揺らいでいく境にその2
―――数時間前。バルアーノ領、ヴェネット、ヴェネット市街側、緊急連絡通路前
「アイリ殿が異端者隔離居住区にいるのか?」
今より数時間前、ヴェネット市街側の緊急連絡通路へ向かう道すがらの2人の人影がそこにはあった。1つは子供のように小さなシルエット。もう1つは、女性にしては高く、男性にしては低い、そんなシルエットだ。
「ほぼ間違いなく」
「それを、パメラ殿は追わないのか?」
「それが出来るのであれば、既にこんな場所にいないでしょう」
小さなシルエット……エステル・アマーリアは、細長いシルエット……パメラ・リネカーの回答に、首を傾げた。胡乱な言い回しは、彼女の苦手のする所だからだ。
「よく分からん。普段のパメラ殿であれば、出来る出来ないに関わらず、アイリ殿の傍に馳せ参じていたではないか」
エステルの言葉はパメラの胸の内にスッと収まった。それこそが、今もパメラが望む姿だからだ。ただ同時に、それをエステルに言い当てられるとは、思いもよらなかった。
「私は、そのアイリ様から与えられた、御用命を守らなければなりません」
「それはフィオナ殿の護衛……の事か?」
建前上、アイリーンの失踪の理由は、パレード中の襲撃予告を受けたから、という事になっている。異例の事態が重なっている現状、正規の手順やら、過激な手順のものまで、様々なパレード中止要請を受けているゾフ家からすれば、この建前は警戒に値する、真実として受け止められた。
そして、王女殿下の影武者として白羽の矢が立ったのが、彼女の護衛であり、主催であるゾフ家出身のフィオナである。勿論その提案は、彼女を溺愛する父親シスモンド・ゾフ伯爵の反発を招いたのだが、最終的には彼の妻であるダリアの鶴の一声で、採用する運びになった。
曰く、近衛騎士としての役目を果たしながら、王女殿下としての立ち振る舞いを通して、フィオナ自身の所作を見直すいい機会だの云々……結局のところ、教養修練の出汁に使われたのである。
2人の反応の違いは、シスモンドとダリアの2人に、脅迫に対する危機感に大きな溝があった事に起因する。
パレードの最中は、騎士鎧<ルーカン>を始め、ヘルムート・オーウェン公爵配下の、黒羊毛騎士団や白狼騎士団の主力が警備の他に、パメラの護衛までも予定されている。これらの戦力相手に、いかほどの危険があろうか? と高を括っているのがダリアで、それでも娘の身に危険が迫るのでは? と、慎重な対応を取っているのがシスモンドである。
何処にでもある教育方針の違いなのだが、力関係の差、故にダリアの意見が通ってしまったので、今もフィオナはダリアに付きっきりの厳しい指導を受けて、悲鳴をあげている最中であった。
「だが、ヴィヴィアナ殿の伝言に従えば、私もフィオナ殿の護衛の筈だったが?」
「ですので、内密に事を運んでおります」
雨合羽のフードを下から少し摘まみ上げながら、パメラの表情を覗き見るエステル。当然、無表情な横顔からはなにも読み取れる筈もなく、再び前へと向き直る。
「私は騎士だ。主の命は守らなければならぬ」
「主の命を御守りするのも、騎士の役目の筈です」
「うーん……つまりだ。私は主の命に背く事が出来ないから、貴女の方が命に背いて、主を御守りしろ……という事か?」
パメラはなにも答えなかった。無表情のまま闇を見据え、緊急連絡通路の監視を掻い潜り、時には意識を奪って、前進を続ける。
そんな彼女をエステルは訝しがった。最初に口にした通り、彼女の内にあるパメラの印象は、もっと単純だったからだ。全てにおいてアイリーンを優先して動き、障害になりそうな相手は排除する……それのみで動く、人形のような存在。
エステルには今、そんなパメラが、普通の人のように、思い悩んでいるように見えた。
「そう解釈して頂いて、構いません」
だが同時に、パメラという人物が、その心情の全てを相手に語るような人ではないという事もエステルは知っていたので、その場では黙りこくってしまう。
パメラが緊急連絡通路の扉を開く。持参していた理力式の燭台を無言で手渡してきた彼女を前に、エステルは両腕を前に組みながら、うーん……と唸りながら、未だに考え込んでいた。
「あぁ、そうか……なにかむず痒いと思っていたのだが、結局のところ、パメラ殿がどうしたいのかが伝わって来ないからか」
納得したと同時に、ポンッと、右拳でもって自らの左手を打つエステル。続けて顔を上げて、パメラへと向き直る。
「……ですから、卿にはアイリ様を御守りして頂きたいと、申し上げております」
「違う。私にどうさせたいのではなく、パメラ殿自身がどうしたいのかが知りたいのだ。私は」
フードの下の子供のような無垢な表情。しかし、気を抜けば気圧されてしまいそうな、何者にも崩されぬ信念を感じさせる視線が、真っ直ぐパメラへと向けられていた。
「私の身は1つ。どの道を進もうと、少なからず騎士の戒律に触れるというならば、私はパメラ殿の力になりたい」
「それは、リネカーには必要のない感情です」
だがパメラは、その視線を涼し気に受け止めて、無感情に応えた。そして今は、彼女からそれ以上の言葉を引き出せるようには、見えなかった。
「そうか……やはり語ってはくれないか。アイリ殿とレスリー殿の件は、引き受けた。私からも2人に帰ってくるようにと、説得するとしよう。ただ……」
パメラから燭台を受け取りながら、ジッと彼女の瞳を見上げるエステル。
「次はパメラ殿。貴女の希望を聞かせてくれ。そして、私に日頃の感謝に報いる機会を与えて欲しい」
そう告げて、緊急連絡通路を使う為に、地下へと潜っていった。
ただ、パメラとエステルという、普段は力任せに物事を解決してしまう2人の計画だけあって、彼女達はその後の用意をなに1つとしてしていなかった。
レスリーとアイリーンの探索方法も用意していなかったし、通路内の見取り図を用意していなかったので普通に迷子になったし、ようやく見つけた初めての出入口も、上から施錠されていた為に開かなかったので、そこからの上陸を諦めざるを得なかったし、運悪く浸水に巻き込まれて、あっという間に下半身まで浸かってしまうし、ずっと使い続けた燭台が明滅を始めて力尽きそうにもなっていた。
最早、これまでの命なのか? と、エステルが真面目に覚悟しかけた所、偶然にも開いている出入口と、その周辺を探索する松明の灯りを目に止めて、おーいっ! と繰り返し叫びながら、無我夢中で燭台を振り回し、駆け寄っていくのだが、朧げな燭台の輝きから、異形と勘違いされて逃げられるという事態を招く。
ただ、そこから先は……
「エステルッ!? どうしてここに?」「えっ……エステル様っ?」「お前っ、どうしてこんな通路を使ってんだよっ」
なんとかアイリーンの耳に届いた声から、地上への生還と同時に、アイリーンとエステルとの合流まで果たしてしまうのは、エステル特有の悪運の良さといえばいいのか悪いのか。
「ふっふっふっ。勿論、2人を助けに来たのだっ!」
結果的になんとかなってしまうので、彼女が深く反省しない性格になってしまった……というのも、事実の1つであった。




