光と影(8)
月の淡い光は、人々を艶やかに誘うけれど、
月は太陽なくして輝けない事を、人に隠しているのだ――。
案の定お昼休みは、仮入部届の対応に追われてほとんど潰れ、
そして本格的に軽音部始動と思われた放課後には、
仮入部届を出してくれた新入生が集まって練習にならなかった。
また、どういうツテか知らないが、
練習用のギターやベースをなんと人数分、織田が用意し、
新入生の未経験者は、それを使って練習を始める。
もちろん経験者は既にマイ楽器を手に、メンバー集めに努めている。
「じゃー次はGコード!こうだー!ずばばーん!」
「奥野先輩、よく分かんないッスー!」
「もうちょっと丁寧にッスー!」
「仕方ねーな!こうだー!ずばばーん!」
「分かんないッスー!」
……こんな感じで、未経験者には奥野の感覚的な指導が入る。
さりげなくそのメンバーの中に達也が潜り込んでいて、
奥野の弾く姿を新入生の隙間から一生懸命目に焼き付けている。
いち早くコードを習得しようと焦っているらしく、
必死な達也の姿はおかしかったけれど、
人のがんばってる姿を見て、指さして笑うことは出来なかった。
一方織田や野上はそっけないながらも丁寧な指導をし、
織田の所にはイケメン目的の生徒が、
野上のもとには美女目的の生徒が集まっていた。
演奏を聴いて衝動に突き動かされただけの生徒も大勢いるだろうから、
正規入部までにどれくらい新入生が残るかは見物だ。
僕は元々人気のないキーボード。特に新入生を集めることなく、
とりあえずは自分の練習に没入していた。
「テル君さー!テル君に任せるから、次の曲の楽譜買ってきてよー!」
一人で練習していた僕は、奥野にそんなおつかいを命じられた。
確かに、今日みんなの前で演奏した曲は、あくまで今日のための曲。
恐らく奥野や織田、野上のレベルならもっと難しい曲が出来る。
「別に良いよ~。」
「何曲か試してみたいからさー!二つか三つ、よろしくなー!」
「は~い。」
新入生の育成ばかりしては居られない、僕らもスキルアップしないと。
そんな気持ちが奥野からは伝わって来たので、快く承諾した。
楽器店が入った、近所のショッピングモールへはすぐだ。
駅へ続く道からは少し外れているが、うちの学校の生徒もよく利用する。
近隣の学校の生徒も使っているようで、この時間は賑わっているだろう。
……文化祭の買い出しの時にも使ったし、
洋次と一緒に居た時に、洋次の元カノと偶然再会したのもここだ。
そんな思い出もあったなあ、なんて歩いていると、
陸上部の生徒が数名、前を走って横切っていった。
……その中に、洋次の姿があって。
あっ、と思った時にはもう遅く、僕とは逆の学校方向へ向かっていく。
後ろから追いかければ気づいてもらえるだろうけれど、
そこまでして陸上部に追いつくだけの体力は僕にはなかった。
……何となく、不安の影が、僕の身体から伸びていく。
学校に来る日は、朝に洋次と一緒に登校するから(達也もいるけど)、
一緒に居ることが当たり前だと、安心しきっていた。
今日は軽音の準備で、それがなかったのだ。
……別に、明日からは普通の日常なんだから、
洋次と会えなくなる、なんて考えてもみなかったけれど、
何となく、ちょっと距離が出来てしまった、そんな感じがしたんだ。
月は地球の周りを回る。太陽に近づいては、遠ざかっての繰り返し。
言われた通り楽譜を二、三個、僕の趣味で買って帰ってくると、
大勢いた新入部員(仮入部生)はほとんど居なくなっていて、
そこにはヘトヘトになって疲れているみんなの姿があった。
「どうしたの~?もしかして、みんな脱落しちゃった~?」
「いやー!もちろん全部相手したけど、さすがに今日は体力の限界だしー!」
奥野は笑顔だが、息を切らしている。
今日は朝から晩までギターに触れていた、そんな印象だった。
「さすがにこれが毎回だとキツイな。自分たちの練習が出来ない。」
「彼らがある程度出来るようになったら、仕事は無くなるんだろうけどねえ。でも、最初は大変よねえ?」
淡々としている織田と野上も、さすがに疲れきっていて、
ただ驚いたことにまだ練習を続けている達也が、こちらを振り向いた。
「しかし、これだと俺たちはいつ合わせるんだ?放課後は全部新入生に時間取られるんだろ?まったく……ま、これがやりたかったんだろうから、俺は四の五の言わずに付いていくがな。」
文句を言いながらも、達也はギターから目を離さず練習を続けている。
……初めて、あそこまでタフな達也を見た気がする。
彼の言った通り、僕らはいつ練習するのだろうという疑問は残る。
「もう下校時刻だし、仕方ねーなー!しばらくは朝練すっかー!」
「……朝練?」
固まった僕とは対照的に、織田や野上、それから達也までもが、
奥野のそのセリフの意味を理解して、彼に同調した。
放課後出来ないなら、朝やってしまえば良い。単純な理屈だった。
「そういうわけで、明日からも7時半集合なー!じゃ、今日は解散だー!」
下駄箱を探しても、洋次はもう帰ってしまっていた。
朝練は洋次よりも早く、放課後は洋次より遅い……。
こうしてずっとすれ違うのだろうか。僕は心の底から不安になった。
「洋次には言っとかねえとな……あいつ、一人で登校する事になるぜ。」
「……そうだね~。」
僕の心を読んだのかは分からないが、隣を歩く達也も同じことを考えていた。
ただし、僕と達也の考えている内容は恐らく違っていて、
達也は一人になる洋次の事を気にしているのだろうけれど、
僕は僕自身が一人になって、洋次と距離が出来ることが心配だった。
それからというもの、帰り道、隣で達也に話しかけられ続けたが、
彼の言葉はほとんど耳に入ってこず、僕は適当に相槌を打った。
そんな僕を見かねて、達也も途中から何も言わず、
僕らは分かれ道で、また明日、と言って自然に別れた。
僕は、家に帰ってすぐベッドに横になった。
思いを巡らしている内に、洋次の元カノ、カナちゃんの姿が思い浮かんだ。
男と女、彼氏と彼女、という誰からも一目で分かるカップルならば、
その結びつきは強く、こんな事で離れ離れにならないのかもしれない。
でも僕らは恋人と言うには少し複雑すぎて、
どうしても簡単には問題を捉えることが出来ない。
あの時のカナちゃんの言葉が頭をよぎる。
『友達っていう関係を、無理に延長してるだけじゃないの?』
ただ友達の延長ならば、こんなに苦しむわけがないから、
カナちゃんはただ負けたくなくて、そんな事を言ったんだろうけれど、
ある意味彼女の言葉は当たっていて、
僕らの関係は、セックスをするだけのただの仲のいい友達で、
そしてこれからちょっと距離が出来る、という事に違いは無いように思えた。