クレシオンの猟犬その2
「おい、どういうつもりだ? 異端審問官なんぞ連れて来て……俺は随分と、お前に恨まれていたようだな?」
「マテウスさんに対して、そんなつもりはないですよっ。大体、仕方ないじゃないですか。異端審問官相手に逆らったらどうなるか……マテウスさんだって知っているでしょう?」
「まぁそれはそうなんだが……」
クレシオン教会、異端審問局、異端審問官。クレシオン教の教義に背く全てを、探し出す事を生業とする者達の事だ。1級異端審問官ともなれば、その場で対象を異端者として認定する権限すら与えられており、もし、なにかの間違いで彼女等に異端者として認定されてしまうと、その瞬間から世界中にその威光を轟かせる、クレシオン教会に命を狙われ続ける日々が始まる。万が一にでも、関わり合いになりたくない相手だ。
肩を組んだまま声を潜めて話していた2人は、チラリと覗き見るようにシンディーへと視線を送る。その時、何故か彼女もジッと2人に対して熱い眼差しを送っていたので、2人の視線と彼女の視線が絡み合うが、すぐにお互い気まずそうに視線を逸らした。
「……なにか、こっちを怪しんでいないか?」
「そんな筈はないんですが……そうだ。そんな事よりも、これが私達のこれまでの捜査資料です」
「ありがたい。貰っておく」
「いいえ、これぐらいの事は。それと、昨夜頼まれた件にも、結果が出ましたよ」
「早かったな。教えてくれるか?」
「はい。奴等が自決に使った毒は、アオマダラグモの毒で間違いありません」
「……それは本当か?」
「こんな事で嘘は吐きません。元々アオマダラグモの毒といえば、カナーンの構成員が自決に使う事の多い毒です。そんなに驚く内容ではないですよ」
「そうだな。分かった。これで……」
そこから先を言葉にしようとしたマテウスが、後ろの気配に気付いて背後を振り返ると、少し離れていた場所に立っていた筈のシンディーが、すぐ後ろにまで迫っていた事に声を失って、ダグと共にビグッと体を震わせながら後退する。
しかも、シンディーの顔はやや上気しており、だらしなく開きっぱなしになった口から涎を垂らしながら、ブツブツと何事か呟いているのだ。
「うひひっ、ガチムチのマッチョが肩を組み合って、そのままくんずほぐれつ……」
マテウスは、シンディーから距離を離しながら片手を翳して口元を隠し、声を潜めながらダグへと耳打ちする
「……おい。彼女、大丈夫なのか?」
「さ、さぁ? とにかく、私はこれで失礼します」
なにやら不穏な気配を感じ取ったのだろう。流石、あの戦争を生き残った百人長である。そそくさと撤退する姿には、迷いがない。
(クソッ、1人で逃げやがった……)
本来ならマテウスも、ダグと一緒にこの面倒事から逃げ出したい所ではあったが、それをすると、より不味い事になるのが分かっているので、グッと堪えてダグを見送る。そしてマテウスが、改めてシンディーへと振り返ると、彼女の顔は、まるでトランスでもしているかのような有様だった。
マテウスは、そんな彼女の表情に少し怯えながら、慎重に言葉を選んで声を掛ける。
「待たせたな。話は終わったんだが……大丈夫か?」
「ふぇっ!? んっ、ケホッ! ケホッ、ゴホンッ……だ、大丈夫ですよ?」
「……そうは見えないが」
「私の事はいいんです。それより、マテウスさん。貴方とダグさんの関係ですが……」
「関係といわれてもな。俺は覚えていないんだが、彼と俺は以前、同じ敵を相手に戦った事がある位で……」
「同じ戦場で肩を並べて戦いを共にする2人。互いの背中を守り、時に対立し、目覚めていくアツい友情……そうですよねっ?」
「いや、人の話を聞いていたのか? 俺はダグの事を覚えて……」
「やがて時間を経て芽生えていく、アツい友情とは違う特別な感情……そうですよねっ!?」
「芽生えねーから。大体、君の所の教義だと、同性愛は異端じゃなかったか?」
「あ、当たり前ですっ! な、なな、なにをうらやま……けしからん事を言い出すんですかっ! 捕まえますよっ!?」
