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姫騎士物語  作者: くるー
第六章 汚れてしまった慕情に
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逃れようのない依拠その1

 ―――数時間後。バルアーノ領、ヴェネット、異端者隔離居住区ゲットー、地下排水路


「んっ……クシュンッ」


 自身が漏らす艶やかな声とクシャミに驚いて、鼻をすすりながら、ゆっくりと意識を取り戻していくアイリーン。


 彼女が瞳を開いて初めに目にしたのは、活き活きとした新芽であった。床に敷き詰められた石の間から伸びる新芽と、横たわったままの彼女を包むように生え揃った緑ゴケの強い香りに、この場所が森の中なのであると、錯覚におちいってしまいそうであった。


 ただ、アイリーンの意識が覚醒を迎えるにしたがって、次第に開けていく視界から得られる情報が、ここがそんな穏やかな場所ではないという事を、思い起こさせる。


 まるで地下牢のように、家具の一切もない閉ざされた一室。出入口と思わしき扉の傍に吊るされているカンテラが唯一の照明。その小さな光に照らされた床や壁……天井までもが、排水路を塞いでいた木の幹のようなモノに覆われていて、長く使われていない廃墟のような雰囲気を放っていた。


 この薄気味悪い空間に、アイリーンが肌寒く感じてしまってるのはなにも、本当に濡れてしまっているからだけではないだろう。


「ここ……むぺっ!?」


 アイリーンは起き上がろうとした所で、再び顔面から床へと倒れ込み、自分の身体の自由が利かない事に気付かされる。幸い、緑ゴケがクッションになってくれたお陰で大事には至らなかったが、その代償とばかりに彼女の綺麗な白い肌は、泥に塗れてしまった。


「んんっ、脚と両手が縛られて……あぁ、そっか。私、ラウロさんにやられて捕まっちゃったって、事なのかしら?」


 腰付近で拘束された両手を動かしてみるが、解けるどころか両手首に喰い込んでくる痛みを感じてたところで諦める。それでは、と立ち上がって見ようとするのだが、両脚を縛られているうえに、木の幹や柔らかな緑ゴケに覆われた最悪の足場では、立とうとする度にバランスを崩しては倒れるを繰り返してしまう。


「あぁうっ! うぅ~……お尻、痛ったぁい~」


 何度か繰り返している内に起こってしまった災難。倒れた先が運悪く木の幹の中でも特に硬い部分だったようで、痛みに呻き、涙目になりながらグルグルと左右に身体を転がしていたそんな時、声を掛けられた。


「あの……な、なにを、さっ、されてるんですっ、か?」


 聞き覚えのある声に、動きを止めて寝転んだまま視線を上げるアイリーン。その先には、出入り口に掛けてあったカンテラを片手に、もう片手に軽食を持っているレスリーが立っていた。


「レスリーッ! 良かった、無事だったんだね」「ひぃっ! そっ、ちっ、近づかないでっ、く、くださいっ。怖っ」


 立ち上がる事を止めて、身体をゴロゴロと転がして近づいて来るアイリーンの姿に、思わず声をあげて拒絶反応を示すレスリー。そんな彼女の目前で、ピタッと停止して見せるアイリーン。


「大丈夫? なにか酷い事されなかった?」


 うつ伏せ状態のまま、レスリーの足下で顔だけを上げてそう尋ねてくるアイリーンに、レスリーはギュッと歯を噛みしめる。見れば分かるだろう? 貴方よりマシだ……そう言いたくなってしまうのを堪えて、アイリーンの全身に視線を運ぶ。


「……ひっ、酷い、お、お姿っ、ですね」


 レスリーに指摘されて、そこで初めてランタンの灯りに照らされた、自らの姿を確認するアイリーン。ただでさえ囚人と見間違うような薄い布地の襤褸ぼろ姿だというのに、乾ききってない部分をコケや泥に塗れたうえに、胸の谷間や太腿の間に枝葉までが絡まって、浮浪者のようなみすぼらしい姿になっていた。


「えっ? んっ……あははっ。これはその、ちょっと色々あって……それより、この縄を解いてくれると嬉しいな?」 


「レスリーは、ほっ、解きません。らっ、ラウロ様にあっ、アイリ様の事はたっ、助けるなって……そっ、そう申し付けっ、られたので」


「それって……レスリーはもう、ラウロさんの仲間になっちゃったって事?」


 恥ずかしさに赤らめていた顔が、瞬時に蒼白に染まった。アイリーンが震えた声で放った詰問に、レスリーは顔を背けて、無言で彼女の眼前に白湯と粗末なパンが乗せられた皿を置いた。


