神々しき白衣の騎士その3
マテウスは改めてエステルの身体を確かめる。酷く疲労し、衰弱しているのは容易に伝わったし、左腕を骨折しているのにも気付いた。しかし、今のエステルに残された体力では、治癒系理力解放に耐えれず、命を落としてしまう可能性が高いと判断したマテウスは、その治療を保留する。
そもそも体内に直接干渉する、治癒系理力解放の過剰行使は様々な後遺症を生むとされているし、その実例も多い。戦闘中に緊急処置としての使用以外は極力控えるべき、まだ未完成な部分が多い理力付与技術だった。
「遅いよっ……アンタには言いたい事、沢山っ……」
「無理をするな」
エステルを両手で抱えたマテウスは、うつ伏せに倒れたまま声を放つヴィヴィアナに近づく。彼女のすぐ傍に立ち止まってエステルと両手剣を横に寝かせると、ヴィヴィアナの身体に触れて容態を確認し始めた。
「触んない、でよ」
「君が回復したら幾らでも謝ってやるから、今は大人しくしてくれ」
ヴィヴィアナの容態はエステルよりも深刻だった。左腕と右足の骨折も酷いが、特に腰付近の損傷が酷く、複数の内臓を痛めているようであった。このまま放置していては、命に関わると判断したマテウスは治療系理力解放を行おうと手を翳す。
「……待って。今、回復されると……痛みで意識飛んじゃいそうだからさ、先に言わせて」
「なんだ?」
「姉さんと、レスリーが武器倉庫にっ……隠れてる。絶対に助けてあげて。後、アイリは分かんない。多分、攫われた、かもっ……」
「2人の事は分かった、君を治した後で直ぐに助けに行く。アイリは大丈夫だ。パメラが先に向かっている。俺も合流する予定だ。安心してくれ」
「なにが、貧民街よりマシよ……危な過ぎだっての、馬鹿。アンタの事なんか、嫌いだしっ、全然信用してないけど……他にいないからっ。あと、お願い」
言いたい事を言い終えると、ヴィヴィアナは意識を失った。その光景にマテウスは内心呆れていた。エステルもヴィヴィアナも瀕死の重傷を負いながら、他人の心配ばかりをしているからだ。マテウスはそういう人種を何人か知っていたが、そのどれも長生きしなかった事実に深い憂いを覚えた。
気持ちを切り替えて、マテウスはヴィヴィアナに治癒を施し始める。余りこの手の理力解放を行わないマテウスは、殊更慎重にそれを行っていく。
骨を無理矢理繋ぎとめるような、内臓を縫合されるような痛みに、ヴィヴィアナは全身から汗を噴き出し、低い呻き声を挙げながら身動ぎするが、意識を失っていた事が幸いしたのか、のた打ち回るような痛みは感じていないようだった。
治療を終えたマテウスは、集中から解放された事による溜め息を落とす。当然ながら、治療は成功した。内臓は勿論、左腕、右脚それぞれの骨折も今では治癒している。だが、その分体力を大きく消耗した筈のヴィヴィアナが、意識を取り戻すには時間がかかるだろう。理力によって大きな治療に成功した後、衰弱死した前例もあるぐらいだ。明日まで目が覚めるような事はあるまい。
一呼吸置いた後に両手剣を握り、片手を刃の横腹に添えて剣先から根元までゆっくりと撫でて行く。そうする事によって、マテウスが身に纏う騎士鎧と、両手剣の刃が同時に強い輝きを放った後、ガラスのように砕け散って、パラパラと光の粉を四散させ、中空に舞い消えた。
(相手が第3世代騎士鎧を出してくるとはな。騎士鎧<ランスロット>が間に合ったのは幸運だったか)
マテウスは夜に出発した時と同じ装備に戻り、手にしていた両手剣はレスリーに別れ際に手渡された、装飾の施された柄の長い不恰好な儀式用の剣に変わっていた。それこそが、騎士鎧を身に纏う為の端末のようなモノであった。