「君の格好でその台詞は、冗談にならんからやめてくれ。それと、鼻血が出ているぞ?」
何故か1人で興奮しているシンディーが、落ち着きを取り戻すのを、暫くの間、待たされる事になるマテウス。同時になにに彼女が興奮しているか……その理由については、一生理解したくもないなと、心の内で思った。
そうして、シンディーの興奮と鼻血が治まった後、マテウスは彼女を応接間へと案内した。といっても、まだこの兵舎が使われていた時には、なんの部屋だったのか分からない部屋へ、玄関口に近いからとただそれだけの理由で、応接用の家具を並べただけの簡易な部屋だ。
そしてレスリーは(勿論エステルも)、モニカの下で授業中なので、シンディーに出す為の紅茶を淹れるのもマテウスの役目だ。まぁ、例えレスリーがいたとしても、敬虔なクレシオン教徒の彼女が、レスリーの淹れる紅茶を口に入れるとは、到底思えないが。
「ありがとうございます。早速ですが、本題に入らして貰ってよろしいですか?」
マテウスが紅茶を差し出して、向かい合ってテーブルに腰掛けると、シンディーはいきなり本題を切り出してきた。話が早くて助かる。マテウスもこの後、モニカに用件が合ったので早めに終わらせたい所だった。
「どうぞ。といっても、俺も大して期待に応えられないと思うがな……」
「知っている事だけで結構です。まずは、カール邸でなにが起こったのか、その詳細を教えてください」
シンディーにそう尋ねられたマテウスは、これまでの経緯を素直に吐露した。それによって、これからの捜査に横槍を入れて来そうな相手に対して、情報的な優位を失う事にはなるが、それだけの為に異端審問官に隠し立てするようなリスクを、負いたくなかったからだ。まぁ辻褄さえ合わせれば、全てを教える道理はないよな? とも、考えてはいたのだが。
「カナーン……やはり、まだこの街に潜伏していたのですね」
マテウスの昨日の経緯を聞き終えて、そう零すシンディー。その様子から彼女にとって、カナーンがこの街を潜伏先にしているのは、予想の範囲内だったようだ。それを予想しておいて、異端認定されている教団カナーンを、異端審問官である彼女が野放しにし続ける道理がない。つまり、彼女はカナーンの足取りを、今も追えていないのである。
「俺がカール邸に行こうと決めたのは、その日の昼だ。半日であれだけの人数と装備を揃えて、事前に待ち伏せが出来るという事は、奴等はずっとこの街に潜伏していたと考えていい筈だ。だが、そうすると……可笑しいと思わないか?」
「そうですね。今、この街は治安局だけではなく、私達、異端審問局もカナーンを追って同時に目を光らせている状態。そんな中で、あれだけの人数が潜伏し続けていたなんて……考えられない事です」
「奴等に手を貸している者がいる……と、考えるのが普通だよな。そこでだ、これはさっきダグに貰った……」
ダグから貰った捜査資料をテーブルの上に広げようとしたマテウス。その時、シンディーの眼鏡越しの瞳が、ダグという単語に反応して輝く。
「ゴクリッ……つまりこれは、ダグさんからマテウスさんへのラブレター?」
「なんでそうなる。そんな理由ない事ぐらい、話の流れで分かるだろうに。これは捜査資料だよ。内容を確認してくれないか?」
「ふんっ……捜査資料でしたら、つい先日、私も治安局で同じモノを貰って、目を通した後ですが?」
口の端から零れかけていた涎を服の袖で拭い、不満気は態度で捜査資料を手に取るシンディー。特に目新しい情報があった訳でもないようで、すぐにその視線がマテウスへと戻る。
「そもそも、カールはなんで殺されたと思う?」
「それはやはり、我々に足取りを掴ませないための口封じ……」
「と、考えたくなるが、そうなると色々と疑問が残らないか? 足取りを掴ませない為なら、何故、奴等は遺体をそのままにしたのか。奴等のシンボルまで堂々と壁に残したのは何故だ? そもそもカールは、自ら身を隠す為の準備をしていた。あんな凶行に出た方が、注目を浴びる」
「確かに、それは不可解だとは思っていました」
