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姫騎士物語  作者: くるー
第二章 過ちばかりの道すがら
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罪業形成さずとも心蝕むその3

「アイリ」


「えっ? なに? ここどこ? あれ、なにっ? んっ、マテウス?」


 意識を取り戻したばかりのアイリーンは状況が飲み込めず、酷く混乱していた。まず自分が昨夜寝ていたのは親衛隊兵舎、マテウスの部屋だった筈だと振り返り、しかしそれから、不愉快な騎士鎧ナイトオブハートの男に襲撃されたのだと思い出す。その男にエステルがやられた姿を見た後に、記憶がなくなった事まで辿り着いて、自分がこの場所まで誘拐されて来たのだと状況を理解した。


「伏せていろっ」


 カヴァテットは両足のひづめを大地に食い込ませながら人のように立ち上がり、右前足を力任せにアイリーンに向けて振り下ろした。それを見たマテウスはアイリーンに警告を放ちながら、従者スレイブである腰巻の力を解放して、後ろ回し蹴りを放つように身体を回転させる。


 そうする事によって腰巻が一瞬だけ大きく広がり、カヴァテットの蹄を打ち払い、大きく仰け反らせた。


「マテウス? その声、マテウスなのっ? なんでそんな格好してるのっ? これ、どうなってるの? エステルは? 兵舎の皆や、パメラは無事っ? 後、この大きなのなんなのっ!?」


「いいから伏せていてくれっ」


 意識を失う前の事を思い出したアイリーンは、疑問が溢れ返り、更なる混乱へと陥っていた。だが、マテウスにその疑問の1つ1つを解消してやる余裕がない。


 原因を引き起こしたドミニクは、カヴァテットの影に隠れている。このまま姿を消すつもりだろうが、ここで全てを投げ出して彼女を追えば、アイリーンがこの場所へ取り残されてしまう。


 そうなった時、守る盾を失ったアイリーンはカヴァテットに殺されてしまうだろう。ではバルドに彼女を預けて、自分はドミニクを追うという手はどうだ? それも否。リンデルマン侯爵家の嫡男が、まだ敵であるか味方であるか分からない現状で、そんな危険な賭けをマテウスが選べる訳がない。


「じゃーねー、ショーグン。まーた会いましょうー?」


 つまり現状のマテウスでは、首謀者に最も近いであろう重要参考人であるドミニクを見逃すより他がないのだ。だが、それに対して歯噛みをする暇もなく、カヴァテットが体勢を立て直して、もう1度右前足を今度はマテウスに向けて振り下ろしてきた。


 マテウスは御者台と馬とを繋ていた皮紐かわひもを、両手剣ツヴァイアンダーで断ち切ると、馬車客室ごとアイリーンをバルド達の方向へと蹴り飛ばす。振り向きざまに両手剣で蹄を斬りつけるが、想像以上に硬くて刃が通らず、逆に地上へと叩きつけられた。


「ひぅんっ!? 痛-いっ……焦ってるのは分かるけど、乱暴すぎよっ」


 マテウスの背後遠くでアイリーンは、蹴り飛ばされた馬車客室の中、頭部を擦りながら立ち上がって顔を出す。バランスを崩して倒れた際に、座席に頭をぶつけたのだ。


「おぉ……ご無事でしたかっ、アイリーン王女殿下」


「えっ? はい……貴方は?」


 アイリーンは声を掛けられて振り返り、ようやく彼女の周りを取り囲むように、衛士がいる事に気付いた。しかし、声を掛けてきた張本人……中性的で美しい顔立ちをした男の事を彼女は知らず、居住まいを正しながら問い掛ける。