エウレシア製第4世代騎士鎧<ランスロット>。マテウスが現役であった頃、12年前の遺物。発表された各国の第4世代騎士鎧達の中で、最も異質を放ったこの騎士鎧を扱える者は、今なおマテウスしか現れておらず、試作の8騎を残して廃番。世に出回る事なく消えた失敗作、欠陥品……界隈ではそう評される事も少なくない騎士鎧である。
しかし同時に、第5世代騎士鎧以降通常になった様々な理力付与技術の、先駆けになった名騎でもあった。理力の装甲を形あるものとして顕在させる事で、必要に応じて騎士鎧を着脱出来るようにしたこの技術も、騎士鎧<ランスロット>が初めて成功した技術である。そういう背景を鑑みるならば、騎士鎧<ランスロット>は第4.5世代とも言えなくもない。
だがマテウスには、それらの経緯に特別な拘りはない。ただ、騎士鎧<ランスロット>を1番長く運用し、結果を残し、有利不利を知り尽くしている。彼はそれだけの理由で使用していた。
騎士鎧を与えられ身に纏う事こそが騎士最大の誉れであるという事にも、ただ1人騎士鎧<ランスロット>に認められた事にも興味はなく、なんの変哲もない下位装具の延長として、使用しているのだ。
(もう1、2戦はいけそうだが……内容次第か)
不恰好な剣の理力倉を確認して、騎士鎧<ランスロット>の容量を確認する。理力解放を撒き散らすだけで事足りる下位装具装備の敵を相手取るのとは違い、騎士鎧同士の闘いは、その理力の装甲を貫く必要がある為、大きく理力を消費するのだ。
騎士鎧の投入が一騎だけとは限らない……そう冷静に考えながら剣を腰のホルダーへと挿すマテウス。そうして地面に寝かせたままのエステルとヴィヴィアナを見下ろした。
この場に彼女達を並べておくのは忍びなかったが、敵の存在がいない事は事前に行った索敵によってマテウスは知り得ていた。だからヴィヴィアナの言葉通り、まずはレスリーとロザリーへの合流を優先する。攫われたアイリーンの顔が脳裏に映る。それを振り払うように、マテウスは駆け足で武器庫へと向かった。
程なくして武器庫前に来たマテウスは中に入ろうとするが、扉が南京錠によって閉ざされている事に気付く。壊してもいいとは思ったが、先に扉を叩きながら声をかけてみる事にした。
「おい、マテウスだ! ヴィヴィアナから聞いて助けに来たっ。レスリーッ、ロザリアッ。無事かっ!?」
「……マテウス様?」
「マテウスさんっ。今、そこの小窓から鍵を渡しますので……」
扉の右上、人は通れぬであろう換気用の小窓に顔を向けると、そこから南京錠の鍵が投げ渡された。それを受け止めたマテウスは、早速扉を開く。開いた途端、ロザリアがマテウスの胸に勢い良く飛び込んでくる。彼はそれをなんとか受け止めて、縋るような体勢で見上げるロザリアを見返した。
「ヴィヴィは無事なんですかっ? エステルさんはっ?」
「無事だ。安静にしてさえいれば、命に別状はない」
「後遺症になるような怪我はないんですね?」
「エステルは左腕を骨折、ヴィヴィアナについては治療している。2人の若さならすぐに回復するだろう。それと、アイリが攫われた。俺は彼女を助けにいかなければならん。2人を頼みたい」
「……この件については色々言いたい事もありますが、今は時間がないのですね?」
マテウスは小さく頷いて応える。それを見たロザリアは、心の内にあるわだかまりを飲み込み、重い溜め息を吐く事によって、この場ではなんとか消化してみせた。
「分かりました。2人は今何処に?」
「すまない。訓練所で横になっている。ベットに運んで寝かせてやってくれ。医者はこれから呼んでおく」
「そ、その……あの……わ、私ではお役に立てませんか? 私も騎士見習いっ、なのに……その、私だけ武器庫で、隠れてるだけで……」
