濁った才能その5
「ねぇ、止めときなってっ。アンタの怪我、まだ治ってないんだよっ?」
マテウスは、自身が丸3日は傷に倒れていた事。未だにレスリーが戻って来ない事。アイリーンがパレードへの不参加を表明し、昨晩から姿を消した事。パレードが明日に差し迫っていて、それをフィナーレに技術交流会の幕が下ろされる事、等々……自らが倒れていた間の情報を引き出していった。
そうして話が途切れた直後、彼は急に立ち上がると再び制服へ着替え始めたのである。
「悠長に回復を待っている場合でもないだろう。食事も終えたし、君のお陰で大分マシになった」
「私は、アンタに無茶をさせる為に包帯を巻き直したんじゃないから。それに、一体どうやってアイリを探すつもり?」
「聞いたら素直に教えてくれるのか?」
「そんなのっ、これから無茶しようとする奴に、教えるわけないんじゃん」
「だろうな。だから1人で探すさ。それに当てがない訳じゃない。レスリーを探しに行ったというなら、おそらく異端者隔離居住区のどこかだろう」
「んんっ……でもっ、異端者隔離居住区だって結構広いし、そこを1人で探そうだなんて……」
「結構広い? そうでもないさ。それに、異端者隔離居住区内での人探しなら、経験済みだ」
涼しい顔でそう語るマテウスに、探し出された側のヴィヴィアナは、ぐぅっ……と歯噛みをしてしまう。反論が思いつかない間に、マテウスは着替えを終えて勝手に病室を後にしようとするが、彼女はそれでも逃がすまいと、手を掴んで無理矢理に引き留めた。
「待って。アイリを……レスリーを見つけたとして、アンタなんて言葉を掛けるつもりなの?」
「……まずは彼女達の安全を確保してからでも、遅くない筈だ」
「やっぱりダメ。今のアンタを2人には会わせらんない。このまま顔を合わせたって、同じ事の繰り返しになるだけ。また2人を傷付けて、悲しませるだけだし」
「じゃあどうしろって言うんだっ?」
マテウスにしては珍しく、声を少し荒げて、苛立たし気にヴィヴィアナの手を振り払った。
「あそこが危険な場所だっていうのは、君が1番良く分かっている筈だ。そんな場所にアイリ1人で行かせて、そのままにしておけっていうのか? レスリーの事にしたってそうだ。このまま騎士の世界から離れていくというなら、それが彼女にとって幸せに近づく為の、最良の選択だろう?」
「そうだね、アンタは正しいよ。今のアイリが1人で出歩くには、異端者隔離居住区は危ない所だから、助けに行く。今のレスリーが騎士としてやっていくのは、難しいと思うから諦めさせる。そうやってさ……アンタはそうやって最良の選択? って奴を、これからも選んでいくんだろうね。でもさっ、そうやって選んできた結果どうだったの? 本当にいい結果ばっかりだった?」
「それは論点のすり替えだ。それに、結果が伴わなかったとして、最良の選択をしない事への理由にはならない」
「なるのっ。なんで分かんないの? 決闘の事にしたってそうっ。アンタが理由があってわざと負けたのは、なんとなく分かるよ。じゃあさっ、アンタが本当に欲しかった結果ってなに? あの決闘であんな負け方して、本当に欲しかった結果に近づけるって、本っ気で思ってたの?」
ヴィヴィアナの指摘に、マテウスは気付かされる。この国に必要な人材を守る事が出来るならと、勝敗に関わらずどうせ教会に拘束されるならと、他勢力の庇護下にある内に、彼女達が自身を頼らずにアイリーンの護衛を成し遂げ、少しでも自信になればと……
そんなもっともらしい理由を並べてはいたが、彼にはそうするより他に選択がなかっただけで、なにか明確な先への展望があっての、選択ではなかったという事に。
「確かに、今のアイリが1人で出歩くには、異端者隔離居住区は危ない所だよ? でもこれから先っ。これから未来のアイリが望む幸せには、今は危険な橋を渡ってでも、あの子1人でレスリーを迎えに行くのが、必要な事なのっ」
