赤指の小鬼その5
「ウッソでしょ? どうしてよっ」
信じられない物を見るような光景でヴィヴィアナが声を上げた。彼女にとってマテウスは、身内にはともかく、見ず知らずの相手には興味を抱かず、冷徹な判断を下すイメージを勝手に持っていたからだ。
彼の動きに引きずられるように、援護するにあたって、異形ハンクとの射線上に障害物がない場所を探して、真紅の一閃を構えながら走り出すヴィヴィアナ。
一方マテウスは、真っ直ぐ異形ハンクへと駆け寄りながら、下位装具アクアフレッチャーを理力解放させた。水の塊が空気を裂き、唸りをあげて異形ハンクの肉体を貫く。
(あぁっ!? なんだ? 普通に使えるじゃないかっ?)
確かめる為に理力解放をしてみただけのマテウスだったが、想定外の事態に奇妙な感覚に疑問を抱きつつも、これ幸いにと2つ目のアクアフレッチャーまでも拾い上げ、同時に理力解放。一定の距離を保つように円を描きながら移動して、次々に水塊を放ち続けた。
だが、たった1人で出せる火力では異形ハンクを抑え込むには至らずに、異形ハンクからのマテウスからの攻撃を無視するかのような猛進でもって、反撃に移った。
下半身の黒い体毛の中に隠れた、細長く鋭い脚が、マテウスの身体を貫かんとするが、まるでその動きを事前に予測していたかのような滑らかな動きで、僅かに後退しただけで回避するマテウス。
また、回避と同時に伸び切った異形ハンクの細足をへし折らんと、アクアフレッチャーを振り下ろして、柄尻で直接叩き付けるが、そんな使用用途を想定していないアクアフレッチャーの方が、マテウスの腕力に根を上げて、粉々になって砕け散った。
「マテ……ウス」
だが、それでもマテウスが意図した駆け引きには応じたらしく、異形ハンクは目の前に転がる後は1口で丸呑みにするだけ、あるいはただ駆け抜けるだけで圧し潰す事も出来る、逃げ遅れた隊員達ではなく、マテウスと意識を囚われた。
まるで、餌を前にした馬のように引きずられて、彼を追い回す。
自然界ではおよそ起こり得なさそうな出来事ではあるが、今までの異形ハンクの言動から、標的の優先順位が、自身へと強力な紐付けがなされていると、仮定して良さそうだとマテウスは判断した。
更には、異形に成り果ててなお、ハンクの意思が残っていると仮定するとして、一体どうやってハンクの意思に顔を合わせた事もない自身の事を紐付けする事が出来たのか? マテウスの内に疑問は残るものの、被害を拡大させない為の手段として、利用するだけ利用させてもらおうと、思考を切り離す。
「ソイツを頼むっ」
負傷して動けなくなった隊員達が、異形ハンクの死角に入った段階で、マテウスは誰かに向けてそう声を掛けた。彼自身は異形ハンクを引き付けるのに手一杯なので、誰がどう助けるかまでは、気を回す余裕がなかったのだ。
体毛の中に隠れている、幾つもの脚を使った刺突の他に、突然口の端から広範囲に吐き掛けられる、浴びると只では済まなそうな粘液などを、危なげなく回避して見せるが、期待していた特殊部隊からの火力支援が得られないのであれば、給水施設付近での攻防と同じく、ジリ貧でしかない。
「おいっ、コイツより火力の出るっ……」
マテウスが脚を止めた途端、異形ハンクがマテウスに喰らいつこうとする。大きく後退したマテウスは、娼館を背負ってしまい、それ以上の後退を封じられてしまう。
隙を突いて左右のどちらかに逃げるか、いっそ娼館の中に避難してやり過ごすか、そんな選択に迫られていたマテウスであったが、異形ハンクの下半身に赤い矢が突き刺さるのを切っ掛けに、矢が飛来して来た方角とは逆に向かって走り出す。
(どうしてよっ!? 狙いはともかく、なんで威力まで落ちてっ……こんなんじゃ足止めにもなんないじゃんっ)
その赤い矢を放ったヴィヴィアナはといえば、次なる一矢の為に、理力倉の入れ替えを行っていた。マテウスの危機を肌で感じられる距離なだけに、気が急いてしまうのを抑えるのに苦労を要しているようだ。
いざ、理力倉の装填を終えて、再び矢を構えると、今度は小型異形を討伐し終えたであろう隊員達がマテウスのフォローに入ろうと、近接系装具を手に異形ハンクの包囲に入っていた。それを見た瞬間、彼女の手は震え、狙いは的から遠のいていく。
真紅の一閃を使って異形ハンクにダメージを負わせるのなら、反動が強く、狙いが反れやすいというデメリットを差し置いても、最大火力まで引き上げて、狙いをハンクの形を残す、本体に反して小さな人体部分一点に絞る必要がある。
騎士団寮を襲撃されたあの夜、エステルと肩を並べた混戦の中、異形ハンクとは比べ物にならない速さで襲い掛かって来る騎士鎧<トリスタン>を相手に、何度も矢を当てたヴィヴィアナが、本来の力を発揮すれば、容易に可能な一矢だ。
(大丈夫……大丈夫……出来る、筈っ)
深呼吸を繰り返し、雨で視界が滲むのを、何度も何度も振り払いながら、覚悟をもって放った矢は、やはりといっては酷だが、僅かに右に反れて外れていく。しかも、外れるだけならまだしも、不幸にも再びヴィヴィアナの視界に姿を現したマテウスの脳天を真正面から捕えてしまう。
「嘘っ、やだっ! オジサンッ!!」
衝撃に身体を浮かせたマテウスが、背中から地面へと倒れて、ヴィヴィアナの視界から姿を消した。その直前の光景……正面から額を射抜いてしまったように見えた事の動揺から、真紅の一閃を落とし、悲鳴をあげながら駆け寄ろうとするが、それに気づいた隊員達が彼女を止めようとする。
「やめなさいっ。今は危険だっ!」「近づくんじゃないっ、巻き込まれるぞっ!」
「離してっ。離してよっ! オジサンがっ!」
「今だっ。やれっ!」
ヴィヴィアナが隊員達を掻い潜って異形ハンクの横を駆け抜けようとしたその瞬間、彼女は爆発に巻き込まれた。どうやら近接武器を持って近づいていた隊員達が、異形ハンクの体皮に仕掛けた爆発物を、理力解放させたようだ。
「大丈夫かっ!?」
「触らないでっ!」
両肩を掴まれて、身体を起こされたヴィヴィアナは、反射的にその両手を振り払った。強い耳鳴りにバランスを崩して再び倒れそうになるが、なんとか踏み止まって立ち止まる。
「オジサンッ。オジサンッ! ねぇ……ねぇっ、マテウスッ! 返事をしてっ!」
舞い上がった土埃を激しい雨が打ち付ける。間もなく周囲を舞っていた土埃が消えて、肉がズタズタに引き裂かれた異形ハンクが姿を現すが、ヴィヴィアナの叫びに応える姿は、何処にも表れなかった。