失われた軌跡その2
「気付いていて、試したの? 最低」
「君こそ、気付いていて隠していたのか? ワイルドバイソン相手に組んだ陣は、君の力に期待する部分も多かった。しかし本番では随分と精細を欠いた弓射で訓練とは違う位置取りの繰り返し。疑問に思っていたが、ようやく理解できたよ。君は味方が完全に隠れる位置を探して動いていたんだな」
「……別に、隠していた訳じゃない。練習は大体ここでやるから、基本的には視界に人が入らないし。少し違和感あるな、と思ったこともあったけど……でも、自分の弓がこんな事になっているって気づいたのは、あの時が初めてだから」
「違和感に気付いたのなら、それでもいいから相談して欲しかったんだが」
「なんで私がアンタなんかにそんな事……それに、アンタに弓の事なんて分かるの?」
ヴィヴィアナが見せる強い反発に、マテウスはそうなるのも仕方がないと特に諫めようとはしなかった。彼女から信頼される程の実績を積み立てていたかと問われればそうではないし、弓に関しても彼女以上の腕があるとはいえないからだ。ただ、彼女がしているちょっとした勘違いは正しておこうと思った。
マテウスは無言でヴィヴィアナに歩み寄って手を伸ばす。ヴィヴィアナはすんなりとその意図を理解したようで、弓と矢を手渡した。マテウスはそれらを持って正しい足場へと向かっていく。ヴィヴィアナはそれの後ろへと黙って馬を引いて付いていった。
(久しぶりだな)
少し緊張した面持ちで、弦の張りと弓の胴や握りの感触を確かめるマテウス。確認を終わると大した時間も掛けずに構えて、あっさりと矢を放った。命中。次の矢を番えるまでの時間も早い。そしてまた命中。今度は軽く歩きながら矢を番える。命中。命中。的の真ん中を次々と射抜いていく。結局最後の矢がなくなるまで、マテウスは的を外さなかった。
「アンタ、騎士の癖に弓も使えるの?」
「使えた方が便利だからな。理力を消費せずにこれだけ離れた敵を狙えるという利点は、総合的に考えれば剣よりも優秀だと思っているぐらいだよ」
「へぇー。意外にわかってる……っていうのは冗談で、まぁこれぐらいの距離なら外さないのが当たり前だけどね」
マテウスとの会話で自分の声が弾みかけている事に気付いたヴィヴィアナは、慌てて視線を外しながら普段通りの声を探して押さえつける。マテウスはそれらに気付かないふりをしながら、彼女へ弓を差し出した。
「ありがとう。いい弓だ」
「別に……騎士団として揃えた弓でしょ? 私だけのじゃないし」
「でも、手入れしているのは君だろう?」
マテウスにそう告げられてヴィヴィアナは少し収まりの悪そうな、気恥ずかしそうな表情を浮かべながら、弓を受け取る。褒められるという事に余り慣れてないのだ。ただ、マテウスの発言はそれを分かってのモノではなく、事実を並べただけの冷めたモノなのだが。
「ま、まぁ、オジサンの弓の腕は分かったよ。私ほどじゃないけどね」
「確かに普段の君ならばそうだろうな。だが、今の君の腕ならば、俺の方が役に立ちそうだ。そうなった切っ掛けに心当たりがあったりしないのか?」
ヴィヴィアナはどう言葉を返すかに迷っているようだったが、やがて覚悟を決めたように一呼吸置いてから話し始める。彼女なりにこのままでは、足を引っ張る事になるのを理解していたから、不承不承といったところだ。
「多分、ここに襲撃された日。初めて人を殺したあの夜からだよ」
「……そうか」
「オジサンに言っても分かんないかもだけどさ……私の場合、矢を放つ前にどう飛ぶかっていうのが分かるんだよね。こう……線が見える感じでさ。そして、刺さった瞬間に手応えが届くの。弓を持つ左手に。離れてるのにそんな馬鹿なって言いたいだろうけど、こればっかりは感覚だからこれ以上の説明は出来ないかな」
「いや、なんとなくではあるが分かるな。弓ではないが……槍を使っている時は俺も似たような時がある」
ヴィヴィアナが弓に対して真摯に努力を重ねているのは間違いないだろうが、それ以上に類稀なる才能を有しているのも事実だ。彼女の年齢でそういった達人のような感覚を得るというのは、天才と称して過言ではない。
「的を狙っている時とか、異形を狙っている時とか、そういう時はなんの問題なくてさ。その感覚に従って矢を放てば、いつもの手応えが返ってくるの。でもあの夜から、人が視界に絡むだけで線が見えなくなって……狙いが人に近づくだけで、矢を放つ前から左手に手応えを感じるようになった。あの夜に散々覚えた生温かくて、ベッタリと纏わりつくような……そんな手応え。その手応えが蘇ると、手が震えて狙いがまともに定まらなくて」
口にするだけでその感触を思い出すのだろう。ヴィヴィアナは自らの左手に視線を落としながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「人を殺すのは、あの夜が初めてだったんだな」
「そう。22人。初めての夜に私が殺した人の数。姉さんを守る為だったし、エステルに借りを返したかったし、実際殺さないと危ない場面だってあった。でも、そうやって言い訳したって私はもう立派な人殺しで、私が殺した人達にも家族がいて……って色々考えちゃうとさ」
「眠れていなかったりするのか?」
「悪夢にうなされていたのなんて、最初の数日だけだよ。オジサンが騎士団査定に向けての強化期間とかいってメニュー増やしてくれたおかげさまで、体はクタクタだから毎日グッスリ。食欲もある。そんなだから逆にね……薄情な自分に気付かされて、なんだかなぁーって感じ」
ヴィヴィアナは左手を自らの腰辺りで拭うような仕草をして、その手で髪が乱れるのも気にせずに頭を掻きむしる。そうすると背中まで伸びる長髪が、太陽の光に反射して赤く輝いた。そしてその両頬も、同様に赤く染まっていく。
「あぁ~、私なに言ってるんだろう? 誰かに話すつもりなんてなかったのに。特にアンタになんてね。本当、こんな事ぐらいで馬鹿みたい……このまま騎士団を続けていれば、また人を殺すぐらいの事なんてきっとあるのに」
「それもこのまま世の中が物騒になるならば、の話だ。なければそれに越した事はない」
「……ねぇ? オジサンは初めて人を殺した時、こういう事なかったの?」
「俺の場合もそうだな……状況は君と少し似ている。日々の暮らしをしていた時に突然襲撃を受けて、やむなく剣を取った。ただ、最初だからといって特になにも罪悪感は覚えなかったよ。先に仕掛けたのは相手、だから仕方がない。それ以上、相手の背景に気を回す余裕がなかった」
「そうだよね。そう考えるのが普通なのかもね」
「戦場に出てからは早かったな。敵も味方もバタバタと殺して、殺されるのを見てしまうとな、慣れてしまうんだよ。人の死に。そうやって、日常の延長として人殺しが位置づけられる。だからな……楽になりたいのなら、慣れてしまうのが1番早い」
「そうは言っても、戦争中でもなければそんな機会なんて滅多にないし、そもそも今の私の弓じゃ人に当たるとは思えないし。それに、なんかそういうのって……」
「そうだな。こんな事、慣れない方がいいに決まっている」
「……えっ?」
今までの話の流れを断ち切るようなマテウスの発言に、ヴィヴィアナは意味が分からずに声を上げた。




