欠片のひとつひとつをその1
―――数時間後。バルアーノ領、ヴェネット、治安局ヴェネット本部、留置所
マテウスが留置所へ拘留されて、数時間。時刻は日没に差し掛かろうかという時間なのだが、日中から姿を見せていた厚い雲が空を覆い隠してしまった為、時間の感覚は捉えにくく、治安局ヴェネット本部周辺は、既に真夜中と大差のない闇と静けさに包まれていた。
留置所の一室に捕らわれとなったマテウスはそんな変化に気づいた風もなく、優雅な夕食を取っていた。彼自身の要望で、治安局にランチの残りを使ったあり合わせを頼んで作らせたのである。
拘留されている間はなにも出来る事はないので、忙しくなる前にせめて栄養補給でもしておこうという、彼らしい厚かましさと合理性に富んだ時間の使い方といえよう。
実際、食事を終えた直後から、拘留された身でありながら、マテウスの周辺は俄かに騒がしくなっていく。そして1人目の訪問者は、彼にとっても意外な人物であった。
「面会の名を聞いて耳を疑ったが……まさか本当にこんなところで、アンタと顔を合わせる事になるとは思わなかったぜ」
「フハハハッ。会場でワシと目が合ったというのに無視しよるから、こがぁな事になるのだ。どれ……よっと」
入室する際に両肩が扉の枠につっかえて入れなかったので、身体を小さく縮こまらせながら、まるで潜るような姿勢になって部屋へと入ってくる熊を彷彿とさせる大男。常識外れの大きさに、面会中の監視員は声を失って、顎が外れんばかりにあんぐりと口を開きっぱなしのまま、再び身体を起こした男を視線で追う。
「よせよせ。アンタにまで天罰なんてものを持ち出されたら、いよいよ神に祈りたくなる」
「祈りの1つもマトモに覚えようとせんかった、不信心者がなにを言うるか。ふぅむ……それにしても狭いな」
「俺も変わったって事だ。アンタの身体のサイズは相変わらずのようだがな、ラングレー卿」
結局、扉の蝶番をへし折りながら、入室を終えた黒羊毛騎士団団長、ラングレー・オルセン伯爵は、用意された椅子を部屋の脇へと移動させ、地べたに胡坐を掻いて座り込む。彼が普通サイズの椅子に腰掛けようものなら、たちどころに椅子の方が天寿を全うしてしまうので、必要な措置なのだ。
「フハハハッ……んぅ? お前の方は、少しやつれたか? ちゃんと飯を食っとるんか?」
「はぁ……年を重ねれば食欲も失せていくんだよ。なんでもアンタの尺度で考えるのは、悪い癖だぜ?」
「だが、食わんと筋肉が増えんだろう? 食えっ、もっと食えっ。なんなら久しぶりに一緒に食うか? おぉぉいっ!! んんぁっ!? おう、そこのお前でもいいっ、なんか食えるもんを持ってこいっ」
「いや……ここをなんだと思ってんだ」
マテウスが、目が合ったというのに避けた理由はラングレーのこういった性格故だ。どうにもマイペースで事を進めようとする為に、ペースを乱されてしまうのである。全てが面倒くさくなって、彼は両耳に手を当てて耳を塞いでしまった。
今も目の前で、飲食物の持ち込みは禁止であるとの説明を、受けるラングレー。そしてそんな彼の後ろから、もう1人マテウスの前に男が姿を現す。今度は普通サイズの一般男性だ。
顔に対して妙に長く尖った耳と、広く張り出した額が特徴の、中年と青年の境に立たされたような男が、ラングレーに圧迫された空間から少し離れた場所で、静かに椅子へ腰掛けるのをみて、嫌々ながらも話を進めようとマテウスは、両耳に当てていた手を外す。
「ラングレー卿。食事の誘いだけなら、また次の機会にしてくれないか? 他になにか用があるのなら、聞こう」
「ふんぬぅっ……融通の効かん男の所為で話の腰を折られたわっ。つまらんっ」
監視員は彼の職務を全うしようとしただけなのだが……それを言及してまた話が反れても面倒なので、本題の先を促すマテウス。
「用というのはな、例の決闘の事よ。聞いているのであろう?」
「レイナルド社の騎士鎧と俺との決闘とは聞いたが、詳しくは……そもそも一体、どうすればそんな話になるんだ?」
「んぁ? そんなものが必要か? 己の誇りと名誉を守る決闘と、その相手が決まってんのなら、後は叩き潰せばえぇじゃないか」
「羨ましいほどの馬鹿だな。是非、見習いたいね」
「なんだってぇ?」
「羨ましいな。是非、見習いたいね、と言った」
「ほう……少し顔を合わせない間に、騎士というものを分かって来たようだな。フハハハッ」
ラングレーが豪快な高笑いをしている間、マテウスは重い溜め息を落としながら瞳を閉じた。決闘裁判が国に禁止されているというのに、決闘という文化がなかなか廃れていかないのは、こういう騎士が絶えないからなのだろうという、諦観に浸っていたのである。
彼等騎士達は、決闘を対話やスポーツの延長程度にしか考えていないのだ。だから幾度となく決闘を交えた相手にさえ、こうして気軽に顔を合わせようとするし、まるで旧友のように話しかけてくる。その決闘で例え生涯を通して身体に残るような傷を負ったとしても、永遠の眠りに着く事になろうとも、それは誇りと名誉に変換されるからだ。
仕える主の違いによって、戦場で相対した過去もあったが、それについて口出しするつもりはマテウスにもなかった。お互いの主に忠誠を誓う者として、命に背くわけにはいかない事情があるのだから、戦場以外にまでその遺恨を持ち込んで争っては、主の剣としての分別を越えているという思想からである。
他の騎士達もおおよそそれに似た思想の持ち主なのだが、こと決闘だけに関しては、騎士個人の名誉と誇りの問題である事が多く、己の名誉や誇りに興味がなく、主の剣としての役割に重きを置くマテウスとは、大きな思想の隔たりがある部分なのだ。
この隔たりこそが、己がいつまで経とうとも騎士に憧れるだけの何者かでしかない事の証のようで、マテウスの内に暗澹たる影となっていた。
「騎士といえば、例の黒騎士とやりあったぞ」
「例の黒騎士?」
まるで世間話の続きのようにラングレーが話始めるものだから、マテウスは齎された情報の意味を把握できずに、呆けたような鸚鵡返しをしてしまう。貴族階級の間では既に噂となっていた情報も、マテウスにとっては初耳だったのだ。
「……騎士鎧<パロミデス>っ。まさかドミニクとやりあったのか? いつ?」
マテウスにとってドミニクの出現は、ハンク・パーソンズの名を聞いた時から予想の範疇であった。ただ、彼女が姿を現すのなら自分の前だと思っていたし、もう少し敵の目的が見えて来た段階での事だろうと踏んでいたので、少なからず意表を突かれた。
そして意表を突かれてしまった為に、矢継ぎ早に質問を重ねてしまい、自身が動揺している事に気づかされて、口元を片手で抑えつける事で、落ち着きを取り戻そうとする。
「若そうな女っちゅうのはすぐ分かったが……ほぉん。ドミニクっていうのか、あの女は。昨日の夜にな。場所は、ここからちぃーとばっかし離れたところにある繁華街よ」
ラングレーはそう前置きして、ドミニクとの事の顛末を語り始める。