「そっ、それ。た、食べてください。では、レスリーは、その……こっ、これでっ」


「えっ? ちょっと待って、レスリー。私、まだ話がっ!」


「とっ、止めないでくださいっ! レスリーはもうっ、もうラウロ様とっ……」


 ぐ~っ……レスリーの言葉を遮るように気の抜けた音が響く。いぶかしげに振り返りながら視線を落とすレスリーと、次第に顔を赤く染めていくアイリーン。


「こっ、これはっ……だって私、朝からパンを1切れしか食べてないしっ! でも、両手がこんなだから食べようにも食べれなくてっ。だから、レスリーに手伝って欲しいなって思って……その……ダメ?」


 今度はレスリーの顔が真っ赤になる番だ。自身の勝手な思い込みで、アイリーンが引き止めてくれていると思っていたのだ。恥ずかしさに圧し潰されてしまいそうで、いてもたってもいれなくなった彼女は、声なき悲鳴をあげながら両手で顔を抑えて、その場から走り去ってしまう。


「~~~~~~っ!!??」


「えぇっ? レスリーッ!? 私のお腹の所為だからっ。謝るからっ! その、待ってっ。待ってぇぇぇっ!!」


 数分後……何事もなかったかのように戻って来たレスリー。無言のままアイリーンを助け起こすと、パンを小さめにちぎり始める。


「ごめんね、レスリー。こんな事まで手伝ってもらって」


「べっ、別に……そのっ、もういいですっ。そ、それより……どうぞっ」


「それじゃ、あ~ん」


「……?」


 口を大きく開くアイリーンを、キョトンと小首をかしげて見返すレスリー。釣られてアイリーンも首を傾げる。


「あっ、後はご、御自身で……ど、どうぞっ?」


「えぇ? でも私、両手が使えないから、レスリーに食べさせて欲しい」


 そう告げるアイリーンと、一口サイズに小さくなったパンとを何度も見比べる。こんな状況であるにも関わらず、当然そうしてくれるものと甘えた視線を向けてくるアイリーンに少し腹立たしくあったが、彼女に頼み込まれるとなんだか悪くない気分になってしまう己自身こそに、レスリーは苛立ちを覚えた。


 だからかレスリーは、必要以上にムスッとした表情を作ると、パンを一切れまんでアイリーンの口に渋々とした様子でゆっくりと運んでいった。だが、そんな感情表現は無視したように自ら首を伸ばしてパンにかぶりつくアイリーン。


 事前に同じパンを食べていたレスリーは知っていた。保存用に作られたこのパンが、どんなにパサついていて、どれだけ味気ないかを。そうだというのに、嬉しそうな笑顔を浮かべてモグモグと口の中でパンを転がしているアイリーンを見ていると、何故か自身まで満たされていくような想いに駆られた。


「ふふっ。ありがとう、レスリー。こうしているとなんだか、2人で森の中にピクニックしてるみたいだね」


「そ、そんな事っ……か、勘違いですっ」


 そうかなぁ? などととぼけた様子のアイリーンを尻目に、白湯を使ってパンを少しだけふやかして、アイリーンの口へと運んでいく。これはこれ以上、彼女から惑わすような言葉を吐かせない為だと言い訳しながら。


 そうして差し出されたパンに、アイリーンは再び顔を寄せてかぶりつく。その際、レスリーの指先に残ったパン屑に気付いて、彼女の指先までも咥えながら食べてしまった。


 レスリーは慌てて指先を引き抜く。汚いものを口にしてしまった子供から、それを取り上げる母親のような必死さで。


 しかし、一切の悪びれた様子もなく、パン屑を口の端に付けて笑顔を浮かべたままのアイリーンを見ていると、脱力感に見舞われて、気にし過ぎている自身がバカなような気すらしてきた。


『結構美味しいよね、これ』


 レスリーは、ふとヴィヴィアナの言葉を思い出す。そう告げた彼女はその後どうしたか……そこから先を振り返る間もなく、彼女の身体はそれを覚えていたようで、アイリーンの口の端に残ったパン屑に手を伸ばし、それを自らの口に運でいく。


 そんな一欠片ひとかけらで、味の良し悪しなど分かろう筈もない。ただレスリーは、確かに胸の内が温かくなっていくのを感じていた。

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