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姫騎士物語  作者: くるー
第六章 汚れてしまった慕情に
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終ぞ許せぬ己へのその1

 ―――ほぼ同時刻。バルアーノ領、ヴェネット、水中庭園付近 


 理力式の自走ボートから飛び立ったマテウスは揺れない足場に着地すると同時に、崩れ落ちそうな身体を両手で着いて支えた。その時、立ち眩みを起こして動きを止める。


 とっくに限界を超えている感覚があるというのに、足を止める事が許されない状況は、マテウスにとっては、肉体的にはともかく、精神的にはありがたかった。余計なすべてを振り払って闘争に身を投じている間こそ、最も己が己たりえる時間であったからだ。


 ただし、今となってはレスリーの事は勿論、アイリーンの事も、その全てが心に纏わりついて離れてくれないのだ。


『……ど、どうせならハッキリと仰ってくれれば良いんですっ。もう、無理だってっ。あっ、諦めたって……レスリーはずっ、ずっと……ずっと強くなんかなれないって……』


『無事でいてくれさえすれば、私はそれだけで……その後にもう1度、今度は3人で話そう?』


(……アイツ等の為にどうすべきか。そうやって動いていた、つもりだったんだがな)


 エアウォーカーを理力解放インゲージして初速を得ようとした所、途中で理力切れを起こした事が起因で、マテウスは脚をもつれさせる。普段の彼ならそこから立て直すだろうし、そもそもがそんな初歩的なミスを犯さないのだが、今日の彼は派手に転んだ。


「オジサンッ!」


 ヴィヴィアナの声が届いて、顔を上げる。振り返ると、やはりというか異形アウターハンクが地上に上がってくる所であった。幾度となくその体型と体格を変貌させていた彼はやはり、水上に適した形態を変貌させていたようだ。


 胴体にはアメンボのように水を弾く黒い体毛を生やし、獲物を捕らえるのに使っていた胴体から生えていた触手を、魚のヒレのような形へと変化させていたようだ。


 しかし、地上に上がる際にはそれを不必要と感じたのか、ズルズルと胴体を引きずって前進しながら、ヒレを体の内にしまって、黒い体毛の隙間から幾本もの短めの触手を生やし直して、脚のように使って前進してくる。


 その変貌の代償か、ラミアのように生えていた上半身には既にハンクとしての面影はなく、顔と両手からイソギンチャクのように無数の触手が生えた、奇形の化け物のような姿になってしまっていた。


 前進する度に下腹部正面の大きな口から、オォッ、オォッ……と、空洞から漏れ聞こえる風音のような声しか発する事の出来ない有り様になりながらも、マテウスへの執着が捨てきれず、追い回そうとする姿は、亡霊や亡者のような薄気味悪さがあった。


「分かってる……ぜっと」


 ヴィヴィアナに促されるようにして、マテウスが再び駆け出した。それは、従来の彼の全速力にはほど遠いく、走り方を覚えたばかりの子供のような、いつコケてしまうか分からない姿で、ジワジワと異形ハンクに距離を詰められる様子に、ヴィヴィアナはもどかしさがこみ上げる。


 気付いた時には、マテウスから受け渡された真紅の一閃(シュトラルージュ)を構えていた。震える両手で、間違ってもマテウスには当たらぬように大雑把に狙いを定めたうえで、赤い矢を放つが、そんな力ない一矢では、異形ハンクの急所を射抜く事が出来ようもない。


「伏せていなさいっ。曲がりますよっ!」


 シドニーの忠告に、ヴィヴィアナは迷わず従った。ボートが急ブレーキと同時にマテウスから離れて行く。河川のルート上、不可避な事態だ。


「ねぇっ……はやくっ。まだ戻れないのっ!」


「もう水中庭園に入りました。すぐ合流するから、黙っててくださいっ」


 必死な形相のシドニーに嘘はなさそうだったので、ヴィヴィアナもそれ以上の反論はしなかった。程なくして、河川の幅が急激に狭まり、緑の垣根や狩り揃えられた芝生が広がる景色へと変わっていく。


 今まで移動していた広めの運河とは違い、カヌーが行き交うのがやっと程度の細い河川をボートが走り続けると、高い垣根の合間から、異形ハンクに目前まで迫られたマテウスが確認出来た。


「もっと寄せてっ!」


「そうしたいなら、貴女も飛び降りればいいっ」


 その言葉に一瞬だけ迷いを見せたヴィヴィアナだったが、その直後には改めて弓を構える姿勢を取る事でその迷いを振り払った。もうそんな猶予すら許されないと、判断したからだ。


(ここよ……ここが最後だって分かってるわよね? ヴィヴィアナ・カラヴァーニ。何千回、何万回、同じ事を繰り返してきたんでしょう? ねぇ? いつまで震えてんのっ? ここでやれなくて、いつやんのよっ!?)


 ヴィヴィアナの指先が一際赤く光り輝き、大きく力強い一本の矢が顕在けんざいされていく。足場は荒れた水面を航走こうそう中のボート上、視界は風雨と高い垣根で遮られて、距離は目算で30m以上は離れていた。


 そんな弓射には最悪の環境で彼女は、再びゼノヴィアに借りた狩人の本の続きを思い出す。誤射で女性を傷付けてしまい、弓に触れる事すら出来ないようなスランプに陥った狩人に寄り添ったのは、なんと誤射を受けた女性本人であった。


 狩人が当然の償いとして、女性に対して献身的な介護を施す最中、穏やかな女性の言葉の1つ1つが、狩人の心を少しずつ癒していくのである。


 そうして、完治した女性が森から離れようとしたその時、女性が獣に襲われそうになっていた所を、狩人が再び握った弓で救い出し、2人は結ばれて幸せな結末を迎えるというのが、その本のあらすじである。


 これを読み終えた直後は、到底そんな心境になれなかったヴィヴィアナだったが……


(男女は逆だし、あのオジサンから優しい言葉なんかなかったけどさ……でも、今なら狩人の気持ちがなんとなく分かる。結局、やるしかなかったんだよね?)


 矢を引き絞り、狙いを定める瞬間、ヴィヴィアナは時が止まったような感覚を得た。波の動き、風の流れ、雨の1粒1粒、その全てを鮮明に捕らえたような感覚の後、白い軌跡きせきが狙いの先へと繋がっていく。


(人を傷付けてしまった事を恐れて、人が傷つけられる姿を指を咥えて見てるだけだなんて、そんな卑怯な話ってないじゃんっ。それに……アンタが信じて頼ってくれた私の腕を、私が信じれないままってのも恰好つかないしさ。私を信じてくれている人がいて、今、その人を助けられるのは私だけっていうのなら、私の今の全てでもってっ……)


「応えてみせるのが筋でしょっ!?」


 解き放たれたヴィヴィアナの一矢が空を切り裂きながら突き進んでいった。

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