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姫騎士物語  作者: くるー
第一章 正鵠の見えざる嚆矢
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灼然たる朱き紅その3

 ―――同時刻。貧民街、大通路


 困った事になった……馬車の中でロザリア・カラヴァーニは、1人思案に暮れていた。彼女が腰を落とす場所。貧民街の細い路地裏に入る事の出来そうにない大型馬車のホロつき荷台には、人がひしめいていた。


 犇き合う人々の顔ぶれは、女子供で構成されている。大半が薄汚れた襤褸ボロを身に纏った一目でそれと分かる奴隷達。そして自分と同じようにさらわれてきたのであろう、安物とはいえ市井しせいの服をその身に纏った人達。


 顔ぶれはそのように分かれていたが、その顔色は皆一様みないちように沈んでいた。自身の運命を受け入れ諦めきった者、声に出さないようにしてすすり泣く者、彼女の隣で抗うように泣き喚いていた子供は、見せしめにその身体を殴られて、今はその痛みにうずくまっている。


 子供が殴られる様子を見て、ロザリアは反射的に声を上げて抗議した。両手首、両足首を縄で拘束された彼女には……いや、拘束が無くとも太刀打ち出来ないであろう、荒事に慣れた男に向かって、彼女は毅然きぜんと声を上げた。


 その瞬間、男の矛先がロザリアへと向けられる。子供の代わりとなって次は自分が殴られるであろう事ぐらい彼女は予想できていたが、それこそが彼女の狙いだったので別に構わなかった。見ず知らずとはいえ、ロザリアにとって子供への虐待は、見るに耐えない蛮行だった。


「おい、そいつは上玉だ。手を出すなよ」


 しかし、そんな男の仲間の一言で彼女への暴行は回避された。窮地きゅうちを救われた立場のロザリアだったが、当然ながら感謝する気は微塵みじんも起きなかった。子供を殴った男に唾を吐きかけられるのを顔正面で受け止めながら、ただただ己の非力を呪うばかりだった。


(ヴィヴィならどうにか出来るんだろうけど……)


 今この場にいない妹を頼っても仕方が無い。そう切り替えた彼女は、隣にうずくまる子供の患部へと触れる。彼女の医療の知識は書物でかじった程度だったが、優しく触れる事によってその反応から骨や内臓に支障が無さそうなのが確認できて、少しだけ安堵の笑みを漏らした。


 上玉と評される彼女の微笑みは美しかった。相手を映しこむように大きく輝いて柔和に垂れた瞳、その下で白い素肌に映える泣き黒子。衣服で隠してもなお一目で分かる胸の膨らみに、アンバランスな程に細く柔らかな腰まわり、そして触れれば男の指を包み込むであろう大きめの釣り上がった尻。


吐息を漏らす柔らかな唇は口紅を挿した訳でもないのに、瑞々しい桜色に輝いている。アイリーンを神秘的な近寄りがたい美しさと例えるなら、ロザリアの美しさはエウレシア男の情欲を駆り立て、惑わす、魔性のような美しさを備えていた。


 子供をいたわっていたロザリアの頬に、別の少女の手が添えられる。それは少女の優しさによる、彼女の顔に吐き掛けられた唾を拭おうとしての行為だった。


「ありがとう。優しいのね」


「……ともだち、たすけてくれたから」


「そう、友達だったの」


「うん。ずっといっしょだったの」


「……そう」


 少女のたどたどしい話を聞く所によると、襤褸を纏った女子供達は奴隷用に一緒の場所で暫く監禁されていたらしい。彼等の立場は様々だ。借金の抵当かたに売られた者、浮浪者、孤児……そのどれもに共通するのが身寄りの無い者達だ。


 エウレシア王国では、商会を通して正式に売買が成立している場合に限り、奴隷制度が労働力として認められていた。だからそういう者達が奴隷として売られるのは、仕方の無い事だとロザリアは理解していた。せめてもの救いとして、いい買い手に恵まれるよう祈ってやる事しか彼女には出来なかった。


