仄暗い胸懐の声その3
「それについても問題はありません。先のN&P社の献金偽装事件を覚えておいででしょうか?」
「っ!?」「……勿論、覚えていますが」
N&Pの名前を聞いて、アイリーンは驚きに目を見開いた。マテウスも表情にこそ出さなかったが、内心穏やかではない。世間的にあの事件は第3王女誘拐未遂事件と全く繋がりのない別の事件とされている。
実行犯であるカナーンとN&P社との繋がりを、明確に証明出来なかったからだ(首謀者とみなされているハンク・パーソンズが行方不明の為)。だから、不確かな憶測を政府側から発信する訳にはいかないという事で、これらの情報には緘口令が布かれていた。
「ではその事件以来、N&P社がその事業規模を縮小に向けて動いているのも?」
「勿論。異端審問でそれどころではないというのが、実情でしょうが……」
だが、そんな2人の緊張など部外者のナンシーは知る由もないので、彼女はそのまま流暢に話を続ける。
「それについては不幸な出来事ですが……しかし、そのお陰で我々は使われなくなった製造ラインと、一線で活躍していた理力付与技師を確保する機会に恵まれたんです」
「なるほど。話が見えてきました」
新たにゼロから始めようとすれば莫大な資金の投入を要求される下位装具事業も、N&P社が閉鎖した工場、リストラした人材、それらを流用して新たなブランドとして始めるのであれば、資金は比較にならない程に抑える事出来る。
「現在、政府支援策のお陰で元N&P社員の再就職の支援をすれば、助成金が得られるようになってます。それに今の段階ならば、N&P社が事業規模を縮小した事で出来る供給の空白が、下位装具事業参入への足掛かりにもなってくれるでしょう。新たに下位装具事業を展開するにあたって、これ程の機会はないんですよっ」
ナンシーの口調に熱が篭もる。ヴァ―ミリオンがどれほどの会社であるかマテウスは知らないが、どんな規模であれこれは社運のかかった計画になるだろう。それを考えれば彼女が熱く語る理由も、自ずと分かろうというものだ。
「そんな折、騎士団査定でエウレシア王国で2つ目の女性だけの騎士団、赤鳳騎士団が新設された事を知りました。私どもが新たな事業を展開し始めた同時期に歩みを始めた、初々しくも美しい女性騎士達の活躍を拝見させて頂き、彼女達にこそ女性の為に作った私どものブランドを使用し、広めて頂きたい……そう考えて、ここに参りました」
ここまで話が進んでようやく、アイリーンは相手の正体が分かった。ナンシーは赤鳳騎士団の支援者になりたいと語っているのだ。それは騎士団査定での赤鳳騎士団の活躍が認められたという事である。アイリーンは胸が弾み、小躍りしたいくらいの喜びに浸っていた。
だが、マテウスはそんな建前だけの美辞麗句に流されるような男ではない。ここからは彼の予想だが、騎士団査定を見学した時点での本命は、白狼騎士団だったのだろう。
しかし、彼女等は大所帯で既に知名度や実績を有しており、契約と共に要求される支援額も馬鹿にならない。そこで目を付けられたのが、無様ながらもワイルドバイソン相手に勝利を得た赤鳳騎士団だ。
あの戦闘内容だけでは評価に値しないだろうが、少し調べれば赤鳳騎士団が王女殿下の親衛隊騎士である事はすぐに知れる。エウレシアの三美姫としても名高い王女殿下が認め、その騎士達が使っているブランドともなれば、騎士団自体がお飾りで兵器としての実績は残せなくとも、女性の護身用装具としてならばウケはいいだろう。
レスリーを送り込んだドイル家や、フィオナを送り込んだゾフ家のように、王女殿下へ接近する事によって、貴族社交界での優遇を狙ったのかもしれない。
これらマテウスの予想は、半分はナンシーの腹積もりを捉えていた。マテウスの心情的には気に入らない、見え透いた打算や計算が背後に感じ取れる申し出ではあったが、契約する事によって赤鳳騎士団側にも分かりやすいメリットが用意されているのだ。騎士団の責任者としては、断る理由は少なかった。
「分かりました。では、契約条件を煮詰めていきましょうか」
マテウスとナンシーが、2人で同じ書類を見合わせながら契約条件の細かい内容を話し合っている間、アイリーンはずっと興奮しっぱなしだった。レスリーに差し出された紅茶に口を着けるのも忘れていた程である。
レスリーは既に冷めてしまったナンシーとアイリーンの紅茶と、空になったマテウスのカップとを静かに下げて、お代わりを用意しに退室しようとする。その、いつもの女使用人服に身を包んだ彼女の後ろ姿を見たアイリーンが、ハッと顔を上げて両手を叩く。
「そうだっ! 制服っ。条件の1つに、赤鳳騎士団の制服を作って欲しいって加えてよ、マテウス」
「んっ? なんだ急に……」
「制服だよ、制服。わた……じゃなくて、王女殿下の護衛する時に、赤鳳騎士団ってそれと見て分かるような……後、出来れば女の子らしくて、可愛いやつがいいなっ。服飾関係の会社なんだから、出来るでしょう?」
「それは……」「確かに、必要だな」
今までずっとムスッと機嫌を損ねていたのに、急に朗らかに笑顔で話に入って来たアイリーンに、マテウスとナンシーの2人は戸惑いながらも同意した。確かに今の赤鳳騎士団には制服がないと困る場面は多い。祭典などの公の場で統一した服装がない彼女等は、騎士団査定の時に苦肉の策としてエウレシア王国の衛士用の制服(男性用)を着て出席する事になった。
これから先も騎士団としてやっていくのであれば、紋章のようにトレードマークにも似た一目で彼女等と分かる信号は、護衛の場面でも有利に働く場面が多いだろう。
それに、これ以上をこのまま男物の衛士の制服を流用して、制服も用意出来ぬみすぼらしい騎士団等と周囲から要らぬ中傷を浴びるような真似は、マテウスは気にせずとも彼女等当人にとっては不憫であろう。こちら側で手を回して余計な些事から守れるのなら、出来る配慮はするべきだと、マテウスは考えた。
「では、これも条件の1つに。あと、可愛さよりも護衛からそのまま戦闘に入れるように、動きやすさや装具としての耐久性を重視して欲しい」
「駄目だよっ、可愛い方が大切よっ。絶対、可愛い奴!」
「そ……そうですね。では、どちらも大切にしたデザインで検討してみます」
「あっ、それと……」
そう言いながら立ち上がったアイリーンは、ナンシーの隣に駆け寄って彼女の耳元でなにかを囁く。マテウスは内容が気にならないでもなかったが、女性特有のなにかを相談しているかもしれないので、彼は聞き耳を立てずに待った。その後もゴニョゴニョと彼には聞こえぬように2人で話を進めていたが、友人のように密着して耳打ちするアイリーンの様子に、当然ながら戸惑っているだろうとナンシーの顔を覗き見るが……何故か彼女は、両頬を赤らめてにへらっと表情を緩めている。
先程まで見せていた商談をしていた時の固く結ばれていた口元や吊り上がった頬は面影もなく、涎を少し垂らしただらしない口元、緩んだ頬は赤らんでいてうっすらとそばかすが浮き上がっている。
その上、赤縁の眼鏡はずり落ち、目尻の垂れた瞳はアイリーンの胸元に視線を奪われているようだった。そこまで眺めてマテウスはふと思い出す。ナンシー・ロウという名前、うっすらとそばかすの浮かんだこのだらしない表情。徐々に強い既視感を覚えたマテウスは、2人を前にある人物の名前を上げた。