そのまま触れずにいられるならその4
「はい? 一体なんの話を……なっ、貴様っ。なにを勝手にっ!?」
ボートの操舵に集中を割かれている為、後ろに振り返る事が出来ないシドニー。その隙を狙って、マテウスは彼の腰に下げられた大槌型の下位装具、ショックエイクを抜き取った。
「まぁまぁ、怒るなよ。後ろのイザコザはこっちに任せて、そっちはしっかり前を向いて安全運航で頼んだぜ」
右手首のスナップだけで、伸縮性の柄を伸ばして固定。真紅の一閃をヴィヴィヴィアナに押し付けるように返すと、両手の間隔を広めに使って握り、軽く左右に振って感覚を確かめる。
そして、片足を船尾乗せて身を乗り出しながら、大上段に振りかぶって異形ハンクを見据えた。
「さぁ虫ども、神威執行だ」
ショックエイク……理力解放
マテウスによって勢いよく振り下ろされたショックエイクが、水面を叩き付ける。その衝撃は異形ハンクの胴体直下で爆ぜて、間欠泉のように吹き上がった水鉄砲が、異形ハンクの下腹部を突き上げた。
その巨体が大きく怯んで、急流に流されて、波間に沈みかけるが、すぐに身を持ち直す。その光景に、致命傷には至らないが、時間を稼ぐのには十分と判断したマテウスは、続けて攻撃を重ねようとするが、本体への攻撃に、幼体が過剰な反応を見せた。
異形ハンクを守護するように周囲を囲み、水の上を弾くようにして走っていた幼体達が、さらなる加速でもってマテウス達へと距離を詰めて来たのだ。
それに対してマテウスは、先んじてショックエイクを振り下ろした。大槌の先端が水面を叩き付けた瞬間、幼体の進行を妨げるように、再び河川が爆ぜる。吹き上がった強烈な水鉄砲に巻き込まれた数体の幼体が、その衝撃に肉体を抉られながら、遥か上空まで打ち上げられる。
大きな傷を負う事によって散り散りになった触手と、水飛沫の中に混じる緑色をした体液が地上へと降り注ぎ、それから数秒遅れて衰弱した幼体達のそれぞれが、水中、地上へと叩き付けられて、2度と動かぬ存在へとなりかわっていく。
その光景を見て学習したのか、次なる幼体の襲撃は2体で左右に分かれて行われた。それぞれを水面を殴りつけて対応するのは、理力倉の無駄だし、なにより間に合わないと判断したマテウスは、身を乗り出したままの体勢で幼体達を引き付ける。
「オジサン、大丈夫なのっ? 同時に来てるよっ!」「あぁ、分かっている」
ヴィヴィアナも真紅の一閃を片手に握って顔を上げて加勢しようとするが、船上で戦うなどという経験が初めてな彼女にとっては、強風に煽られ、急流で激しく揺れる船上では立ち上がる事すら困難で、片手をボートの縁に着いたまま、動けずにいた。
実際、この状況下では船上に慣れた熟練の漁師ですら、支えもなく立ち上がる事は躊躇してしまうだろう。そんな状況下、いつ振り落とされてもおかしくない船尾の先端で、両手に武器を構えて立ち上がっているマテウスの方が異様なのだ。
彼は雨で滑りやすくなった長柄を両手で握りしめ直すと、僅かに先に襲い掛かって来た左側の幼体をショックエイクで直接殴りつけた。重い手応えの中、理力を解き放つマテウス。彼の1撃によって崩れかけていた頭部に、更なる横殴りの衝撃が重なり、粉々に砕かれながら吹き飛ばされる。
だが、同時に彼がショックエイクを振り抜いたとは逆側……右からも幼体は迫っていた。大槌のような長物を、切り返していては間に合わないと判断していたマテウスは、迷わず振り抜いた先の水面を叩き付ける。
ショックエイク……理力解放
連続の理力解放。それこそ触手を伸ばせば届く程の距離まで迫っていた幼体を、船体の真後ろの水面から、前方上空へと放たれた水鉄砲が捉えて、大きく弾き飛ばす。
マテウスによって角度が調整されていた為に、船体に直接の被害はなかったものの、水鉄砲の発生した距離が近すぎたが故に、巻き起こった荒波の衝撃で、船体が河川岸にまで流されてしまう。
