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姫騎士物語  作者: くるー
第一章 正鵠の見えざる嚆矢
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誓いの啼泣その1

―――同日、昼下がり。王都アンバルシア東区、グリニッチ市場


 東区最大規模の市場、グリニッチ市場には人が溢れていた。東区最大規模という事は王都アンバルシア最大。王都アンバルシア最大ということはエウレシア最大という事だ。


 この市場で手に入らない物はない。有名ブランド店や何代にも渡る名家、怪しい露店に遠国から来たであろう行商、誰もが目移りを覚える程に建ち並ぶ店舗達。それ等を目当てに、子供連れや観光客、平日昼間のサボタージュを楽しむ職人、デートを楽しむカップルといった、様々な人々が押し寄せるのだ。


 そんな中をマテウスとレスリーは並んで歩いていた。だがしかし、レスリーは何故自分がこんな所に連れられて来たのか、未だに理解出来ないでいた。黒閃槍シュバルディウスを勝手に持ち出すような真似をした彼女を、マテウスがどうして厳しく罵らないのかという事も含めて、理解出来ない事ばかりであった。


 しかし、この行為が彼なりのレスリーに対する罰なのかと思えば、成程効果は覿面てきめんだ。市場を歩くレスリーに集まる奇異の視線。肌の色だろうか? 髪の色だろうか? いや、両方だろう。自分の姿を晒す事で、多くの人に不快感を抱かせてしまっている。レスリーはそう考えるだけで、身が縮こまる思いがして、通り過ぎていく全ての存在に頭を下げたくなるのだった。


「大丈夫か? 人混みに疲れたのなら、少し休んでいくが」


「だ、大丈夫ですっ。心配お掛けして、すいませんっ、すいませんっ! レスリーの事はお気になさらずに」


「いつも言っているが、別に謝る必要はない。必要だからそうしているだけだ」


「はぅっ、すいま……ふぐぅっ!」


 レスリーはまた自然に謝ってしまいそうになる自分の口を、慌てて両手で押さえつけた。それを見てマテウスは、なんとも言えない……しいて例えるなら、困ったような表情を浮かべた。


 だが、このやりとりで本当に困っている者がいるとするなら、それはレスリーの方だった。謝罪は彼女にとっての処世術だ。彼女は自身の肌の色や、髪の色が相手に抱かせる不快感。それが、謝って許される事ではないのをよく知っていたが、謝っておけば大抵の相手は、良く分かっているではないか、といった表情で少しだけ機嫌を直すのだ。


 しかし、マテウスの反応はそれとは異なるモノだった。レスリーが謝罪する度に別に気にしていない、とか、必要はない、などと言い、あの困ったような表情で見詰めるのだ。


 どう答えればマテウスが機嫌を直してくれるのか、そもそもマテウスの機嫌を損ねているのかどうかすら、レスリーはマテウスの事が理解出来ないでいた。ただ訓練こそ厳しいものの、彼女の実家であるドイル家にいた頃よりかは、はるかに良くして貰っているという自覚はあった。


 当然だがレスリーは、その理由を欲していた。理解出来ない人間の傍に仕えるのは、やはり心証に触る。しかし自分のような身分で、マテウスの真意を探ろうなどとした結果、彼の機嫌を損なうような事があれば……そう考えると、やはり押し黙って現状に身を委ねるしか、レスリーには選択肢が残されていなかった。


 しかし、たちまち現状なにをさせられるのか……それぐらいは許してくれる筈だと、おずおずと質問する。


「あ、あの……マテウス様。それで、どちらに向かっておられるのですか?」


「決まってるだろう? まずは服屋だ。軽装を揃えてやると約束したしたのを覚えてないのか? なにより、今の君の格好だと、視線が集まってかなわん」


 指摘されてレスリーは、自身の衣服を見下ろす。ドイル家専用の女使用人メイド服。これになんの問題があるのか、彼女には分からなかった。それに視線を集めているのは、自分の肌の色の所為であって、衣服の所為ではない筈だ。


