光と影(4)
夕暮れの淡い光は、全ての影を増幅させる。
「いやー!終わったなー!」
「……ぐふッ……見事に燃え尽きたぜ……」
「がんばろうなー!達也、自主練もよろしくなー!」
練習を終えて、奥野にひたすら励まされている達也。
二人が会話する一方で、部室に鍵を掛ける織田、携帯を確認している野上、
それから僕は、ぼんやりと窓の外の暗がりを見ていた。
「月曜日はドラムとか運ぶのと、リハすっから7時半集合なー!」
「おう。」
「ったく、そういう面倒な作業も必要なんだな……あ、野上は女子だから、楽器運びはやらなくて良いんじゃないのか?」
気のない返事をする織田と対照的に、達也は野上を気遣った。
……いつの間にそういう配慮を覚えたのか、と僕は少しばかり驚いた。
野上もちょっと驚いてから、頬をゆるませた。
「大丈夫だよお。意外と力持ちだから、出来ることくらいはやるねえ?」
野上は背負っているベースを指さした後で、ガッツポーズして見せた。
正直男子が好きそうな要素を詰め込んだような彼女だけれど、
僕は興味ないばかりか、いら立ちさえ覚え始めていた。
よく見ると奥野や織田も、野上に反応して表情を変えてはないようで、
達也も、彼女を気遣った割には、もう興味を失って歩き始めていた。
流れに合わせて、僕らは取りとめのない話をしつつ階段を下りた。
そして靴を履きかえていると、前を見覚えのある女子生徒が横切る。
……少し暗くても分かる存在感。僕はすぐに目を背けようとしたけれど、
間に合わず、彼女はこちらの集団に近づいてきた。
「どうもこんばんは、軽音楽部の皆さんね?私は月山和佳子。生徒会の書記で、そこの和輝の姉です。いつも弟がお世話になってます。」
金髪でメイクの濃い女……僕の最も嫌いとする女が、姉だ。
借りてきた猫の様に、彼女はしおらしく頭を下げた。
「おー!部活申請の時に協力してくれた書記の……テル君の姉さんだったんですかー!」
勝手に盛り上がっている奥野を筆頭に、みんな僕と姉の顔を見比べている。
達也なんか良く知ってるだろうから、便乗しなくてもいいのに。
いら立ちから、僕はほんの少し目を細めて言った。
「何で学校に来てるの~?」
「生徒会も新入生歓迎会には色々と関わるのよ。……まあ、先に帰ってご飯の準備しておくから、和輝も早く帰って来てね。」
そう言って他の皆にもう一度頭を下げ、和佳子は堂々と歩いて行った。
ちゃっかり料理が出来る事をアピールして……と腹立たしく思ったけれど、
他のみんなはあまり気を惹かれてはいなかったようなので、ひとまずホッとした。
○ ○ ○ ○ ○ ○
「ちょっと和輝。何よあのイケメン?はやく紹介しなさいよ。」
家に着くなり下着姿で和佳子が出迎えた。
分かっていた事だけれど、僕はため息をついた。
……姉和佳子は、ショッピングと男に関しては見境が無くなる。
「イケメンって誰~?」
「居たじゃない。部活作った子と達也以外に、もう一人超絶イケメンが。」
「あ~、織田ね~。」
「私の下級生チェックの時には居なかったんだけど。転校生か何か?」
「そうみたい~。僕も昨日知り合ったばっかで良く知らないや~。」
靴を脱いで、さりげなく和佳子の横を素通りし、僕は階段を上がる。
追求しようとした和佳子も、僕に紹介する能力がないと分かって、
もう僕には興味を失ってキッチンへ戻る……かに思えた。
「そういえばアンタ、友達増えたわね。」
「……え~?」
「洋次とばっかつるんでたのに、交友関係広がったんじゃない?ま、陰気なイメージが取れてせいせいしたわ。私の弟として恥ずかしかったから。」
僕はそれ以上返事をせず、階段を上がり切った。
ほとんどが余計なお世話だが、それは興味深い指摘でもあった。
正直、踏み込まれさえしなければ、楽なのだ。
僕は何も考えなくても、適当に相手をしていれば良いのだから。
フワフワしていて、掴みどころのない「テル君」で通っている僕は、
何かを真剣に考えたり、人のために動いたりする必要は無いのだ。
……それが、洋次と一緒に居るときより楽な事に気づいてしまった。
洋次の前では、僕は洋次にとって理想の僕であらねばならないし、
どうにか洋次を、僕に繋ぎ止めておかなければならないと考える。
色んな事を我慢して、色んな所で背伸びする。
こうした関係に、少しずつ疲れが溜まってきているのも事実だ。
身体がつながっているその時だけは、僕は何も考えなくていいのだから、
ずっとつながっていたいと思う気持ちも、確かに僕の中にはあって――。
携帯が鳴る。ちょっとドキッとした。
まさか、洋次だったりして……画面を見ると、良助だった。
『よお。』
「……良助、なんか久しぶりだね~。クラス離れちゃったから、学校で接点もなくなっちゃったしね~。」
『そうだな。テルは元気でやってるか。』
「そこそこね~。部活変えたんだよ~。」
ちょっぴり不器用だけど、思いやりのある三人目の幼なじみは、
僕にとっては洋次との恋の悩みの、良き相談相手だった。
自分本位な達也や洋次と違って、たまに自分を犠牲にする事があるのも、
……僕にとっては自分を見ているようで、話してて心地よかった。
少しだけとりとめのない話をした後で、何となく異変に気付いた。
何となく、良助に元気が無い。いつも元気ハツラツとはしていないけれど。
そもそも最近は僕から電話する事が多かったのに、突然電話してきたのも変だ。
この電話は、ただの近況報告ではないのかもしれない。
「良助、そういえば~」
『お前、明日洋次とのデートだってのに、あまり元気ないな。』
「え……そうかな~。」
察しのいい良助に、先に聞かれてしまった。
……僕でさえ忘れていた洋次との予定を、よく覚えていたと思う。
洋次と良助は、慎悟の件以来疎遠になっているとはいえ、やはり幼なじみだ。
『明日はデートだとか、どんな所へ連れてってもらえるとか、そういう話を全然してないだろ、まだ。』
「……なんかね~、最近考え過ぎて疲れちゃった~。」
『考え過ぎたって何をだ。』
良助には隠せない。ありのままを言った方が楽になる。
なるべく明るい声を出すことを、心がけた。
「自信なくなってきちゃった~。本当に、洋次と付き合ってて良いのかな~?」
『それはそこまで考え込む事じゃないだろ。あいつだってお前の事、好きだって言ったんだからさ。』
「……そうなんだけどね~。」
何となく深呼吸した。僕は今のこの気持ちを言い表す感情を探していた。
するとそれは、良助の口からある種の重みを伴って、現れた。
『言い出せないって、 怖い よな。』