「火急ゆえ、馬上のまま失礼します。ラーグ領が領主、リンデルマン侯爵家嫡子、バルド・リンデルマンと申します。王女殿下をお守りする為、馳せ参じました」


「……バルド卿。感謝いたします」


「どうぞお手を。安全な場所までお連れします」


 馬を寄せて馬上から差し伸べられるバルドの手に応えるのを、アイリーンは少しだけ躊躇ためらった。リンデルマン侯爵という名前も理由の1つではあったが、なにより彼女にとって切実なのは、敏感体質ゆえにバルドに密着する事になるであろう馬上は、相当な我慢を強いられるからである。


(緊急事態。これは緊急事態だから……むーっ、マテウスと練習しておけば良かった)


 バルドの手を借りて、彼の前へと腰掛ける。バルドの腕が触れるたびに反射的に声を上げそうになるが、息を止めて気丈に振舞いながらそれを耐えた。


「少し揺れます。捕まってください」


 バルドの言葉に従ってアイリーンは、何処に手を伸ばそうかと彷徨さまって、結局(くら)の出っ張りへと両手を伸ばした。時折触れるこの腕がマテウスのものだったなら、未だ彼女の胸の内から消えない不安を拭い取ってくれるであろうに……そんな無意味な願望を抱いて、現在の状況を思い出す。


「お前達っ! 王女殿下を王宮までお送りする。半数はついて来い。半数はここに残って、これ以上王都に害をなさぬようにあの異形を食い止めるのだっ!」


「あのっ、マテウスを……マテウス卿を待ちたいのですが」


「なにを仰っているのですか、王女殿下。御身を思えばここは一刻でも早く、この場から離れなくてはなりません」


「ですが……でも、マテウス卿が……マテウスッ!」


 アイリーンはマテウスの方角を振り返り、この間もカヴァテットと1対1で対峙し続けていたマテウスが弾き飛ばされる姿を見て、声を上げる。その悲鳴に反応したわけではなかろうが、カヴァテットは弾き飛ばされたマテウスにではなく、アイリーン達に向けて、猛然と近づいて来たのだ。


「なにをしているっ! 我等を守れ、衛士達よっ」


 後ろ足のひづめを大地に食い込ませ、地を揺らしながら、2足歩行で迫ってくるカヴァテットに対して、バルドはなんとか気丈に声を上げて見せた。彼の声に弾かれたように動き出す衛士達が馬上で抜刀、次々とカヴァテットに殺到する。


 だが、カヴァテットは衛士達の事如くを無視して、アイリーンに猛進する。こうなっては異形アウター相手を想定した装備をしていない衛士に、カヴァテットを食い止める事は不可能だった。


 身を挺してその進路を遮ろうとした、勇気ある衛士を弾き飛ばしながら迫り来るカヴァテットに対して、バルドは背を向けて逃げようと手綱を操る。


 しかし、判断が遅かった。後はカヴァテットに押し潰されるのを待つのみとなった段階で、両者の間にマテウスが現れた。まさに突然現れた彼は、その全霊を持ってして、カヴァテットの胸に回し蹴りを放つ。


 カウンター気味に、カヴァテットの胸元に抉りこんだマテウスの蹴り足。その時、8mにも及ぶカヴァテットの巨体が浮き上がった。宙を舞ったカヴァテットは、そのまま背中から地面へと落下して、勢いのまま地を滑る。それを見届けながら、深い吐息をマテウスは零す。


「遅いぞ、マテウス卿。卿の不始末で、王女殿下と私が命の危険に晒されたではないか」


「……申し訳ありません。この失態の返上は、王宮までの護衛で必ず」


おごるな。誰が卿を護衛に付けると言った? 護衛は私が信頼できる者達に任せる。卿はここであの異形を食い止めろ。あの忌々しい化け物が、これ以上女王陛下の膝元である王都で、狼藉ろうぜきを重ねる事を許してはならん」


