隠されていたものその1
―――数時間後。バルアーノ領、ヴェネット、異端者隔離居住区、地下排水路
「ここが最後……だね」
アイリーンが手元の地図と、地下排水路の出先とを見比べながらそう告げる。テルム川の下流へと繋がる排水先は、人の出入りを阻む為に鉄格子で仕切られており、前回の浸水騒ぎの時と同じように、格子全体に木の根が絡みついていて、水の流れまでもを阻んでいた。
ここに至るまでに幾つもの排水先を確認してきた一行であったが、どこの排水先も同じような状況で、その1つずつをエステルの殲滅の蒼盾でもって爆破するという、力技で解消して回っていた。
「なんとか費えずに済んだが、理力倉もこれで終わり。火急のこと故、仕方がないとはいえ、マテウス卿が理力補充の申請を通してくれれば良いのだが……」
バシャバシャと半身までに届く水を掻き分けながら進むエステルが、ブツブツと独り言で悩んでいるのは、殲滅の蒼盾の理力解放をする際に必要な経費の問題についてだ。
装具本体には理力を力へと変換する為の役割しかなく(それはそれで精巧な理力付与が必要とされるのだが)、その威力を決定づける要となるのは、むしろ理力倉の方にある。どんなに優秀な装具であったとしても、引き出す為の理力が少なければ、その威力がお粗末な結果になってしまうのは、想像に容易いであろう。
だから、高威力の装具の理力倉にはその威力を実現させる為に、高度な設計が施されており、下位装具のように共通規格の下、代用の効く廉価版を比較的手軽に買い求めたり、どこでも気軽に理力補充、という訳にはいかない。
上位装具に至って語るならば、理力倉の形状も補充方法も、それ専用になってしまっていて、気軽に代用する……などという選択が、不可能なのである。
エステルが使用する、殲滅の蒼盾はその傾向が特に顕著で、全力での使用を続ければ、10数回で理力切れを起こしてしまう理力倉の数が、世界中を探してもたったの3つ。そしてその補充にしても、一般的に貫通力が高く、高威力な攻撃を実現するドラゴンイェーガーの理力補充がセグナム銀貨10枚に対して、殲滅の蒼盾の補充に掛かる費用がセクストン金貨5枚……エステルが一発放つ度に、実にドラゴンイェーガーの理力倉1つ分の費用が消し飛んでいるのだ。
この金喰い虫の存在に頭を悩ませているのがマテウスで、放っておけば日がな1日中でも、殲滅の蒼盾を使った練習に明け暮れようとしていたエステルに、口を酸っぱくしながら経費の概念を刷り込ませた結果が、最近になってようやく実を結んだらしく、こんな場面でも、エステルの脳裏に過るようになったようだ。
勿論、こういう事態になってまで費用を理由に、理力倉の補充を渋らせようとするマテウスではないのだが、エステル自身が理力の残量を気にするようになったのは、いい成長というべきだろう。
なにせ、彼女の理力倉は特別で、そうそう気軽に代用や補充が出来ない代物。考えもなく使用し続けるのは、己の首を絞めるようなものだ。どんな時でも管理意識は持つべきなのである……多少、情けない愚痴になってしまおうとも。
「殲滅の蒼盾……理力解放っ」
地下道の闇を晴らす一瞬の閃光。そして大音量と共に、鉄格子にビッシリと巻き付いていた木の根が、格子ごとまとめて吹き飛ばされる。塞き止められ停滞していた水が、まるで命を得たかのように水流となって、テルム川下流に向けて進み始めた。
「むっ……おぉっ?」
「エステル様っ」「とっとと上がってこいっ!」
その水流の勢いに足を取られそうになったエステル。彼女の上半身にはロープが巻き付けられていて、レスリーとソーンの2人がそれを支えている。
「助かった。少し、足を取られてしまった」