最良の選択に、最良の結果が約束されている訳ではない。大切なのは、最良の結果を見失わずにいる事。そして、目前の結果に捕らわれず、未来を見据えた選択をし、歩みを続ける事が必要なのだ。
「今のあの子の中には、幸せの形が……望む未来の姿が、しっかりとあった。じゃあさ、レスリーは? アンタはさっき、レスリーにとっての幸せって口にしたよね? 確かに、今のレスリーに騎士は難しいし、辛い事の方が多いかもしれない。でも先の……未来のレスリーが望んでいる、幸せってなに? あの子の為って口にするなら、そこまで見て言ってる?」
マテウスはすぐに答えを返す事は出来なかった。未来のレスリーが望んでいる幸せなんて、分かろう筈もない。未来の自分がどんな幸せを望んでいるかすら、彼には分からないのだから。
最初にはあった筈だった。もっと若々しい時の自分になら、望む幸福というものがあった筈だ……そう振り返ってみても、彼は思い出せなかった。死と隣り合わせの時間が、繰り返し迫られる選択の数々が、大きな力に流されるだけの日々が……マテウスからそういったものを奪い取ったのである。
マテウスは、悔いのない最良の選択を選び続けてきた。今、振り返っても、ああするしかなかったと、改めて思う。だが、そうでありながら、こんなにも大切なものを失い続けて来た理由が、ヴィヴィアナの言葉の中にあったのではないか? と、声を失った。
「……答えられないんでしょ? 分かるよ。そうやって無茶ばっかしようとしてる人には多分、答えられないよ」
そんな事はない……そうマテウスは、喉元まで出かかった言葉を声にしようとしたが、先に別の声に割って入られる。
「マテウスさんっ、いますか?」
「シンディーか。悪いが今は取り込み中だ」
「取り込み中すいません。病み上がりなのも分かっていますっ。でも、来てくださいっ」
「なんだ? そんなに焦って、なにかあったのか?」
「ハンク・パーソンズを捕えたんです」
N&Pの元取締役にして、王女誘拐未遂事件、献金不正事件の首謀者。今回のニュートン博士失踪事件でも重要人物と目されている男。その名前を聞いて、ようやくマテウスは視線をヴィヴィアナからシンディーへと移した。
「そいつは本物か? どうやって捕まえた?」
「今朝、運河の船着き場に流れ着いていた彼を、偶然通りかかった住民が、遺体と勘違いして治安局に届けを出して……当初は意識を失っていた彼に、治療を施そうとしていたんですが、何故か治癒系理力解放を一切受け付けなくてっ。それで、対応に窮していた所、ついさっき急に意識を取り戻したと思ったら、今度は正気を失っていて、うわ言のように貴方の名前を呼んでいるんです」
「そりゃあ……迷惑な話だな」
「とにかく来てください。身分証がないから、本人確認もまだ取れてなくて……というか、本当に様子がおかしいんですっ」
青い顔をしながら必死な形相のシンディーに、嘘の気配はない。しかし、マテウスは渋い表情を浮かべた。
「俺もハンクの顔を直接見た事はないし、今はそれどころじゃないんだが」
「例の決闘に負けた貴方は、一応教会の支配下に置かれているんですよっ? 今回は色んな事を大目に見てるんです。今ぐらい、助けてくれたっていいじゃないですかっ」
泣きが入った声で正論で告げられては、マテウスも断り辛く、ヴィヴィアナの顔を窺いみる。ヴィヴィアナの方も、たちまちは話の続きをする気はないようだった。
「いいんじゃない? ただ、アンタが行くんだったら、私も行くよ? 無茶しないように見張っとく」
また流されているな……と、良くない予兆を感じながらも、マテウスは重い一呼吸を吐き出す。
「分かった。すぐに準備をしよう」