「俺はこのカール夫妻殺害の件、カナーンの雇い主に対する報復じゃないかと考えている」
「報復、ですか?」
異端認定されているカナーンに資金を提供するなど、異端者に協力する行為は、クレシオン教会に対する重大な背信行為で、異端認定は免れられない。つまり、カナーンが教会に囚われれば、雇い主も真っ当な人生に終わりを迎える事になるのだ。
十分な成果を出せなかった者達に対して、報酬を支払うギリはないが、未遂という結果に終わったとはいえ、エイブラム劇場前で、カナーンは多くの犠牲を払っている。それに対して雇い主から十分な見返りが支払われなかった場合、彼等の不満が形になって現れるのは至極自然な流れといえた。
「それなら、あれだけ潤沢な装備を持ち合わせていながら、カール邸から金品を全て持ち去るような行為に及んだのにも、説明が着きますね。カナーンを劇場内に招き入れる為に、一部の警備を解かせたカールも、それなりの報酬を握らされていた筈……それを狙ったという事ですか」
カール邸の惨状が、まるで金品目的の強盗殺人事件のような有り様だったのは、捜査資料から読み取れる。シンディーはその凶行を不心得な異端者のする事だからと、読み流していたのだが、本当に金品こそが彼等の狙いだったのだとマテウスに説明されて、その推論に納得する。
「そして、もう1人。君も知らない、捜査資料にも乗っていない、カナーンの犠牲者であろう者が存在する」
「……誰の事ですか?」
シンディーにそう問われて、マテウスはジェロームの名前を上げた。そして彼が、エイブラム劇場内で王女殿下を1人にする為に、策を弄した事。マテウスとの決闘裁判後に、カナーンと縁の深い毒。アオマダラグモの毒が塗られた吹き矢で殺害された事を伝える。
「どちらも初耳です」
「そうだろうな。この事実は、俺と……俺が直接報告を上げる女王陛下しか知らない事だ。外交にも関わって来るから、他言無用で頼む」
そう言ってマテウスは女王特権を指し示した。彼はゼノヴィアの名前を出す事を少しだけ躊躇ったが、女王特権を握っている以上、誰の指示で動いているのかは明白なので、隠す事を止めた。勿論、政治的な内情までは、口を滑らせなかったが。
「しかし、もしそれが本当なら、背後にいる者はかなり大物だという事になりますね……」
「もし本当なら……な。色々話したがこれはあくまで俺の推論だ。正解だとは限らない。だが、これからの捜査の指針にはなる。そうだろう?」
シンディーが、コクリと小さく頷く。
「だから、ここからは提案なんだが……俺はこれから、ジェロームの周囲やアオマダラグモの毒の入手経路辺りから洗ってみようと思う。君は、装具の入手経路や金の流れを追って欲しい。そして互いに、情報提供するというのはどうだろう?」
装具に代表される理力付与道具の全ては、輸入、輸出、その生産に至るまでクレシオン教会によって管理されている。だから、今回のように装具を大量に使うような事件であれば、管理記録を照らし合わせれば、必ず何処かに綻びが生じる筈なのだ。教会に所属するシンディーなら、その捜査は容易だろう。だがそれに対して、マテウスの持つ女王特権では、権力の種類が違うので、踏み入るのが難しいのだ。
一方、王女殿下の身辺警護を務めていたジェロームの素性や、毒の経路を追うような調査であれば、王女特権を有し、組織を気にせずに身軽に動けるマテウスの方が、捜査が容易になる。
つまりマテウスは、同じ方針の下にそれぞれの得意な分野で捜査をし、互いに情報を共有する事で、この事件を解決しようと、提案しているのである。
「君ほど敬虔な神の信徒ではないが、俺も理力の光の恩恵に対しては割と感謝している方でな。同じ異端者を追う者として、俺達は協力出来ると思うのだが……どうだ?」
一見、互いの利益を追求する為の、真っ当な取り引き。しかし、マテウスの心にもないであろう胡散臭い台詞が、まるで悪魔の囁きのようで、シンディーは眉を顰めて、彼に対して疑いの眼差しを向けながら、考え込んでしまった。