暴力襲来その3
崩れ落ちた不審者の遺体を引きずって建物の影へと移動させると、3人で武器庫の中へと入って扉を閉める。中は、小さな換気用の窓から零れる、月明かりだけに照らされた暗がりで、少しかび臭い場所だったが、ようやく彼女達はそこで人心地が付けた。
「レスリー、アンタなにしてるの?」
「すいません、すいませんっ! あ、あの……探し物をっ。あ……あった。良かったぁ」
しかし息を吐いたのも束の間、すぐにウロウロと歩き回るレスリーに対して、不審な眼差しを向けるヴィヴィアナ。ヴィヴィアナとしては、目立ってしまうので余り音を立てて欲しくなかったのだが、彼女の心配はレスリーが探し物を探し当てる事によって解消された。
「なに? 一体……あぁ、それ。あのオジサンの槍じゃん」
「えっと、その……マテウス様が大切にされてる物みたいなので、そっ、その……気になってしまって。すいませんっ」
「ふーん……いいよ、別に。その代わりソレを持ってここで静かに隠れててね」
ヴィヴィアナは、黒閃槍を抱きかかえて、頭をペコペコと下げるレスリーに、つまらなそうな視線を送る。彼女には、こんな大切な時に姿も見せない男の大切なもの対して、レスリーが何故そこまでの執心を見せるのかが理解出来なかったが、この際大人しくして貰えればどうでもいい事だった。
「ヴィヴィ? 本当に行くの?」
「行くよ。今何処にいるかも分からないオジサンは置いとくとして、エステルの事は結構気に入ってるんだ、私。出来るなら助けたい」
武器庫の中から、自分に合った胸当てと兜を装備する。どちらも装具ではなくただの防具ではあるが、人体の急所を無防備に晒しておくよりは幾分かマシだろう。そうして外の様子をもう一度確認しようと顔を覗かせていると、ロザリアがヴィヴィアナの手を掴んで来た。それにヴィヴィアナは首だけを廻らせて振り返り、握り返す。
「貴女に理力の光の導きがあらん事を……無理はしないで、隙を見つけて2人で逃げるのよ?」
「その、あの、ヴィヴィ様。御武運を」
手を握り合いながら片手でクレシオン十字を切る姉と、恐る恐る言葉を選んだレスリーに向けて、行って来ると静かに告げると、その手を離してヴィヴィアナは武器庫を施錠。鍵を小窓から中に投げ込んでその場から立ち去った。
小走りに移動しながら、真紅の一閃の中央に備え付けてある理力倉の残量を確認、装填しなおす。同時にショートパンツに入れた筈の予備理力倉も確認。これだけあれば、今夜の戦闘を保つ事は出来る筈だ。
本当ならすぐにでもエステルの下に駆けつけてやりたかったが、折角彼女が注目を浴びていてくれるのであれば、ヴィヴィアナの役目はその間に不審者達の戦力を削ぐ事だ。兵舎の外周付近を伝って、遠回りしながら敵を1人また1人と葬り去る。彼女はそう計画を立てると、移動速度をやや速めた。
それからヴィヴィアナはすぐ後に敵の姿を見つけて、建物の陰に身を伏せた。森林の暗がりで、迷彩の得意な異形達と闘った経験がある彼女からすれば、月明かりと星明りに照らされた夜の闇など、昼間のそれと大差ない。
そして不審者の姿を先に見つけてしまえば、やる事は簡単だ。ヴィヴィアナは敵の視線が自分から外れた瞬間を狙って、中腰の姿勢で真紅の一閃の理力解放。赤い光を見咎められる前に、矢を放つ。その動作には思考を挟まない。空に舞う林檎を狩る時のように、ただ狙い澄まして放つ。それだけだ。
背中から心臓と的確に射抜かれた不審者は、音もなく倒れた。2人目……いや、数えるのはよそうとヴィヴィアナは思い直す。異形達を相手する時のようにすればいい。その思考が彼女の中で不審者という存在を、明確な敵として認識させる。
倒れた敵の音に気付いて、彼等の仲間が近づいてくる。その数は1人。駆け寄ってきた敵が、急に足を止める。ヴィヴィアナの持つ真紅の一閃の赤い輝きに気付いたのだ。やはり、夜戦に彼女の装具は目立つから不向きであった。
