終ぞ許せぬ己へのその4
マテウスがボートの異変に気付いた時より、少し前に時間は遡る。
マテウスがヴィヴィアナ達のボートから視線を切って、異形ハンクと対峙している最中、理力解放不能状態に陥ったボートがジリジリと彼から引き離されていくのに、ごたついている最中、一番最初にその存在に気付いたのは、ヴィヴィアナであった。
「ねぇ、アレッ。アレってアンタの言ってた援軍じゃないのっ?」
「援軍? 一体……なんの事を言ってるん、ですかっ?」
ヴィヴィアナが指し示す方向には、異形対策局からの援軍の姿があった。彼女の発言にシドニーがちらりと首を巡らせてその姿を確認しようとするが、曖昧な返事しか出来ない。
彼女との視力差の為、遥か遠くに砲台めいたモノが並んでいる姿しか見えない上に、舵に気を取られていてゆっくり確認するどころではないのである。
「あぁ、もうっ……オジサンッ! 聞いてっ! あっちから援軍が来てるのっ! ……だめっ、聞こえてないみたい。ねぇっ? せめて、もうちょっと寄せれないのっ!?」
「それが出来ないから、苦労しているんですよ。少しの間ぐらい、慎み深く出来ないんですかっ?」
「余計なお世話よ、バカッ!」
せめてマテウスに情報だけでも与えようと声を張るが、マテウスも周囲の状況に気を回してる余裕がないのか、ヴィヴィアナの声が届かない。この状況にヴィヴィアナは苛立たし気にボートの縁を両手で叩き付けながら、もう1度援軍の様子を伺った際、その不穏な様子に真っ先に気付いた。
「ねぇ、嘘でしょ? その距離から? もしかしてオジサンが見えてないの? そんな事ってある? あぁ……本気で撃つ気だ。オジサンッ! そこから離れてっ! お願いっ。聞いてよっ、マテウスーッ!」
援軍……異形対策局の詳細な動きまで見えているのは、桁外れの視力を持つヴィヴィアナだけだ。大型異形に対しての砲撃による攻撃。先制と目標を足止めを目的としたそれは、目標が回避行動を行ったとしても、被害を与えられるようにと、広範囲を覆うように行われた。
ヴィヴィアナが声を張り上げてマテウスの名を呼ぶが、声は、マテウスに届く事なく消え失せていく。
その直後には、異形対策局が一斉に砲撃を放った。そして、マテウスが地面へと派手に転倒したのを目に止めると同時に、彼女は無意識に真紅の一閃を理力解放させる。
理力解放の瞬間に走る奇妙な違和感はいつの間にか消えていた。目を見開いて、砲撃で放たれた全ての巨大な銛の軌道を見破り、その1つがマテウスへと向かっていると判断すると、集中力の全てをそこに注ぎながら弓を引き、矢を解き放つ。
白線のように続く軌跡に沿って矢が突き進み、銛を正面から捕えた。紅の矢が、銛に当たった瞬間掻き消えるが、軌道を変えるにはそれで十分だった。数多に降り注いで来た巨大な銛の全てが、異形ハンクと地面へと突き刺さるのを確認すると、ヴィヴィアナは思わず小さなガッツポーズをした。
そうしてヴィヴィアナが気を緩めていた次の瞬間、突然にボートが激しく揺れて、彼女は船底に頭をぶつける。
「痛ったっ! だから揺れるんなら一言ぐらい言ってよ……って、どこっ?」
頭を抑えながら顔を上げて、船首の方向へと向き直ったヴィヴィアナ。しかし、そこにいる筈のシドニーの姿がなく、周囲を見渡す。そこで気づかされたのは、河川上流から流されて来たのであろう大きな樹木に、このボートが巻き込まれながら押し流されてしまっていて、横転しかけている事実だ。
「さっきのってっ、コイツがっ、原因って事? んっ! ていうか、アイツッ。もしかしなくてもっ、落とされてないっ? あぁ~、もうっ。なんでこんなんが流れてくるのよっ!」
船体を安定させる為に、絡みついた樹木を蹴りつけて突き放そうとするヴィヴィアナだが、足場が悪くて力が入らないうえに、サイズが大きすぎてビクともしない。何度も繰り返し蹴りつけるが、効果がないと判断すると、諦めて再度周囲を見渡す。
そうする事で前方に、水面から上半身だけを覗かせながら、もう一回り小さな木材に縋りついてなんとか生き延びている、シドニーの姿を見つける事が出来た。生きてはいるようだが、片手しか使えない彼がこんな急流に飲まれてしまえば、ただで済まない事は明白だ。
「あぁっ、マズイって。なんか……なんかいい方法ないのっ?」
泳ぐことが出来ないヴィヴィアナが河川に飛び込んだ所で、溺死死体が2人分並ぶだけだ。そうして考え込むことで視線を落とした先に、とぐろ状に巻かれたロープの存在に気付いた。
「これ、ボートを岸に結んでおく用の奴か。これで……いや、でも……もうっ、ますます難しくなってるんだけどっ!」
自ら思いついた発想に独りで文句を零しつつも、樹木の中でも太い枝をナイフと使って叩っ切り、それにロープを巻き付ける。
「お願いだから、変に動いたりしないでよ」
そんな祈りの言葉を発しながら、ヴィヴィアナはロープを巻き付けた太い枝をシドニーの方角へ向けて、高く投擲する。方角はともかく、明らかに飛距離を稼げなかった投擲は、目標の遥か手前で失速し、河川へと沈むはずだった。
しかし、その落下途中の枝を、投擲を終えると同時にヴィヴィアナが放った紅の矢が撃ち抜く。紅の矢は射抜いた枝ごと突き進み、シドニーが木材に縋りつく左腕の、たった矢1つ分だけ左へ命中する。
「よし……よしっ。よくやった、私っ。アンタは、はやくそれに掴まってっ。今からこっちに引っ張るからっ!」
ヴィヴィアナの動きに気付いていなかったシドニーが顔を上げ、彼女のジェスチャーに促されるまま素直にロープを掴む。それを確認したヴィヴィアナが、真紅の一閃を腰のホルダーに下げて、空いた両手でロープを強く握りしめて、ゆっくりと手繰り寄せるが、なぜか足元が濡れている事に気付いて視線を下へと落とす。
「あぁ、ヤバい。そういうのは、マジでヤバいって」
度重なる衝撃を受けた結果、船体に亀裂が入り、そこから浸水が始まったのだ。いつの間にか沈んでしまっていた片足を見下ろしながら、語彙を失ってしまったヴィヴィアナは、呻き声を漏らしながらヤバいを繰り返す。
そんな現実から目を反らすようにヴィヴィアナが視線を上げた先。今度は、横向きになったままの船体では、到底潜り抜ける事が不可能な間隔で、頑強そうな橋脚が立ち並んでいる事に気付いて、更なる現実に顔を青ざめさせる。
広くなった川幅。そしてその景観を楽しむ為の立派な橋。普段は観光客が集い、幸福な思い出を作る為の立地が、最悪の不幸を重ね合わせたかのように、彼女達に牙を剥いていた。
「ねぇっ、こんなのどうしろっていうのよっ!」
いつの間にか止んだ曇り空の下、問い掛ける相手などいないにも関わらず、それでも誰かに投げ付けたくなるようなヴィヴィアナの悲鳴が響き渡った。




