の部分、そこにあるコックピット付近に、鉄の足場ができていた。

 足場とその周りを囲む鉄網。

 それがクレーンのようなもので吊るされ、『箱庭』コックピット付近に停止している。

 

 その、鉄の足場。

 空中に固定した足場の中には、医師が足の踏み場もないような感じにごった返していた。

 パイロットと『箱庭』との結合関係を解くための設備とともにそこに集まっている者達は、全員が白衣姿。

 パイロットの神経系を『箱庭』から人間へと戻すことを仕事とする、専属の医師達だ。

 それら白で彩られる医師達が、四番艦だけでなく、第13小隊すべての『箱庭』のコックピット付近に存在していた。

 一つの『箱庭』ごとに5人ほどの医師の数だろうか。

 大きな機械類。

 それを接続する者。

 操作する者。

 それらの白衣姿の者達が、細心の注意を払いながら、パイロットと『箱庭』との結合を解いていく。

 慎重に、そして大胆に。

 その様子は、さながら外科手術のような様相を呈していた。

 そんな様子を見て、巌はなにやら安心感のようなものを感じる。

 少なくとも、この結合関係を解く時点では命の危険はないだろう、と。

 そう思い至った巌は、体の底から勇気が湧き出るのを感じていた。

 信頼できるスタッフ。

 そして敵は人類の敵、地球同位生命体。

 子供っぽい巌の考え。

 それは単純なヒーロー願望なのだろう。

 それを考えついた巌の表情には、希望に満ちた満面の笑みが浮かべられることになる。

 ニコニコと、希望に目を輝かせて、子供のように笑顔を浮かべる。

 楽しいというよりは、このすばらしい現場に自分も加わることができているという満足感。

 それを感じる巌としては、顔に浮かぶ笑顔を止めることができなかった。

 そして、その表情をそのままに、巌はふと視線を横へとずらす。

 その視線を、『箱庭』へと。

 自分が乗ることになるかもしれない『箱庭』へと。

 第13小隊、弐番艦の『箱庭』へと。

 カネコがさきほどまで乗っていた『箱庭』へと。

「――――え?」

 疑問詞は、巌だ。

 見据えた先、つまりは弐番艦の『箱庭』にだけ、他にはない様相があった。

 そこだけ、他よりも医師の数が多い。

 慌しくも動く、医師達の群れがいきりたっている。

 どこかに連絡をとる音声と、諦めと達観。

 そして、その地上では、一つのものが用意されていた。

 それは、担架、だ。

 人を運ぶための、担架が、弐番艦の下に用意されている。

 ――――ドクン。

 はじめに「なんのために?」と巌は思った。

 その担架はなんのために……。

 ――――決まっている。担架はケガ人病人を乗せるための物だ。それ以外の何物でもない。

 次に「誰が?」と思った。

 その担架に乗るのは、誰だ、と。

 ――――決まっている。担架のあるのは弐番艦の下。この状況下。誰がそれに乗せられるのかなど、とうの昔からの決定事項。

 さいごに「なぜ?」と問いた。

 何に対しての「なぜ?」なのかは巌にも分からない。

 単なる時間稼ぎ、受け止めることのできない現実への逃避。

 ――――つまり、カネコが、その、担架に、乗る、と、い、う、こ、と。

 

「カネコさん!!」

 叫びとともに、巌は駆け出していた。

 嫌な予感が最初からあった。

 それは昨日のカネコの変調から覚えた感触であったが、それはこの桜島に来たときから持っていたことなのだろう。

 いや、もしかしたら、浮き島に来たときから何か違和感を、巌は受けていたのかもしれない。

 無気力な教師陣。

 無感動な指揮官。

 ただ事務的に『箱庭』に乗るパイロット。

 そして何より、浮き島に、200人もの人間がいるという事実。

 必要ない。

 必要ないのだ。

 そんな数は必要ない。

 必要ないはずだ。

 浮き島に来て、『箱庭』パイロットの死亡率がそんなに高くないことを始めて知った。

 死亡率は高くない。

 パイロットは死なない。

 欠員など、そんなに簡単にでるはずがない。

 200人。

 なぜ、200人もの人間を試験に合格させる必要があったのか。

 なぜ、『箱庭』に乗ると生きて帰れないなどという噂がたっているのか。

 ――――なぜ、『箱庭』に乗っている人間は、わけの分からない、脈絡のないことを喋りだすのか。

 走った。

 巌は走った。

 その視界の中、弐番艦のコックピットの中から、カネコが取り出される。

 取り出される。

 物のように、取り出される。

 けれど、生きている。

 生きている。

 そう、生きている。

 カネコの体が動くのが見える。

 外傷もない。

 生きている。

 死んでいない。

 死んでいない。

 生きている。

 生きている。

 生きている。

 生きている。

 いきている。

 いきている。

 いきている。

 いきている。

 いきている。

 いきている。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテイル。

 イキテ……。

 ―――――生きている、だけだった。

「うにゃあああ。うみねこが鳴く頃には神様が現れそして母さん僕はもう元気だと言うのは神社の境内の中で鮎の塩焼きなんだなああ!! はははは、くっくううううっく……ひゃあああ。パソコンをミロええいとアハハハハ……うううううう」

 絶句、した。

 巌は、絶句した。

 訳の分からない言葉を今も継続して喋っているのは、カネコだった。

 メガネがいつものようにかけられている。

 姿も身長も、変わったところは見られない。

 しかし、変わっていないところはそこだけだった。

 その顔には形容のできない表情が浮かべられている。

 赤ん坊。

 大人の気持ち悪い目。

 達観と渇望。

 一点の曇りのない、だからこそ曇っているということができそうな笑顔。

 そして、口からでるその言葉。

 言葉。

 言葉。

 言葉。

 それらはまったく意味を持たずに、ただただ虚空へと投げ出されるばかり。

 意味のとおらない、理解のできないそのカネコの状況。

 それを見て巌は、心配という感情よりも恐怖という感情のほうが早くきた。

「カネコ……さん?」

「本と古典をhミガキgこにくわああああああああははああ!! ラクガキ色の、ばー、ばー、ばー。やいくるjふおか富士山におこかかかかかかかか明日の意味が電光とうだおと思った」

 見間違いでも、何かの間違いでもなかった。

 カネコの姿は、そのまま。

 形容し難い笑顔を浮かべながら、訳のわからない言葉を喋り続けるだけ。

「…………カネコ、さん」

 呆然とするしかない巌。

 それを邪魔そうにしながら、白衣姿の医師達はカネコを担架へと乗せて、移動を開始する。

 茫然自失。

 何も考えることができない。

 巌はただ、でくの坊のようにそこに立ち尽くすだけ。

 終わった。

 平和の上にあぐらをかき、犠牲の上に成り立っていた幸せを享受する日々は、これで終わった。

 待ち受けるのは、灰色の闇。

 真っ暗な、というわけではない。

 光はきちんと存在する。

 被害者、というわけでもない。

 救いはちゃんと存在する。

 すべてが悪いことでもなく、一極の意味には収束させることはできない。

 目の前に広がるのは、屹立とした灰色。

 燦然と輝く世界はすぐ隣に。

 ぬるま湯の中に、巌は足を踏み入れた。

(続く)

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