 そう口答えしたかったが、それがレスリーに出来る筈もない。やはり、この人の事が分からない……レスリーがそんな想いを抱いたまま連れられて行かれた先は、マテウスが宣言したとおり小さな呉服屋だった。


「いらっしゃい……あぁ、アンタかい。先日はどうも。今日はなんの御用で?」


「彼女のサイズにあう軽装を、何着か用意出来ないか? 古着かどうかは問わないが、動き易さを重視して欲しい。男物と女物の両方だ。それと、女物の方は、ここで着て帰れるような物がいいな」


「ふむ。使用人へのプレゼントかい? 予算はいかほどで?」


 店に入った途端、マテウスはレスリーの事は置いて店主と話を始めた。中年の店主がレスリーにチラッと視線を送ると、視線を感じた彼女は身体を震わせる。なにか肌の色の事を問い詰められるかと、思ったからだ。


 だが、店主はアッサリと視線をマテウスへと戻して予算の話を続けた。マテウスが銅貨を並べて交渉を続けている。暫く話した後、店主がエステルの身体を上から下までジッと見つめて、店の奥へと姿を消した。


「あ、あの……マテウス様? 私に服なんて、そんな高価な物、頂けません……そっ、それに、て、店主様がこちらを不愉快そうに見ていたような」


「俺が必要だから君に与えるだけだよ。大体女使用人を連れて歩くなんて、パメラの時だけで十分だ。それに、店主が君を見ていたのは、サイズを確認していただけだから、気にする必要はない」


「そ、そうは仰いますが……」


「いいから、気にするなよ。それより、サイズが合っていなかったら不味いから、色々と試着して貰う事になるだろう。それにしても、高価な物……ね」


 そう言葉を切ったマテウスは、口元を歪めてまたあの困ったような苦笑いを浮かべる。その笑顔にどういう理由があるかは知らないが、アイリーンはこの笑顔を可愛いと評していた。しかし、アイリーンはレスリーの事も可愛いと評した、感覚の少しおかしな人だ。参考になる筈もない。


 とにかくレスリーは、彼女の肌の色の事を、叱責も、愚弄も、嘲笑も、揶揄やゆも、当然ながら賞賛すらも。ありとあらゆる指摘をしないマテウスが……一定の距離感で静かに全てを見透かすように覗き込んでくる彼の事が、得体が知れず、少し怖く感じていた。


 暫くして店主が戻って来る。持ってきた何着かの古着を、レスリーへと手渡す。彼女はそれを受け取って、何度もマテウスと見比べて逡巡しゅんじゅんしていたが、マテウスがいいから着替えろ、と一言伝えると、なんとか更衣室へと消えていった。


「ベルモスクの女使用人メイドとは……愛妾あいしょうかなんかですかい?」


「そんなんじゃない。それに、ああ見えて彼女は女使用人じゃないしな」


「へ、へぇ。そうですか」


 マテウスの語気が少し荒くなっているのに敏感に気付いて、店主はそれより話しかけようとはして来なかった。マテウス自身は特に感情を乗せたつもりはなかったのだが、まぁ静かなのはいい事だと、特に訂正しようとしなかった。


 しかし、愛妾という単語に反応して更衣室が少し揺れたので、この会話はレスリーには聞かれてしまっているだろう。彼女の名誉の事を思えば、訂正してやった方が良かったかも知れない。


 マテウスがそう思考している間にも、レスリーは更衣室の中で着替えを済ませていく。静かで小さな店内に響く、衣擦れの音……マテウスは何故か聞いてはいけない物のような気がして、少しだけ居心地が悪くなった。店主、なにか話せ。


「あ、あの……マテウス様。ど、どうでしょうか? その、この服は……」


 着替えを終えたレスリーが、恥ずかしげに頬を染めながらロングスカートを摘みあげて、マテウスの様子を伺ってくる。その様子に対してマテウスは、あの女使用人服の方が露出も高く、一般的に恥ずかしいだろう? と、思ったが、着慣れない服に戸惑っているという事で相殺そうさいされるのだろう、と口にしないでおいた。