 しかしロザリアを含め、市井の服を着たもの達はその限りではない。彼女等は今、この貧民街で誘拐されてこの馬車に押し込められていた。これは立派な犯罪行為になるのだが、貧民街に置いてはその限りではない。そもそもここに住まう大半が、法の目を追われてこの場所に集まった者達だ。国の助けを期待するのを間違っている。


 そしてそれはロザリアにも当てはまる事だった。彼女も諸事情あって御家おいえを追われた身だ。助けを乞えば貧民街の世話になるような事も無かっただろうが、彼女の妹であるヴィヴィアナがそれを望まなかった。妹が望まない事を姉であるロザリアが望む訳にもいくまい。


 それがロザリアの選択であり、つまりこの誘拐は彼女自身の選択の責任だ。後悔していないと言えば嘘になるだろうが、諦めは着いていた。しかし、この子供は……こんな状況でありながら、優しさを失っていないこの子供は違うようだった。


「両親を殺されたの?」


「うん……」


 話を聞けば、家族旅行直前に両親を自宅で殺され、攫われ、監禁されていたようだった。散々泣き腫らしたのであろう……既に涙の枯れ果てた少女は、その悲惨な内容を他人事のように語る。その姿が痛ましく、ロザリアに激しい怒りとどうしようもない悲しみを生ませた。


「ごめんなさい。ごめんなさいね……助けてあげられなくて」


 縛られたまま両腕を少女の首に回して、強く、優しく胸元へと抱き締めながらそう訴えるように囁くロザリア。彼女は自身の行く先を楽観視している訳ではなかったが、何よりもまず少女の身を案じ、助けたいと思った。


 しかし、ロザリアにあの暴力に抗う術はない。唯一の希望は左耳に光る追跡石チェイサーだが、頼りになる妹はこの時間はまだ公園にいて、事態に気付いてない筈だ。望みは薄い。


「そろそろ出すぞっ」


 一縷いちるの望みを絶つような出発の合図。馬車がゆっくりと動き始める。だが、それでもどうにか言葉を選びながら励ましてあげたい。例え叶わなかったとしても希望を胸に抱かせてあげたい。そうしてロザリアが口を開こうとした瞬間、一筋の赤い光が馬車の荷台左後輪を貫いて粉砕した。


「何が起こったぁ!?」


「わかりやせんっ! なんか赤いのが、後輪を壊したみたいでさぁ。これじゃあ、馬車が動きませんぜっ?」


「なにぃ!? ここまで来てなに言ってんだ。どうにかしろっ」


 馬車の荷台はまるで落盤事故でもあったかのような惨状だ。皆が互いと揉み合うように倒れこんでいる。奴隷商人達の怒号どごうにも似た会話を聞く限り、片輪を壊されたらしい事がロザリアにも、おぼろながら理解できた。


「皆さん、お怪我はないですか?」


 たちまちロザリアは、抱きしめていた子供、痛みに蹲っていた少年が押し潰されていないのを確認しながら身体を起こし周囲を見渡す。声に反応は無かった。何事もなかったのか、反応する余裕もないのか……できれば前者だと彼女は思いたかった。


 そうこうしている内に外から轟音が響く。隕石でも落下してきたかのような音と振動に、思わずロザリアは顔を荷台の内から外へと向けた。轟音の中心地、土煙の向こう側から、希望の光が姿を見せる。


 ヴィヴィアナだ。彼女は幼女のように小さく幼い顔立ちで、鎧を纏った女性に抱えられていた。背中に大盾を背負った姿は亀のようでもある。ヴィヴィアナが自分の足で立つ事を確認してから、幼女は腕を離した。


「姉さんっ!? 聞こえるっ? お願い、返事をして」


「ヴィヴィ! 私はここ、ここにいるわっ!」


 ロザリアは彼女に出来るあらん限りの大声でヴィヴィアナの呼びかけに答えた。ヴィヴィアナの顔がロザリアへ向けられて視線が合う。しかし、彼女からはロザリアの声は確認出来ても、姿は確認出来ないだろう。


 なぜならロザリアはほろ着き荷台の奥まった場所にいたので、陰になって外からだと中の様子をうかがい知る事が出来なかったからだ。それでもロザリアの声が確認出来ただけで、ヴィヴィアナにとっては十分だった。