だがヴィヴィアナは、機先を制する事が出来さえすれば、相手に装具の理力解放をさせる間もなく倒せる自信はあったし、実際そのようになった。敵からすれば闇の中に、赤い光が浮かんでいるように見えた事だろう。それ以上を確認しようと目を凝らす事も出来ずに、脳天を射抜かれた敵はその場に倒れる。
繰り返す事によって覚えたヴィヴィアナの身体が勝手に2の矢を番えていたが、それは放たれる事なく彼女の手の中で消えた。齢16歳にして卓越した弓術を有する彼女の両手には、しっかりと人を射殺した感触が残った。両手を力強く握り締める事によって、その感触をなんとか誤魔化し振り払う。
こうやって敵を1人1人排除する事が、ロザリアの命を救う事に繋がる。そう信じる事によって、彼女は込み上げてくる後味の悪いストレスを押さえ付けた。
再び兵舎全体に響き渡るような轟音。極度の緊張に見舞われていたヴィヴィアナは、弾かれたかのように姿勢を伸ばして立ち上がって、音がした方向に顔を向けた。エステルがいる方角だろう。訓練所方面に移動したようだ。
今も正面から騎士鎧相手に戦いを挑んでいるのだろう。出会った時からそうだった。言動の全てが危なっかしくて、無茶ばかり。見ていると落ち着かないし、場合によっては苛々とさせられる。だというのにヴィヴィアナは、エステルの在り方に心のどこかで惹かれていた。
1度理由を考えようとした事はあったが、結局上手くまとまる事はなかった。漠然としたこの想いを言葉として表現するには、彼女と出会ってからの時間が短すぎる。
(急がなくちゃ……エステルがやられちゃう)
ヴィヴィアナはもう1度気合を入れ直す為に深呼吸した後、いつの間にかジットリと手汗に濡れていた両手を自らの太股で拭い、再び周囲を警戒しながら小走りに駆け始めた。
―――同時刻。兵舎内訓練所広場付近
「カハッ! ぐうっ……」
「まーだ生きとんのかい? どんだけ頑丈やねん」
兵舎から訓練所まで弾き飛ばされ続けたエステルは、満身創痍ながらも意識はしっかりとしていた。取り落としたソードブレイカーを左手に掴みなおして立ち上がり、殲滅の蒼盾に通す右腕に力を込める。
重い足音を鳴らしながら悠然とエステルの後を追うヴィーノは、彼女の事を頑丈だと評したが、エステルからすれば騎士鎧の頑丈さの方が想像以上だった。
知識では知っていた騎士鎧の脅威の一端……防御力。肉眼で確認は出来ないものの騎士鎧は常時、殲滅の蒼盾や高潔な薔薇が放つような理力の装甲に覆われており、それこそが騎士鎧の真の装甲としてあらゆる攻撃の前に立ちはだかるのだ。
その上で騎士鎧は、理力の装甲を貫くような攻撃で使用者の肉体が負傷しても、コントロールが難しいとされる治癒系理力解放を、使用者に合わせて自動行使して、生命を維持しようとする。治癒系理力解放の際に相応の痛みを覚える事や、使用し続けると使用者の体力や免疫力の低下等を引き起こすリスクこそ残ったが、騎士鎧の理力や意識が途切れない限りは、永久治癒機関と呼ぶべき回復力を発揮する。
今回の場合も、エステルが完全な手応えを覚えた殲滅の蒼盾の一撃すら、騎士鎧の表面が少し黒焦げ、凹みを残すだけに留まらせていた。激しい衝撃に胸部の骨にヒビが入ったヴィーノだったが、すぐに騎士鎧の治癒機関が作動。彼の肉体を回復させて、反撃の機会を作ったのである。
「騎士鎧を纏ってるだけの強盗崩れに、劣る訳にはいかんのでな」
「ほんまイチイチ癪に障るクソガキやのぉ!」
ヴィーノが叫ぶと同時にエステルの視界から姿を消す。次の瞬間、現れたのは彼女のすぐ傍。左側面。1歩遅れて動かした殲滅の蒼盾が、ヴィーノの右拳から繰り出される一撃をなんとか受け流す。受け流された右拳は、地面を深く抉り、エステルの足元を越えるまで亀裂を走らせた。
騎士鎧の脅威の一端……機動力。騎士鎧自らが使用者のイメージに即して動く事によって、本来100kg近い重量でありながら、人知を超えた機動力を体現する。そして理力により神経の全てを限界近くまで強化する事で、その動きに耐えうる使用者を作り出す。これらの複雑な理力解放の全てを、騎士鎧は常時発動し続けているのだ。