ロザリアとマテウス、2人の会話に割って入ったのは、レスリーだった。彼女は現状を振り返り、情けない思いで一杯だった。ロザリアは非戦闘員で、普段は教師という役目がある。こうした場面で、力不足だとしても仕方がない。
だがレスリーは、見習いとはいえ騎士だ。短い間ではあるが、その為に訓練して来たのだ。だというのにこの体たらく……彼女は自らを変える事が出来ない自己嫌悪と、五体満足でこの場に立ってる我が身に恥ずかしさを覚えていた。
「君はロザリアの手伝いをしてくれ。彼女1人で、2人を運ぶのは辛い筈だ」
「で、でも……私はその、騎士で……そ、それに、マテウス様のお役にっ!」
「悪いが、役に立てる事はない。時間がないんだ。大人しく指示に従ってくれ」
「すっ、すいませんっ。レスリーのような役立たずが、マテウス様に意見など……」
レスリーの進言に理はない。我が身の非力さを認められず、その自己嫌悪と羞恥心を取り除く為だけのそれだ。そんな物に同情でマテウスが付き合う訳もなく、冷たく一蹴した。
だが、それと同時に彼女の抱く直向な思いも理解はしていた。それを言葉にして伝える、余裕と時間が無いだけであった。
「気にするな。それと、黒閃槍を……」
「あっ、はいっ。すいませんっ、気付かずにっ」
「よく守ってくれた。確かに受け取ったよ」
必死でレスリーが両手に抱いていた黒閃槍を手渡す際に、マテウスが告げた短い感謝の言葉。たったそれだけでレスリーは沈んでいた心が弾み、自らにとってマテウスという人物が、主人のように重要である事を知る。
行って来ると言い残して小さくなるマテウスの背中。その背中に近づく事すら恐れを抱いたままのレスリーでは、言葉を掛ける事すら叶わず、彼の身を案じながら名残惜しそうに虚空へ手を伸ばすだけだった。
ロザリアとレスリーの2人から離れたマテウスは、女王特権を開いて女王ゼノヴィアに連絡をする。此方から通信をするのは初めての試みではあったが、暫くすると、少し油断して寝ぼけた声が返ってきた。
「こんな時間に、なにかありましたか?」
「カナーンが動いた。マリルボーン孤児院と王女親衛隊兵舎を同時襲撃されている。孤児院の方は無事に片付いたが、兵舎では死者4名(アイリの護衛の事)、負傷者が2名……そして、アイリが攫われた」
「……兵舎が襲撃を? いえ、それよりアイリが攫われたのですかっ? なぜ?」
マテウスの端的な通信の中に含まれる情報量の多さに、ゼノヴィアの寝起きの頭では、思考が追いつかないようだった。こちらからの通信では映像通信は出来ないようで、ゼノヴィアの表情を伺う事は叶わなかったが、声質からその動揺ははっきりと知る事が出来た。
「分からん。パメラが追跡中だ。俺もこれからアイリの救出に合流する。その時に、直接尋ねた方が早いだろう。相手は騎士鎧まで引っ張り出してきている。おそらく総力戦になるだろうから、此方も遠慮なく使わせてもらうぞ? と言っても、もう1度使用した後だが」
「勿論許可します。王都内で騎士鎧だなんて、正気とは思えませんが……あぁ、こうしてはいられませんね。まずなにからすればっ」
「まずは王都の封鎖だ。次に兵舎へ護衛の追加と医者の派遣をして欲しい。此方への援軍は後で構わないから、この2つを急いでくれ。では、通信を切るぞ」
「アイリを頼みました。それと……義兄さんも、なるべく無茶はしないでください」
「アイリが生きている限り助ける。俺に出来るのはそれだけだ」
最後にそう答えると、マテウスは通信を切った。彼はゼノヴィアが望む回答がこうではない事を知っていたが、それでも不器用な彼にはこう答える事しか出来なかった。その姿は、己の非力にもがくレスリーと少しだけ被って見えた。