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姫騎士物語  作者: くるー
第六章 汚れてしまった慕情に
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汚濁塗れの理想郷その4

 ―――数10分後。バルアーノ領、ヴェネット、下級市民街、緊急連絡通路


「なんだって俺がこんな目に……」


 歩く度にベチャベチャと不快な音を立てる足下に視線を落としながらラウロが独りちる。溜め息を落とす為に空気を吸い込もうとして、ヘドロ臭さと職人達が散布したという消毒薬とが合わさった臭いに気付き、軽くむせて咳き込む。


 光源が先行して前を歩くソーンが手にした理力式のカンテラしかない為、背後を振り返ると暗闇が迫って来るかのような圧迫感があり、はるか遠くになってしまった入り口から注ぐ僅かな陽光が、取り返しのつかない場所まで来てしまった事を改めて認識させる。


「そう愚痴るな。私はもう1度貴殿と相見あいまみえて嬉しいぞ、ラウロ殿」


 そんなジットリとした雰囲気の場所でありながら、ラウロの前を歩くエステルは遠足を楽しむ子供のような笑顔を浮かべる。だが、再び前へ向き直った後の横顔は、真剣な面持ちに変わっていた。


「それに、ソーン殿の同僚の事を思えば今は一刻の猶予も許されないし、異形アウターを前にした後の事を考えるならば、味方が多いのはとても心強い」


「いやまぁ、マテウスさんにも頼まれちまったからなぁ。でも、俺はどうせならレスリーちゃんと……」


「静かにっ……そろそろ近いぜ」


 2人の会話をさえぎったのはソーンだった。小走りに先行していた彼が足を止めて、振り返りながら声を潜めてそう伝えると、それに少し遅れて2人も足を止める。


 ソーンが足を止めたその先の曲がり角からは、彼が手にするカンテラとは別の光が射しこんでいた。そこには、理力式のスタンドライトが存在しており、彼とその同僚はこのスタンドライトを事前に移動させておこうとしていた所を、異形に襲われたらしい。


「この先なんだが……俺はここにいていいか?」


 震えた声音と、カタカタと音を立てながら僅かに震え続けるランタンの光。薄暗い為に確認出来る者はいなかったが、今のソーンはさぞや酷い表情を浮かべているに違いない。


「では、私が先行しよう。ラウロ殿、貴殿に背中は任せたぞ」


 エステルは背中に背負っていた殲滅の蒼盾(グラナシルト)を右腕に携えると、ラウロの返答を待つ間もなく先行する。それに対してラウロはえぇ……っと苦い顔をするが、そうだとしてもすぐフォローに回ろうと身体が動く辺り、そういう者達の扱いに慣れている様子が伺えた。


「ソーン。そこだって安全って訳じゃないんだからな。なんかあったら、すぐに俺達を呼べよ?」


「……あぁ」


 ラウロが振り返って忠告を済ませている間に、先行していたエステルは曲がり角の先へと姿を消してしまっていたので、彼は慌てて後を追う。常人ならば、周囲への警戒に時間を割く場面なのだろうが、エステルにそういう感覚を求めるのは間違っていたようだ。


 曲がり角の先へと飛び出したラウロが見た光景に、表情を歪ませる。普段は馬車1台が通り抜ける事も出来るように、照明まで備え付けられた立派な地下通路なのだが、今はその見る影もなくなっているからだ。


 無造作に倒れたスタンドライトに照らされた、床や壁、そして天井に至るまで、足の踏み場もない程のトラッシュワームに埋め尽くされているのである。基本的にトラッシュワームは水分がある場所でないと干からびて死んでしまうのだが、浸水が終わった直後のこの場所においては水分に事欠かない為、大半のトラッシュワームが生命を維持していた。


「ひっでぇ眺め……」


 口元を抑えながら、周囲の様子をつぶさに観察していくラウロ。歩く度にトラッシュワームを踏みつけるので、ヌメッと靴底に纏わりつくような不愉快な感覚が離れないので、自然と爪先立ち気味になってしまう。


「今更なにをいう。緊急連絡通路と地下排水路は、どこもこんなものではないか。ついでに少し大きめのサイズのものは、しっかり潰しておいてくれ」


 そう零す彼女は通路のど真ん中……トラッシュワームがユッケのように積み重なったような場所までも、音が立つほどに堂々とした歩調で踏み荒らしながらスタンドライトへと近づいていった。そうしてトラッシュワーム塗れになっていたスタンドライトを立たせると、埃を払うような無造作な仕草で、トラッシュワームを叩き落とす。


「そんな事よりもだ……異形とやらが見当たらないようだが、まさかソーン殿の同僚を連れ去ってそのまま何処かへ逃げてしまったのか?」


「そうかもなぁ。ここに戻ってくるまでに、なんだかんだ30分以上は掛かってるから……まぁ……」


 ラウロはそれより先の言葉を口にすることはなかったが、エステルにも彼がなにを言わんとしたかぐらいは伝わっていた。そして恐らく、最初から自身以外の者達が半ばソーンの同僚の命を諦めているという事も感じていた。


「戻ろうぜ、エステルさん。後はクレシオン教の下級仕官達がなんとかしてくれるだろ?」


「いや、まだだ。この周辺は午後から復興作業が始まる。この一帯だけは、私達で周辺の安全を確認して……」


「こんな事があって、復興作業なんか続けれるわけないっしょ。中止だよ、中止っ」


「……っ」


 エステルがなんとか捻り出した探索続行の理由付けも、ラウロに一瞬でくつがえされてしまう。自身の頭の悪さを呪いながら、なんとか次なる理由付けを考えていたのだが、なんの予兆もなく鳴り響いた、カーンと甲高い金属音が彼女の思考を遮る。


「なんっ!? の……ソーン?」


 エステルと同じく、音に対して必要以上の反応で振り返ったラウロが、背後の曲がり角の先からカラカラと転がってくる、持ち手がいなくなって消灯した理力式のカンテラに視線を落とす。彼は怪訝な表情のまま、カンテラに近づいてそれを拾い上げた。


「一体なんの冗……?」


 一体なんの冗談か……曲がり角の先の光景を見上げたラウロは、拾い上げたカンテラを再び取りこぼす事になる。まず彼が目にが止めたのは、トラッシュワームをやや黒くしたような、ヌラヌラと光沢を帯びた表皮であった。


 天井にベッタリと張り付いた、一般男性はあろうかというトラッシュワームの色合いを黒くしてそのまま大きくしたような本体から、ろくろ首のように遥か地上にまで伸ばして、ソーンの首から上を丸呑みにしているのだ。それを全長と呼ぶのなら、それこそ8mには及ぼうかという巨体である。


 首から上を丸呑みにされたソーンは声すらあげる事もままならず、必死に両手で掴みかかり、両足をバタつかせて抵抗を示すのだが、異形の口先が振り子のように左右へと揺れるだけで、着々と上へ上へと引き上げられていく。その様子を見止める事で、ようやくラウロの思考が再起した。


「ソーンッ!!」


 喉が張り裂けんばかりの咆哮。同時にソーンを助けようと動き出した彼の頭上を抜けて、人影が異形の長く伸びた首へと飛び掛かった。


殲滅の蒼盾(グラナシルト)理力解放インゲージっ!」


 眩い光を放つと同時に、空気を震わせる炸裂音が地下通路全体に響き渡る。異形の表皮が血肉と共に消し飛んで、辺りに飛散した。先程までの静寂とは打って変わったド派手な開戦の火蓋に緊張感を取り戻したラウロは、ランタンを拾い直しながら、もう1度異形を照らし直す。

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