結局エステルは倒れるような事もなく、ロープを伝って皆の下へと戻っていく。元々、地下排水路の水は粗方を吸い出した後だったし、水嵩も少なく、エステルが水流に巻き込まれるような心配はなかったので、保険程度の意味合いだったのだが、役に立ったようだ。
「全く、手間掛けさせやがって」
「ハッハッハッ、心配性だなソーン殿は。これしきの事、騎士である私にとっては造作もないぞっ」
「はぁっ? 心配なんかしてねぇーよ。お前がトロトロしてるから、文句を言いたくなっただけだっ」
2人が言い争う姿を、レスリーはジッと眺めていた。ソーンの言葉の内容はキツイものばかりなのに、エステルはどこ吹く風で、なに1つ気にする様子を見せない。そんな彼女に対して、ソーンは文句を続けながらも、タオル代わりの襤褸布を手渡したり、ロープを解くのを手伝ってやったりと、その態度は何処か甲斐甲斐しさすら感じさせた。
(不思議です。2人はベルモスク人とエウレシア人で、あんなにも喧嘩しているのに……)
ああしていがみ合っている姿を見て、恐怖を抱かないどころか、その輪に入ってみたいと思える自身がいる事に、レスリーは動揺した。そして、実際に輪に入るような事があれば、なに1つまともに口にする事なんて出来る筈ないのに、なんて烏滸がましい望みを抱くのだ……と、また顔を俯かせた。
そんな折、強い光がレスリーの横顔を照らす。
「あっ、あのっ、レスリー。これを持っていてくれないかな?」
急に話しかけられた事によって、レスリーはビクッと目に見えた態度で身を引いた。それに気づいて、話しかけたアイリーンまで身を竦めてしまったので、お互い微妙に距離が離れてしまう。
「ほら、その……ちょっと気になる事があってさ。地図を見たいんだけど、片手だけだと難しくって」
理力式のカンテラを片手で持ちながら、地図を片手に開いていたアイリーンが、レスリーに向けて恥ずかし気な微笑みを浮かべる。レスリーはその微笑みから視線を反らして、下方を向きながら断る理由を探すのだが、結局思いつかなくて渋々と手だけを伸ばした。
「ありがとうっ、レスリー」
そんな態度をされたというのに、表情をアイリーンは花が咲き誇ったかのような笑みに切り替えて、カンテラを手渡した。そうして地図へと視線を落とすのだが、まだ暗い事に気付いて、レスリーとの距離を詰めていく。
「あのっ、そのっ、近っ……」
「んっ? ごめんね? ちょっと待ってね?」
まるで犬が主人に身体を預けるかのように、遠慮なく光を求めて身を摺り寄せてくるアイリーン。それに対してレスリーは少しでも離れようと身を捩るのだが、最終的には諦めて、光が届き易いようにカンテラを少し高い位置へと掲げながら押し黙った。
嫌いだって伝えられた相手にこんな態度を取るなんて……そういう呆れ。怒りもあるのかもしれない。だがそうだとしても、なぜかレスリーには、それを拒絶の理由にする気にはなれなかった。
下水道特有のカビや泥の入り混じった淀んだ臭いを打ち消す、アイリーンの髪が放つ薔薇のような甘い香り。ここ数日、自身と同じ水洗いの筈なのに……とか、身体が触れ合ってくすぐったくなるようなこの時間を、悪くないな……などと考えながら過ごしていると、彼女達が来た方角から、歩道を進む足音が近づいて来る。
「誰だ?」
いち早くそれに気づいたレスリーが、皆の先頭に立とうとするので、慌ててそれに追従して、その先をカンテラで照らすレスリー。
一体何者が現れるのか……その緊迫した空気を先に壊したのは、謎の足音を鳴らしていた相手の方であった。
「お~いっ、俺だっ! いやぁ、探している間に灯りが切れそうになってて、ちょっと焦ったぜっ」
放っておけば、そのまま延々と喋り続けてしまいそうな、この場所に似つかない底抜けに明るい口調。ラウロの登場に、皆が同時に気の抜けた吐息を零した。