光と影(9)
朝。いつも通りの太陽に呼ばれて、いつも通りの時間に家を出た、
住田洋次は一人、通学路に足を進める。
奇妙に思ったのはすぐだった。達也との合流地点で達也が来ない。
不真面目な達也だが、寝坊したことは恐らくほとんど無かったため、
住田は少し待つことにした。そして携帯を見た。
よく見ると、メールが溜まっている。
疲れて寝てしまった昨日の夜に、二件メールが届いていた。
それぞれ、達也とテルから。そして内容は同じだった。
「朝練があって、一緒に学校に行けない。」
住田洋次は一つため息をついて、ゆっくりと歩き出した。
足を進めながら、空を見上げると、太陽が眩しかった。
しかしその形はしっかり視えた。太陽はいつでも自信たっぷりだ。
……自信たっぷりで、それでいて、孤独だった。
住田はそれからいつもよりも足を速めて、学校へと向かった。
彼はちょっとだけ、テルも達也も没頭する軽音楽部が、
どのようなものか見てみたい、という単純な好奇心に駆られていた。
学校に着いても、自分の教室のある北校舎には向かわず、
新設の東校舎に入っていき、その最上階を目指した。
奥の教室からはバンドの音が響いていて、
隠れて中の様子を覗き見る新入生の姿もいくつかあった。
ガタイが良く、背も高い洋次は、その新入生には紛れられなかったが、
こっそりと開いた戸の隙間から、中の様子を覗き見た。
達也が居た。必死にギターを弾いている。
同じクラスに居た不思議な女子、野上からアドバイスを受けているようだ。
そして反対側にはテルが居て、一生懸命楽譜を見ている。
その彼と顔を近づけるようにして、奥野なる男が立っていた。
二人は一緒に楽譜を読み合わせた後、何か面白い事があったらしく、
顔を見合わせて楽しそうに笑った――。
○ ○ ○ ○ ○ ○
太陽が雲に隠れる。いつも見えていた、太陽が見えなくなる。
同じ建物に居るはずなのに、同じ学校に居るはずなのに、
こんなにも遠い。僕の胸は張り裂けそうで、限界だった。
隠れているのは誰だ?洋次か?違う、きっと僕だ。
僕が自分から、洋次のもとから遠ざかろうとしている、
そんな風に思われたって、今の状況では仕方がない。
昼休み、綿華がまた僕の席に近づいてくるのが見えたけれど、
対照的に僕は席を立って、自分の席から離れた。
恥ずかしい事に僕が相当思いつめた顔をしていたのか、
背後の綿華が足を止めたことに、僕は気が付いていたけれど、
そんな事はお構いなしに、僕は隣のクラス、一組へと向かった。
そこにならきっと洋次が居るはず。
でも、大勢の友達に囲まれているかもしれない。
太陽のような彼は、友人を惹きつける光を放っているのだから。
そんな時に僕が、影の中から踏み出していったらどうだろうか?
……やっぱり洋次の邪魔に、なるんじゃないだろうか。
教室の前で、僕は本気で悩んだ。
ここで洋次に一言言いたいがために、洋次の平穏を乱すのか。
「誤解だよ、これからも一緒に居てね。」バカバカしいセリフだった。
メールで言えばいいかもしれない、でもどうやって説明したらいいだろう。
洋次の顔を見れば、目を見れば、言えるかもしれない。
……嘘つきな僕だけど、少なくとも勘違いを解けるかもしれない。
僕は一組のドアに手をかけて、思い切ってそれを開けた――。
「あらん?どなたですの?私の前に立つのは……」
鮮やかな緑色の髪に、派手な青いカチューシャ。
そしてその髪は何重にも結んであり、制服は少しレースを混ぜて崩し、
何もかもを見下して、ゆるやかに笑う、見覚えのない女。
「……え、え~と……」
「とりあえず、どいてくれません?わたくし、自分の前に他の人間が立つことが世界で一番嫌いですのよ?どなたか存じ上げませんが……」
「おい『お嬢』、また勝手に!」
まるで女王のように振る舞う彼女に、
「お嬢」なんて相応しいニックネームをつけて、
慣れた様子でこちらに飛んできた、その男こそ。
見間違えようもなく、洋次だった。
「……て、テル!?」
「よ、洋次……?」
「お前、何でここに……」
「あらん?洋次の知り合いですの?そうならそうと早く言いなさいな。わたくし、何やら逆賊が攻め込んできたのかと勘違いしてしまいましたわ。」
……状況が飲み込めないまま、僕は立ちすくんでいると、
緑色の髪をした「お嬢」が、礼儀正しく頭を下げた。
「わたくし、鈴木美沙子と申しますわ。先日この学校に転校して参りました。洋次のご友人だったとは……私も殿方にはお世話になっておりますわ。今後とも、よろしくお願いいたしますね?」
「おいお嬢、何言ってんだ!」
「……よ、よろしくね~。」
僕はいつもの、作り笑いをするので精いっぱいで、
それから僕を振り切って、廊下へと出て行った彼女の姿を呆然と見送った。
「それで、どうしたんだよテル?何か用か?」
僕の両肩を掴んで、ムリヤリ視線を戻させた洋次が、まっすぐに僕を見た。
……今の僕には、先ほどの衝撃が強すぎて、何も言うことは出来ない。
しかも、僕が黙っていても、洋次も何も言う事はなく、
「お嬢」との怪しげな関係を、自分から説明することも無かった。
「いや、何でもないよ~。……たまたま、前を通りかかっただけ~。」
自分の前髪を掻いて、目元を隠した。
僕は口の筋肉だけしっかり動かして、笑いを作ってみせた。
「そうか……あ、テル朝練やるんだってな。頑張れよ!」
「あ、うん~。……頑張るね~。」
僕の肩をポンと叩いた彼は、そのまま席へと戻って行った。
意外にも男子の輪の中には戻らず、自分の席へと帰った彼は、
そのまま昼食を食べ始めた。そしてその机にはもう一つ弁当があった。
その弁当は……どこか高貴で、派手な人物のものを思わせた。
これ以上それを見ていると、変になってしまう気がした僕は、
慌てて目を背け、それから一組を後にして、
焦って自分のクラスへ、二組へと戻って来た。
僕は黙って席に着く。
……どうしてもあの女の強烈な姿が、頭から離れない。
どうしてあんな女と、洋次は一緒に居るのだろう。
どうしてあんな女と、洋次は一緒にご飯を食べているのだろう。
……どうして、どうしてどうしてどうして?
「……ル君、テル君!」
「……え?」
「どうしたの?ボーッとしちゃって。ほら、お昼食べましょ!」
目の前の綿華が、ちょっぴり不器用に、笑った。