そのまま触れずにいられるならその3
「何度言えば分かるっ。狙われているのは俺だけなんだぞ? どうして君まで着いてくるんだよっ」
「だから怪我人のアンタを放っておくなんて、出来るワケないって言ってんのっ」
「一緒に逃げ惑うだけなら、放っておいてくれた方がマシだ」
「そんな言い方ってっ……」
荒れ狂う急流の上を進む船上での言い争い。マテウスに突き返された真紅の一閃を、手が震える程に強く握りしめて、口を閉ざすヴィヴィアナ。マテウスも余計な事を口にしてしまった……と、後悔を滲ませた表情を浮かべるが、それを隠すように片手で自らの顔を覆う。
「ようやく終わりましたか? 言い争いをしている場合じゃないと、気付いて頂いてなによりです」
相変わらずの空気を読まない嫌味な言い方に、2人の視線が船首へと移動する。その先には、左片手と足を使った操舵でボートを操る、シドニーの姿があった。
振り返る余裕がないのか視線は前へと向けたままだったが、その声はこの風雨にも関わらず、しっかりと2人の耳に届いた。
「うっさいなぁ。アンタに話してないのに、勝手に聞かないでくれるっ?」
「はい? なにか仰いましたか? こっちは両手が塞がっていて、貴方方のように暇じゃないのでねっ。質問ぐらいは、聞き取れるようにハッキリとどうぞ?」
「……このっ」「よせ、ヴィヴィアナ。すぐムキになるな」
初対面の……それも、忌避する男相手にどうしてここまで言われなければならないのか。カッと感情的になりかけていたヴィヴィアナをマテウスが先んじて制する。マテウスとてシドニーの事は苦手ではあったが、今のヴィヴィアナよりはマシだ。
「話はもう終わった。それより、教えてくれ。俺達は何処へ向かってるんだ?」
「ヴェネット式水中公園です。シンディー審問官の計らいで、教会の戦力を集中させています」
「そうか。いい仕事をするじゃないか」
シンディーとの別れ際に頼んだ結果が、ようやく実を結んだようだ。ホッと溜め息をこぼしたマテウスの傍ら、ヴィヴィアナは懐疑的な声をあげる。
「……ねぇ? 本当に大丈夫なの? 治安局でも駄目だったのに、教会の戦力だなんて……」
「その教会を侮るような発言。異端とみなしてしまっても、いいんですよ?」
「どうして今のが聞こえて、さっきのが聞こえないのよっ。めっちゃムカつくんだけど、この人」
ヴィヴィアナが眉間に皺を寄せながら、吐き捨てるようにぼやくが、その内容は隣に座るマテウスにすら聞こえないように、声を潜められている辺り、一応、相手が教会の住人である事を、意識しているようだ。
「だが、あの異形は治安局の特殊部隊でも抑える事が出来なかった。侮る訳じゃないが、黒の騎士鎧で戦力を失ったお前達で、どうにか出来るのか?」
「先にシンディー審問官に余計な入れ知恵をしたのは貴方でしょう」
「入れ知恵というと……まさか、本当に異形対策局を投入したのか? あの女に、そんな度胸があるとは思ってもみなかったが」
「チッ……随分と好き勝手な言い様ですね? 彼女の本意な筈がないでしょう。投入を決定したのは、ヨーゼフ枢機卿猊下です」
「そうか。神興局の副局長という立場にありながら、他局の戦力をこれほど迅速に投入する決定を下せるとはな。恐れ入るね」
異形ハンクが市街で猛威を振るい始めて、まだ半日と経っていない。その短時間で、それに対抗する戦力が街の外部から、自らの支配下とは別の戦力を投入するとなると、予め予測を立て、投入するタイミングを見計らっていたとしか思えない。
(異端者隔離居住区に複数体のフレダリオンが出現したという情報は、奴の耳にも入っている筈だが、それだけの情報で、ここまで行動に踏み切れるものなのか? それに恐らく、シンディーが声を掛ける以前には……)