 マテウスがその様子を観察していると、先に口を挟んできたのは、博物館に展示したくなるような、代表的な揉み手をしながら2人の間に割って入る、中年店主だった。


「いやいや、中々どうして。大変お似合いですよ、お嬢さん。それに古着ですが、元々の生地が上等だから、まだ1年は着回してももつでしょう」


 レスリーは、そんな言葉を突然店主に掛けられて、身体をビクッと震わせて驚き、マテウスと店主を戸惑ったようにオロオロと見比べている。


「慌てる事はない。まだ、他にも着てない服があるだろう? その中で1番君に合った物を選ぶといい。男物は訓練の時に使うだけから、多少傷んだモノでもいいぞ」


「は、はいっ。マテウス様がそう仰るなら……」


 そう言って暫くレスリーの試着会が続いた。レスリーは試着が終わる度にマテウスに意見を求めるように視線を求めるが、店主の多種多様なお世辞とは違い、マテウスの返答は変わらなかった。


 マテウスからすれば、着心地と動きやすさに重点を置くべきなので、尋ねられても答えが大して変わろう筈もない。しかしレスリーは、マテウスの返答を聞くたびに眉に皺を寄せてオロオロとするばかりで、結局全ての衣服の試着を終えるまで、自分で服を選ぶ事が出来なかった。


「あ、あの……マテウス様、どれを選べば、よろしいのですか?」


「何度も言っているだろう、君が好きに選べばいい」


 マテウスの半ば想像通りだったが、やはり彼の言葉にレスリーは困惑の極みであるかのような、表情を浮かべる。彼女は絶望的といえるほどに、こういった決断力がなかった。


 それを知っていながら、マテウスはレスリーに選ばせようとした。別に彼女に対して悪意がある訳ではなく、こういった小さな事でいいから選ばせてやりたかった。彼女の決断が否定されない事を、分からせてやりたかったのだ。


 何故マテウスはそんな事を必要とするのか? それは、親衛隊騎士として、いずれはもっと難しい決断が必要になってくる時があると考えているからである。その時、彼女が選ぶ事が出来ないままであれば、アイリーンは勿論、彼女自身にも死が迫るだろうからだ。


 しかし、いつまでたってもレスリーはマテウスの顔色を伺って、決断出来ずにいた。彼女にとっては、マテウスがどうすれば満足するかが問題であって、他の事は2の次であったからだ。自身が1番気に入った物を選ぶ……そのような事出来よう筈がない。けがれた自分がなにかを選ぶなど、欲するなど、あっていい筈がないと、そう考えていたのだ。


「そうだな、じゃあこうしよう。君が動きやすかったのはどれだ?」


「これと……これでしょうか」


「そうか。女物ではどれが良かった? これは動きやすさより、丈夫さや着心地で選べばいい」


「え、えっと……これと、これ……なんかが、良かったかと」


「よし、店主。これらを全部買おう。レスリー、君はこれに着替えるといい」


「えぇっ!? マ、マテウス様っ? そ、そんなに沢山、レスリーは困ります、そんな……」


 2人のそんなすれ違いによる膠着こうちゃくは、マテウスが1歩だけ歩みよる事で軟化する。レスリーはただ、マテウスの質問に答えていたつもりが、いつの間にか自分の購入したいものを選ばされていた事に気付いて、大変に慌てた。


 何度もマテウスに申し訳なくて断ろうと言葉を重ねるが、マテウスは早く着替えろの一点張りで、彼女と取り合おうとしなかった。というより、店主との商談に忙しいようだ。


 本当にこんな大層な衣服、自分が頂いてもいいのだろうか? レスリーはそんな想いに駆られながら、衣服を広げて見上げる。不承不承ではあるが、マテウスがそう望むのならと更衣室へ足を向けようとしていたその時だ。彼女の視界の隅に飾られていた、1着の衣服に視線を奪われてしまった。

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