足元が崩れるのに気付いて、エステルは足の装具エアウォーカーの理力を解放。ヴィーノから距離を取ろうとするが、彼は身動きの取れない中空でエステルに追い縋る。
しかし、エステルはそれを待ち構えていた。エアウォーカーの理力解放を解除しながら中空で身を捻り、殲滅の蒼盾で殴りつけてもう1度彼女の中で最大火力の理力解放を行使した。爆発の反動で弾き飛ばされるものの、地面に落ちる瞬間に受け身を取って背中から着地、身体を転がしながら勢いを殺して立ち上がった。
エステルは体勢を立て直しながらヴィーノに向き直ろうとするが、既に彼の姿はなかった。何処に姿を消したのか……辺りを探ろうとする彼女の目の前で、陽炎のように景色が歪む。浴びせられる殺気と自らの失態に気付いた瞬間、エステルは無防備に蹴り飛ばされていた。
ベルトーラ社製鎧型装具ジャックディスペアー。その理力解放は、使用者の姿を消す事が出来る。本来理力解放の同時使用は出来ない為、主に潜入任務や暗殺に使われる理力付与ではあったが、騎士鎧が使用する事によって正面からの戦闘でも、相手に姿を消したままの重戦車に襲われるような脅威を与える事が出来た。
これも騎士鎧の有する脅威の一端……対応力だ。騎士鎧によって差異はあれど、無数の理力解放を行使する事によって、ありとあらゆる状況に置いて戦局を優位に進める事が出来た。因みにヴィーノが身に纏う騎士鎧<トリスタン>は、64もの理力付与が施されており、その全てから選択して、行使出来る。
「ぁぁあっ! つぅっ……」
理力同時解放、防御力、機動力、対応力……全てにおいてエステルを上回る、騎士鎧という名の絶対強者を前にして、エステル個人での勝利の可能性は薄かった。それでも彼女は身体を起こそうと左手で地面を着けるが、走る痛みに悲鳴を上げながら崩れ落ちる。騎士鎧の一撃の直撃を許した左腕が骨折したのだ。
ジャンヌシナトラ社製胸当て型装具サリュースの理力解放。完全に砕けていた上腕骨と諸々の神経までを、理力解放の力によって無理矢理に繋ぎ止めた。骨折を一瞬にして治療する奇跡の御業の代償に、折れた時以上の激痛が走って再びエステルは声を上げた。
「クァァッ! これしきの……痛みっ、などっ!」
前述した通り、体内に直接関与して急激な変化を齎す治癒系理力解放は人の業ではコントロールが難しく、最悪の場合それが原因で死に至るケースもある為に、余り使用を推奨されないのだが、エステルはそれも止むを得ない事態と判断した。
「まーだやるんかい。もう大概にしとけや、ほんま。馬鹿みたいやで? お前」
エステルからすれば、これまでの一連は負ける事の許されない戦いであったが、額に脂汗を滲ませながら、痛みに身体を震わせながら四足に這い蹲る彼女を見下ろすヴィーノからすれば、こんなもの戦いと呼べる物ではなかった。一方的な破壊だ。
ヴィーノに決して逆らう事のない少し壊れにくい玩具を相手にするような、童心を思い起こさせてくれた貴重な時間も、長引けば飽きが来る。彼にとって初めての体験だった騎士鎧を通して見る世界にも、大方慣れた所だ。そろそろ終わりにするべきだろう。
エステルは殲滅の蒼盾の理力倉を入れ替える。治ったばかりの左手を使った為に、普段より慎重な手付きではあったが、何度も繰り返して覚えさせた甲斐あってか、スムーズに事を終えた。
「ハァ、はぁ……ハハッ、はははっ。ふぅー、よく言われるがな……その言葉を使った誰もが、私を倒す事は無かったぞ」
左手の感触を確かめるようにして持ち直すソードブレイカー。もう1度前に立ちはだかる、騎士の憧れを体現したその姿を見直す。馬鹿だと笑われるのも、児戯だと謗られるのも、幼い体躯をした彼女にとっては日常だった。
だからこそ、負ける訳にはいかない。心だけでも屈するような事が、あってはならない。そう何度も繰り返した誓いを胸に、誇りある紋章が刻まれた大盾を前に、強く一歩を踏みしめた。