然るべき棲家へその7
「さぁ、レスリーちゃん。次はこれを食べるといい。元気が出るぞ?」「あっ、あり……」
「どけどけっ、レスリーちゃーん? そいつのお代はオジサンが出したんだぞ? オジサンがっ。どうだい? 喉は乾かないかい? 次は新しい飲み物を持ってこようか?」「あ、その……」
「ほーいっ、飲み物お待ち~。お前らどけよっ……ほら、レスリーちゃんっ。お兄さんが持ってきた、特製ミルクだ。た~んとおあがり?」「えっ、あっ……」
「はいはいはい、気の利かない糞ったれどもの代わりに俺がレスリーちゃんの為にフカフカのタオルを用意してきたぞ? ほら、これで体を拭くといい。濡れたレスリーちゃんは勿論可愛いけど、風邪を引いたら大変だからねぇ? それとも俺が拭いてあげようかっ?」「いや、そのっ……」
時刻はお昼時。酒場の中は昼食にありつこうと集まった職人達でごった返していた。男達の大半は、先日の夜に復興作業を僅かの間だけ手伝っただけのレスリーの顔を覚えていたようで、そんな彼女が濡れた際どいメイド衣装姿で現れたものだから、これを機に少しでもお近づきになろうと殺到したのである。
「あっ、みっ、皆さま……その、あっ、ありがとうございます」
甲斐甲斐しい接待も、来訪を歓迎されるのも初めてなレスリーは、大いに戸惑う。彼女にとっては比較的話しかけやすかった、この大衆酒場の看板娘であるアーシアの姿が見えなのも、戸惑いの要因の1つだ。
だが同時に、ここまで露骨に接待してもらえば、時間の経過と共に鈍い彼女にも、自身が受け入れられているのだと次第に伝わってこようものだ。そんな安心が、レスリーにホッとした笑顔を浮かべさせる。
「「おぉ~っ! レスリーちゃん可愛いよ、レスリーちゃんっ」」
「あぁ、鬱陶しいっ。あぁ~、つまんねぇっ」
そんな状況が気に入らないのが、レスリーと向かい合って座っているラウロだ。彼はこれを機会にレスリーを本気で口説こうと、まだ昼時で閑古鳥が鳴いている筈の大衆酒場へ招いたというのに、既に多くの職人達の姿があって、期待を大きく裏切られたのである。
「おいおいどうした感じ悪いなぁ、ラウロ? なぁレスリーちゃん。感じ悪いよなぁ?」
「そ、そのっ……レスリーのせっ、所為ですか? でっ、ですよね? あっ、すいません、すいません」
「ノンノンノンッ、ちがっ、違うからっ! 全然っ、全くっ! これっっっぽっちもレスリーの所為じゃねぇからっ! 俺はレスリーちゃんと2人きりの食事をしたかったというか……」
「おいおい、スケベ野郎。そうやって1人で抜け駆けして、俺達のレスリーちゃんになにするつもりだったんだぁ? あぁ?」
「あぁ~っ! うぜぇっ! そもそも、なんでお前等、こんな時間にここで飲んでんだよっ」
ラウロの疑問はもっともで、大衆酒場はベルモスク人向けである事も相俟って格安の値段設定ではあるものの、異端者隔離居住区労働者の薄給で、ランチの時間帯から飲み食い出来る程には安くない。
だから、昼間の客入りはガラガラで、この間に店の準備や仕込みを済ませるのが通例なのだが、何故か今日に限っては、夜の盛況を再現するかのような賑わいを見せているのである。
「見ての通りさ。今日だって、緊急連絡通路と地下排水路の作業が残っていたんだけど、急に振り出したこの雨の所為で一時中断だよ」
「それに緊急連絡通路の方は昨日の件で一部封鎖してっからたいした……昨日の件っていえば、エステルはどうなんだ? 大丈夫なのかっ?」
「えっ……あのっ、えすっ……エステル様なら、今は、その……王女殿下の護衛をしっ、してる筈……です」
「王女殿下?」「誰か今の王女殿下の名前って知ってるか?」「いや、知らねぇ」「やっぱ、美人なのか?」「でもあのエステルが護衛をするくらいだから、アイツよりチンチクリンのガキんちょだろ?」「確かにー」
一度誰かが口を開けば、皆が一斉に口を開いて思い思いの言葉を発するので、レスリーが口を挟む隙などあろう筈もない。口を開く相手の顔を見る事も出来ず、黙って俯いている。
「エステルっていやぁ、アイツは大した奴だなぁ」「そうそう、今度会ったらアイツに伝えといてやってくれよ。フランコの奴が助かったぞって」「レスリーちゃんも聞いてるんだろ? なにがあったかとか」