「お言葉ですが、バルド卿。マテウスは……マテウス卿は信頼に足る人物です。私は彼にこそ護衛を任せたい」


「王女殿下。貴女がこの男に目を掛けているのは存じ上げていますが、今はそういう場合ではありません。この場は黙って私に従っていただきたい」


「ですが……いかにマテウス卿とはいえ、異形相手では……」


「騎士鎧をようしてあの程度の異形を抑えられないようでは、護衛としても不適格です。王女殿下、私は彼を見捨てる訳ではない。いずれ増援も来る手筈になっています。それまで被害を拡散しない為に、彼に尽力してもらうだけの事です」


「でもっ! マテウス卿。貴方からもなにか……マテウス?」


 アイリーンはマテウスへと声を掛けようとして、彼がなにかをこらえるように視線を落としている事に気付いて、彼の名前を呼びかけ直す。だが、マテウスの返答が届く前に彼の背後で、カヴァテットが身体を起こし始めていた。


「やはり起き上がるか。おいっ、お前達は私の護衛につけっ! 王宮に向かうぞっ!!」


「駄目っ! 待ってっ、お願いっ……マテウスも一緒でないと、私……」


 ガツンッと激しく地を打ち付ける音が響かせて、マテウスは煩わしい喧騒けんそうの全てをさえぎった。その音はいつの間にか彼が握っていた黒閃槍シュバルディウスの底部を、地面へと打ちつけた音だ。


 少しアイリーンが目を離した隙に、黒閃槍がマテウスの意志に従って宙を舞い、彼の手に収まったのである。


 この力は黒閃槍本来の使い方の為に生まれた副産物のような能力でしかなかったが、使い手次第でドミニクの横腹を貫くような攻撃にも使える、利便性の高い理力解放であった。


 だが、注目すべきはそこではない。マテウスが何故、地を打ち付けてまで己に注目を預けたか……両手剣を剥きだしのまま左腰に吊るして、黒閃槍を左手で持ち直し、バルドとアイリーンに向けて右指を1本立てる。


「1分だけ時間を頂きたい。この場を収めます」


 それだけ言い捨てると、マテウスは2人の答えを待たずに背を向けて、黒閃槍を構えたままゆっくりとカヴァテットに向けて駆け出す。立ち上がったカヴァテットは怒りに鼻息を荒げていたが、それ以上にマテウスこそが、苛立ちの限界に達しそうであった。


(同情するぜ、カヴァテット……お前さんも俺と同じだ。誰かの勝手な都合に振り回されてここにいるだけさ)


 黒閃槍を握る両手に、自然と力が篭もる。


(どいつもこいつも好き勝手言いやがって……大体俺はこの歳まで戦いに明け暮れていただけの男だぞ。ガキの面倒をみるのも、探偵の真似事も、異形狩りも、専門外な事ぐらい察しろよ。面倒臭いんだよ)


 歩幅を調整しながら、歩調を速める。


(イカれた女使用人メイドも、オジサン呼ばわりしてくる生意気な小娘も、親の仇だと罵ってくる騎士馬鹿も、ハッキリしないベルモスク女も、行き遅れの女教師も、頭お花畑の王女殿下も……いっそ出会わなければ、俺は気楽だったんだ)


 黒閃槍の理力解放。穂先が黒く輝き始める。


(正しさの奴隷だ? お前に俺のなにが分かる。少ない頭でない知恵絞らねーと、次に死体になってんのは自分や、面倒臭いあいつ等だってよく知ってるから、少ない手駒で必死にやり繰りしてるだけだ。いっそ野垂れ死のうが文句の言えない罪人の癖に、臆病で、小心者で、逃げ出したくて、それでも助けてやりたい奴等が増えていくから、無様な覚悟を振り絞って、こうして生き残ってきたんだよ)


 カヴァテットが振り下ろした前足を、素早く掻い潜る。


(だがよ、そんな諸々がどうでもよくなる事ぐらい、俺にだってあるさ。だからこの闘いに、仁義も道理も、ましてや必要性すらもなにもない。こんなのは、ただの憂さ晴らしだ。だからもう1度同情するよ、カヴァテット……)


「付き合わせて、本当にすまねーなっ!!」

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