船体が大きく揺れて、それぞれが振り落とされまいとしがみつく最中、むしろマテウスは船体の縁を片手で掴みながら全身を投げ出すように飛び降り、河川岸を蹴りつけて船との接触を回避。その蹴りつけた反動を使って船に飛び乗って、なんとか事なきを得る。
「チッ……もう少し、頭を使った装具の運用が出来なんですか?」
「その分、身体を張ってんのが見て分からねぇのか?」
「では、次も身体を張ってどうにか出来ると?」
「なんだ? なにをしろって言うんだよ」「オジサンッ、前っ、前っ!!」
ヴィヴィアナに促されて前方に視線を運ぶマテウス。河川が岩礁のようになってしまっている事に気付く。そして、その原因が自分が前方に弾き飛ばした幼体が、橋を崩壊したからだという事にも。
当然このまま進めば座礁を免れないが、引き返そうにも、異形ハンクとその幼体の集団を抜けねばならないという、事実上不可能な選択が待ち受けている。
「あぁ、糞っ。マズったな。あぁ~……そうだな。俺が一度上陸して、アイツ達を引き付けている間に……」
「違うでしょっ。このまま前進っ! 全速力っ!!」
マテウスが発言を終える前に割って入ったのは、ヴィヴィアナだ。シドニーはそれに対して前方に視線を向けたまま、目を剥いて驚く。
「正気ですか? 自殺を志願されるなら、今すぐお一人でどうぞ」
「私は自殺志願者でも竜信者でもないわよっ。いいからアンタは前進させてっ。後はオジサンがソレでなんとかするっ」
ヴィヴィアナの視線が自身が手にするショックエイクだと気づいたマテウス。彼女の言わんとする意図に気付いて、今度は彼がヴィヴィアナの正気を疑う。
「おいおい、こんな小さなボートで3人乗りだぞ? 耐えきれる筈がないだろっ」
「そこを、なんとかするのっ。皆で助かろうよっ。オジサンなら出来るでしょっ? だからやってっ。お願いっ」
「この……」
悪態を吐こうとするが、ボートの加速によって言い争いをしている猶予はない。繊細な力加減への集中力を高める為に、大きな深呼吸を落としながらショックエイクを両手で握り直す。
「舌を噛むなよ。どうなっても知らんぞっ」
シドニーとヴィヴィアナがそれぞれ衝撃に備えたのを確認すると、岩礁に差し掛かる直前を見計らって、ショックエイクで水面を叩き付けた。
次の瞬間、ボート直下の河川が爆ぜて、3人を乗せた船体が宙を舞う。前進の勢いはそのままに、崩れ落ちた橋より遥か高く、地上に居並ぶ建物の屋根を見下ろせるまでに打ち上げられたボートが、今度は重力に従って真っすぐ水面へと落下していく。
ここで、船体に足を掛ける事だけで身体を支えていたマテウスが、宙へ放り出されそうになるが、それを想定していたかのように、ヴィヴィアナの伸ばした片手が、彼の腰のベルトを掴んで、それを喰い止めた。
彼女が力づくでマテウスを引き寄せた所で、叩き付けられるような衝撃の下、着水。その衝撃で何度も激しく船体が上下する最中、己の片腕で操る舵が決して狂わないように備えていたシドニーは、全身を舵に押し付けるようにしてボートを死守する。
それに対して、船尾の2人は着地の衝撃に備える事に失敗していた。船体が上下する度に船内で身体を激しく打ち付け、外へと放り出されそうになるが、その度に互いが互いを離さまいと手を伸ばし、支え合って、なんとか急場を凌ぐ。
最終的には、2人仰向けになった状態で、手足を絡み合わせたままグッタリと天を見上げる事となった。
「……ヴィヴィアナ、生きてるか?」
「ほらっ……なんとかなったでしょ?」
「なんとかなってんのか? これは」
まだ事態が解決した訳ではないのに、雨に打たれて冷えた己の肉体の重さに、虚脱した声を漏らしてしまうマテウスであった。