マテウスが内心で巡らせていた思考が、突然に途切れる。高速移動で不安定になっていた船体が、急流の上で跳ねて、転覆しかけたのだ。彼は、咄嗟にボートの側面に背中と片腕を預けながら、反対側の側面に足を押し付けて事なきを得た。
隣に座っていたヴィヴィアナも、なんとか振り落とされずにすんだようだが、側面に上半身と両腕を預けて、しがみついている様子は普段の勝気な彼女とはかけ離れた姿であった。顔色も、若干青ざめているように見える。
「どうした? まさか、もう酔ったのか?」
「……私、泳げないんだけど」
「いや……ホントになんでついて来たんだよ」
マテウスの質問に答えようとはせず、腹立たしそうな、そして恨みがましそうな視線で睨みあげてくるヴィヴィアナに、彼は小さく鼻で笑って船首へと視線を運ぶ。
「お前んところの教義では、操舵のコツは範囲外か? こんだけ荒いと終焉の箱舟でも沈んじまうぞ?」
「チッ……観光気分が抜けないのなら、水着にでも着替えて、御自由に飛び込めばいい。さぁどうぞ? そのまま後ろの方々と優雅なバカンスを、お楽しみになっては如何ですか?」
促されるようにヴィヴィアナとマテウスの2人は視線を後ろに運んだ。そこには、蛇のような下半身部分を水中に埋めながらも、それを上下に激しくうねらせながら、急流を掻き分けて力強く進む、異形ハンクの姿があった。
また、異形ハンクの周囲には、彼が排出したと思われる例の幼体が取り巻きのように布陣していて、それらも水上を走るようにして、マテウス達を目指して猛進しているではないか。
彼等の下半身に生えている、黒い体毛に覆われた触手のように伸縮する機関が、水を掻き分けて進むのに適しているのか、地上で動くよりも遥かに高い機動力で、差し迫って来ているのである。
「なるほど。楽しい遊覧の時間は終わりというわけか……気は進まんが、1度借りるぞ。ヴィヴィアナ」
真紅の一閃をヴィヴィアナから借り受けるマテウス。彼女の口から、もう返さなくてもいい、などと聞こえたような気がしたが、それは無視して、理力解放を行うマテウス。
赤い光と共に、それぞれの手に弦と矢が顕在し、揺れる船体上、中腰の姿勢で矢を番えるマテウス。狙うは一番標的として大きい、異形ハンク本体であったが、矢を放とうとした瞬間、波にさらされた船体が大きく動き、狙いまでも大きく反れてしまう。
「おいおいヴィヴィアナッ、これはどうやって矢を打ち分けるんだ? そもそも普通の矢と感覚が違い過ぎて、こんな場所じゃ当たる気がしないぞっ」
「それは、矢を放つ瞬間に指先を弾くように動かさないとだから、もっとコツが……危ないっ、伏せてっ!」
ヴィヴィアナの説明が急に警告へと変わる。同時にマテウスの腰を掴んで、彼を引き摺り倒すヴィヴィアナ。その直後にボートは橋の下を潜った。普段は、荷が積み上がっていたとしても、成人男性が船上に立っていたとしても、余裕があるように設計されている扇状の架け橋なのだが、水位が上昇している影響で、マテウスの頭部に襲い掛かる凶器となっていたのだ。
「……悪いな、助かった」
「……まぁ、これぐらいは」
「それよりっ……こういう時ぐらいは、声を掛けるのが礼儀じゃないか? 船長さんよぉっ」
「どうせ当てる事も出来ないのなら、頭を下げてジッとなさっていればいいのでは?」
反射的に言い返そうとしたマテウスであったが、シドニーの腰に吊るされている装具を見つけて、口の片端を吊り上げて、鼻を鳴らす。
「なんだ。使いやすそうな装具があるじゃないか」




