その名の宿命その2
―――同時刻、バンステッド闘技場、通用路
「よろしかったのですか? 私達が出なくて」
「団長だけマテウス様と話してずるいっすよ~」
肩を怒らせながら歩くカルディナの背に向かって、それを追いかける白狼騎士団の制服に身を包んだ少女達が声を掛ける。
「っるせーな。アイツの顔見てたら予定が変わったんだよっ。やっぱ、慣れねー事はするもんじゃねぇな」
吐き捨てるように呟くカルディナ。それに対して少女達は、片や困った者を相手するように深い溜め息を落とし、片やカルディナの前に回りこんで制服に縋りつく。
「そんな~。マテウス様に私の事を、紹介してくれる筈だったじゃないっすか~。私もあの生きる英雄と話したいっす。弟子入りしたいっす~」
縋りついた方の少女は、カルディナに何度振り払われても纏わりついて、彼女の服を離そうとしない。両手をカルディナの背中に回しながら、胸に顔を埋めて見上げようとするが、それを無視して歩みを続けるカルディナにズルズルと引き摺られていた。
「えぇいっ! てめーは相変わらず、鬱陶しいんだよエリカッ。ドリスッ、こいつをなんとかしろっ!」
「それは団長の自業自得です。そもそも、エリカを連れてきた事が間違いでしたね」
カルディナは荒事に慣れていない者ならば、傍にいるだけで脅えてしまいそうな程の剣幕であったが、そんな彼女を前にして、いまだに彼女に回した腕を放そうとしないエリカと呼ばれた女も、ツンと涼しい表情のまま嫌味を返すドリスと呼ばれた女も、マイペースを崩す事がないようだった。
それはカルディナと2人が、それだけ気心が知れた仲であるという現われである。
「私が赤鳳騎士団に仮入団するって話だったじゃないっすかー。私、すっごく楽しみにしてたのに、あんまりっすよー」
「っるせーんだよっ。だから予定が変わったって言ってんだろっ! クソッタレ……なにが騎士の才能だっ。ゴードンの旦那と同じだぁ? 適当な事ヌかして誤魔化しやがって」
ブツブツと苛立ちを消化するように独り言を溢すカルディナ。彼女にとって実の父のように慕っていたゴードンと、まだ駆け出し騎士であるエステルの才能を同等として並べられた事による怒りが、今になっても抑えられないのだ。
だが、エステルがゴードンの実の娘であるという事実と、冗談やお世辞を口にしないマテウスの性格を知っている為に、完全に馬鹿げた事だと否定しきれず、魚の骨が喉元に刺さるような苦々しい蟠りが、残り続ける原因となっていた。
カルディナは別に、マテウスと世間話をしたくて近づいた訳ではない。昔、同じ青鷲騎士団に所属していたよしみで、幾つかの手助けをしようとしていたのである。1つ目に立ち上げたばかりで人材不足に悩んでいるであろう赤鳳騎士団に、白狼騎士団の中でも有望だが伸び悩みを見せている2人、エリカとドリスのどちらかを選ばして人材不足を解消するまでの、仮入団を提案するつもりだったのだ。
そして2つ目に、滞在中に発生する経費を負担するものとして、少し多めの資金提供までも予定していたのだが、過去の柵や、エステルに対する評価の違いなどで行き違い、感情的になって予定がすっかりと抜け落ちてしまったのである。
つまんない戦い方……カルディナがそう称した陣形は、エステルが盾として機能し続けて、初めて成し得るものだ。上位装具として、強い力を持つ殲滅の蒼盾があるとはいえ、あの小さな体躯でワイルドバイソンに密着させ続けるような陣形を敷かせるなど、カルディナからすれば正気の沙汰とは思えない。殲滅の蒼盾を使うべき適任は、他に必ずいた筈だ。
