禍々しき黒衣の騎士その2
パメラは1つ深呼吸をして息を整える。ここまで装具を使い続け、走り続けてきた疲労は溜まっていたが、それでもパメラはここで止まる訳にはいかなかった。
後ろを振り返って、戦闘していた相手の姿を確認するが、闇の遠く向こうまで投げ出されたらしく、気配を拾えなかった。
パメラは彼女の止めを刺しておきたかったが、優先順位としてまずは客室に向けて走り始める。客室を駆け上って吹き抜けになった天井から、中を覗き込めば、猿轡を噛まされて、両手両足を拘束されたアイリーンの姿を見つける事が出来た。
「アイリ様っ」
パメラにしては、少し弾んだ高い声で呼びかける。客室内に降り立ち、すぐさま喉に右指先を当てて脈を確認した。確かに感じられる命の息吹。それを感じられた瞬間にも、パメラの顔の無表情は崩れなかった。淡々とアイリーンの拘束を解こうと手を伸ばす。
「アイリ様。アイリ様」
外傷をザッと確認しつつ拘束を解く間も、パメラは何度か呼びかけを繰り返すが、アイリーンからの反応はない。生きているのは間違いないが、その体調の良し悪しは直接本人の声で聞きたかった。
だが、ここで悠長にアイリーンの意識が戻るのを待つ訳にもいかない。パメラは拘束を解いたアイリーンを抱きしめるような体勢で、肩と片腕を使って抱えると、客室から顔を出して周囲を確認する。
「へーい、おねーさーん? このままじゃいかせないよー?」
そんな声が届いたのは、パメラが死出の銀糸を使って移動しようと左腕を上に向けて伸ばした時だった。パメラはその声を無視してそのまま逃走するかどうかの選択に駆られたが、逃走しない方を選択した。
アイリーンを抱えたまま移動する最中に、女が片手に抱えるドラゴンイェーガーで狙撃されて、アイリーンが万が一にも怪我をしてしまう可能性を考慮したのである。
1度肩に担いだアイリーンをもう1度客室に寝かせて、再び立ち上がって女を見据えるパメラ。排除対象を見据えるパメラの眼差しを、普段以上特別に冷たかったが、目の前で悠々とドラゴンイェーガーの理力倉交換をする女は、口を開きながら壊れたような笑みを浮かべたままだった。
「おねーさんさー。リネカーの人でしょー? 答えなくても分かるよー。だって強そうだもーん。私の名前ー、ドミニクって言うんだけどー……私の事、本気で殺しちゃうのー? 分かる、分かるー。そんな顔してるよねー」
お姉さんなどと呼ばれているパメラから見て、ドミニクの方が幾分か年上に見えたが、落ち着きのない甘えた声を放つこの女が、成熟した年齢だとは思えなかった。だが、どちらであったとしてもパメラには関係ない。今日、この日。ここでドミニクの歳月の全ては終わりを迎えるのだから。
「理解ある方のようで助かります。では、ドミニク様。死んでください」
客室から降りて無造作にドミニクに歩いて近づく間中、パメラの全身から覆い隠せずに放たれていた殺気が、次の言葉を皮切りに一気に爆発する。目にも留まらぬスピードで振るわれた右腕の先から、死出の銀糸がドミニクの首を刈りとらんと迫ったのだ。
しかし、死出の銀糸は闇を切り裂くだけに終わった。ドミニクは身を屈めて横薙ぎの一撃を回避し、逆に今度はドラゴンイェーガーをパメラに向けて放つ。
パメラは必殺の間合いでの一撃を回避された事に対して、微塵の動揺もなかった。左前腕を少し動かすだけの動作で、死出の銀糸を操り、火球を切り裂いて自らを守る。
そもそも死出の銀糸は、パメラ自身の移動に容量を裂かれなければ、攻守において下位装具であるドラゴンイェーガーに後れを取る事などない。パメラが使用者であれば、なおの事だ。
だが、ドミニクは死出の銀糸の間合いを完全に知っているかのような動きで、それに対応して見せた。身を屈ませ、弾ませ、バックステップで距離を取り、寸前で攻撃を回避する。その姿は、一歩間違えれば八つ裂きの死が待つこの瞬間を、楽しんでいるようだった。
だが、何時までもそんな膠着をパメラが許すはずもない。ドミニクの動きを読んで、先んじて死出の銀糸を振るう事によって、ジワジワと彼女を追い詰めていく。やがてドミニクは攻撃に転じる隙を奪われ、ドラゴンイェーガー自体を切り裂かれて反撃手段を失い、身に纏っていた肩当や胸当てに深い傷痕を残され始めた時点で、ようやく全力で距離を離す動きに移行した。
「あっはーっ! 無理無理ー。こんなん勝てるワケないじゃーん。死ーんじゃうかと思ったー」
遠く離れた場所で息を弾ませながら、両手を上げるドミニクの狙いが分からぬパメラ。降参だと言うのなら視界から消えればいいのに、何故立ち止まったのだろうか? そして、彼女の持つドラゴンイェーガーを破壊した今、彼女は大した脅威ではない。アイリーンの身の安全を優先して、この場から離れるという選択も彼女の中には浮かんだ。
「王女様を救うのはおねーさんじゃダメなんだよねー。だからー、私もちょーっとコレ、使うねー?」
そう言って彼女が取り出したのは、儀典用に使うような装飾が施された片手剣より短い、黒い短剣。柄が妙に長く歪なその剣がなんであるか、パメラは気付いて距離を詰めるが、少し遅かった。
「我等が忠義を見せろ、<パロミデス>」
ドミニクは口の中で転がすように、小さくそう唱え終えていた。