「今助けるから待っててっ」


 そう告げるヴィヴィアナが馬車へと駆け寄ろうとするが、間に入るように奴隷商人達が立ち塞がる。彼女はその奴隷商人を駆け寄る勢いそのままに、飛び蹴りを顔面に叩き込んで1人沈めた。


「どーなっているっ? 妹の帰りは遅いんじゃなかったのかよ!?」


「わかりやせんっ!」


「お前、そればっかじゃねーかっ。もういい、いいからそのチビ女と纏めて殺っちまえっ!」


「今、チビ女と言った貴様っ! 貴様は私が手ずから叩っ切ってくれるっ!」


 そこからは大乱闘になった。ロザリアはヴィヴィアナの強さをよく知っている。ヴィヴィアナは異形討伐アウターハントを生業としていた時期もある立派な戦士だ。街のゴロツキ相手に遅れを取るような腕ではない。


 ヴィヴィアナは抜き放った両手のナイフを逆手に構え、相手の得物をいなしながら、その拳と蹴りで次々に制圧していく。時には相手の腕を切り裂く為にナイフを使うが、不殺ころさずを意識できるぐらいには余裕のある立ち回りをしていた。


 対して幼女は左手にソードブレイカーを携えて、鋭い剣捌きで男達を圧倒していた。彼女へ振り下ろされた一撃は全てソードブレイカーに絡め取られ、がら空きになった腕や脚を切りつけられた男達はことごとくが戦闘不能に陥った。


 戦闘を知らないロザリアには両者どちらが上かの判断など出来よう筈もなかったが、それでも彼女達が奴隷商人達を前に倒れる姿など、想像出来ない程には危なげない戦いぶりだった。


 最初に幼女が宣言したとおり、自身をチビ女と吐き捨てた男を切り捨てて完全に闘いの幕は下りた。走れるものはこの場から逃げ出し、そうでないものは立ち上がる事も出来ずに、地面に転がって倒れている。


 それらを通り過ぎてヴィヴィアナは荷台の中を覗き込んだ。多くの奴隷達の中から、目当てのロザリアの姿を確認して、ようやく彼女は緊張を緩める事が出来たようだった。


「姉さん、怪我はない?」


「大丈夫です。ヴィヴィ、私よりもこの子達を助けて欲しいんだけど……」


 荷台に踏み込んで、真っ先にロザリアの手足を拘束する縄へとナイフを当てたヴィヴィアナに向かって、ロザリアは願い出る。ヴィヴィアナは姉の願いなら出来うる限りの事はしてあげたいと思う程に姉想いの妹ではあったが、これには承諾しかねた。


「無理だよ、姉さん。姉さんだって分かってるんでしょ? この子達は奴隷。商品よ。姉さんとは違うわ」


 妹にさとされるまでもなく、ロザリアはそれを理解していた。商会を通して、正式な手続きでもって奴隷として売られる彼等は、既に商会が管理する商品だ。力ずくで攫われたロザリアとは訳が違う。


 もしここで彼等全員を解き放ったとしたら、犯罪者として追われる立場になるのはヴィヴィアナの方だろう。また解き放った所で、1度奴隷として売られた者に、行く当てなどあろう筈がないのである。


 だが、それをわきまえた上でヴィヴィアナを見上げる姉の視線に、彼女はやれやれと顔を左右に振りながら、譲歩じょうほする事になる。荷台にいる中でも、比較的貧民街で攫われたのであろう、姉と同じ立場の者達を選んで縄を解き、拘束を解いてやった。


「帰る場所があるのなら行って。後は責任持たないから」


 そう短く言い捨てるヴィヴィアナに小さく頭を下げて去っていく女子供。睨むような鋭い彼女の視線に子供達は萎縮するが、彼女に相手を威圧する気はさらさらなかった。彼等を見送って再び戻ろうとすると、彼女にとって少し信じがたい光景が広がっていた。


 いつの間にか荷台に乗り込んでいたエステルが、残りの奴隷達の拘束までも解いてたのである。

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