それを失念する程にマテウスが落ちぶれたというのなら、エリカとドリス、2人の伸び悩みがマテウスに預ける事で解消されるかと思っていた件も、とんだ買い被りという結論に至る。カルディナの出したこの結論が、傍に控えさせていた2人の、マテウスに声をかける機会すらも奪ったのだ。
「おら、そろそろ貴賓席だから離れろエリカ。それからもう口を開くな。てめーはくっちゃべってっと、馬鹿だってまるわかりだからよ」
「うぇっ!? そんな言い方はないっすよ、団長~」
「最近はそうでもないですよ、団長」
「ドリス~! ドリスが私の事フォローしてくれるなんて珍しいっすっ!」
「喋らなくても、馬鹿が滲み出るようになってます。いっそ帰らせた方が会談には都合がいいと思いますが、どうしますか?」
「あぁっ! やっぱりこの女は駄目っすっ。畜生っすっ!」
エリカの纏わりつく先がドリスに移ると、一息吐けたと肩を撫で下ろしたカルディナ。しかし、曲がり角から現れた人物達の張り詰めた空気に気付いて息を止める。一瞬遅れて、エリカとドリスも開いていた口を閉ざして前を見据えた。
曲がり角から姿を現して、こちらへと歩く2人は、燕尾服と女使用人服を身に纏っていた。姿だけを見れば貴賓席の面々の誰かに仕える従者であろうと、違和感の1つも覚えない。だが、騎士団に所属する3人が3人とも歩く足を止めて、息をする事を躊躇う程の殺気に、口を強く結んで警戒を強める。
前を歩く燕尾服の男の、猛禽類を思わせるような鋭い瞳が一瞬カルディナを捉えるが、すぐに興味を失くしたかのように、前へと向きなおされた。対して男の後ろを歩く女使用人は能面のように無感情な瞳は、まるでカルディナ達の事に気付いていないのかと思う程に動かない。男の背中を捕らえたまま、足音も立てずにカルディナ達の横を通り過ぎていく。
3人が緊張を解いたのは、剣呑な2人の従者の姿が見えなくなってからだった。その姿が消えるまで、エリカやドリス、カルディナに至るまでも、呼吸すらまともに出来ずに、背中を流れる冷や汗を止められなかった。
「あれがリネカー……ですか? 私、初めて見ました」
「そうだな。アタシは何度か見たことあるが、あんなに気まずい雰囲気なのは初めてだぜ」
「てっきり私は普段からああなのかと思いましたよ。逸話が逸話ですからね……」
姿を知る者が限られているとはいえ、武門の道を歩む者なら1度は耳にする恐怖の名、最も強い戦士は誰かという話題になれば必ず上がる名、リネカー。武に携わらなくても、エウレシアでは子供達に聞かせる童話の中で、死神の代わりにリネカーの名を使うほどに恐怖の対象として認知されている。ドリスの誤解も仕方がない事だ。
「普段は王族の傍から離れないからな。あんなに分かり易い殺気を放ったままの従者が傍にいちゃ、ご主人様だって生きた心地がしねーだろうよ」
「2人共リネカーなんすかね? こんな所でなにしてるんすかね? うーん、あの先は確か踊り場だったような気がするっすけど……」
主がいてこその従者。主である王族がいないこの場で、2人のリネカーに遭遇するような事が起これば当然の疑問であるが、誰もこれ以上の追及をしようなどと、自殺願望を抱く間抜けはいない。リネカーにとっては主である王族以外は、全て殺しの対象。それは、カルディナ達のような王に仕える騎士団とて、例外ではないのだから。
「まぁアタシ達には関係ないことさ。っち、酔いが冷めちまった。早いところオーウェン公への報告を終わらせて、飲みなおしたいぜ」
着崩した制服から零れる胸の谷間に隠していたボトルを取り出して、喉を潤そうとするが、肝心の中身を切らしていたのを思い出して、舌打ちを零しながら再び元の場所へと納めるカルディナ。歩き出した彼女に少し遅れて、リネカーが消えた先を振り返りながら、エリカとドリスの2人は付き従っていった。