「えっ……いやっ、その……エステル、様? いっ、一体なんの? その……」
「なんだぁ? 聞いてねぇのか。実はな……」
そこで聞かされる内容は、レスリーにとっては初めての出来事であった。昨日、エステルが地下排水路の作業を手伝っていた際、ソーンに助けを求められて、ラウロと一緒に救い出した異形に丸呑みにされていた男の名前、フランコ。
そのフランコを、異形の腹を掻っ捌いて助け出した後、体中が白い体液に塗れて異臭を放っていた彼は、心肺停止の状態にまで陥っていた。そんな彼に適切な人工呼吸を与えて息を吹き返させ、医者の下まで担いで走ったのがエステルである。
「今はまだ、神経毒が抜けてなくて暫く動けないみたいだけどよ……でも治療すれば、大した後遺症も残らないらしいぜ?」
「確かにまぁ、凄かったよなぁ。人工呼吸の手際もそうなんだけど……あれは、真似出来ねぇよ」
ラウロがその日の光景を思い浮かべようと天井を見上げる。フランコに纏わりつく白い体液を素手で拭い取り、彼の咥内にまで入り込んだそれを直接口を使って何度も吸い出しては吐き出す事に、なんの躊躇いも見せない姿に、彼女には敵わないと思い知らされたのだ。
「そもそもアイツ、8の字結びも出来ないくらい不器用なのに、よく人工呼吸とか出来たよな」
「確かにー」
エステルが如何に不器用かで盛り上がっている最中、レスリーはマテウスに教えてもらった応急処置の中に、人工呼吸の項目が入っていた事を思い出した。アイリーンになにかがあった場合に必要だからと、赤鳳騎士団の面々は皆、履修済みだ。
その時も、全ての技術を1番時間を要さず習得したのはレスリーで、その逆がエステルだった。その間ずっとマテウスがつきっ切りの補習を繰り返したのを、羨んでいたのでよく覚えている。そして今も……
「なんにせよ、アイツの事を見直したぜ」「馬鹿で面白いのは変わんねぇけどなっ」「エウレシア人にしとくのは勿体無いぜ」「次はいつ来るっつってた?」「今度、飯ぐらい奢ってやろうぜ」
いつの間にか話題の中心はレスリーからエステルへと移っていた。それはレスリーにはどうする事も出来ない流れで……ただ僅かに、自分にだって出来るのに……と、後ろ暗い感情を抱きかけていたのだが、遠くで鳴らされる聞き覚えのある鐘の音に、ハッと顔を上げる。
「この音……また跳ね橋があがるのか?」「増水、はやくね?」「でも、もう地下排水路の木の根っこみたいな詰まりは解消したからなぁ……」「絡まっててどうしょうもねぇから、鉄柵ごと除去したって聞いたけど」
職人達が口々に不安を零していると、突然入り口から入ってきた男によって招集が掛かる。アルコールが入っている者が殆どだが、皆が想定はしていたようで、仕方がないと椅子から腰を上げ始めた。
「どうする? レスリーちゃん」
「……どうってっ……」
異端者隔離居住区にいては閉じ込められてしまうのだ。選択の余地などないではないか……突然ラウロに問いかけられたレスリーは、揺らいだ眼差しでそう訴えかける。
「帰りたいなら外まで送るぜ。でももし……レスリーちゃんが残って手伝ったりなんかしたら、アイツ等すっげー喜ぶんじゃねぇのかな?」
「…………ほっ、本当……ですか?」
「マジマジ大マジ。見ただろ? 最初の歓迎ムード。ここならレスリーちゃんを悪く言う奴なんていねぇし、少しでもいいとこ見せりゃあ皆が君の事に夢中になるぜ? それこそ……」
そこで一拍の間を置いて、顔と顔を少し寄せて、他の者には聞こえないように声を潜める。
「さっきのエステルさん、みたいにさ」
レスリーは反射的に身を竦めた。そんな訳がないのに、心の内に秘めていた後ろ暗い感情を、言い当てられたかのように感じたのだ。そうこうしている内にも、まるで答えを急かすように警鐘は鳴り続ける。
しかし、急かされるまでもなくレスリーの心は既に決まっていた。もう傷つきたくない……人間なら誰しもが持ち得る感情だ。そしてマテウスだってそう口にしたのだ。別の道を進むべきだと。
彼女は喉元まで出かかっていた答えを、ラウロへと伝えた。




