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姫騎士物語  作者: くるー
第六章 汚れてしまった慕情に
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汚濁塗れの理想郷その2

 一緒に作業をしていた職人達が集まって食事を楽しんでいる場所を、配給の食料を片手に通り抜けながら、腰を落ち着ける場所を探していくエステル。誘われる声に従って集まりの中心に座り込んでも良かったのが、今はそういう気分ではなかったので断りを入れて、日陰になった場所を選んで座る事にした。


 腰を下ろした際に背もたれに使おうとした壁からよどんだ香りが漂っているのに気づいて、背後を振り返る。生活の気配が残る木造家屋はしかし、長年マトモな整備をされずにいたのだろう。湿気の止まりやすい位置にカビが生えていたし、あちこちにささくれが出来てしまっている。


 その上、今回の水害の直撃で、エステルの腰付近の高さの位置まで土砂の混じった水に浸かってしまったのが、壁の一面に真っ直ぐ伸びた痕跡と、水に流されて朽ちて広がった穴の数々から伝わってくる。


 しばらくの間、損傷した壁に手を触れさせながらそれ等をつぶさに眺めていたエステルだったが、やがて自分なりの区切りをつけて、比較的広めのひさしの下を選んで腰掛けなおす。今度は、背が触れないような場所を選んだうえでである。


 土気色をした風がエステルの目の前を流れていく。まるで砂漠を彷彿とさせるその光景の正体は、打ち上げられた土砂が乾燥して砂となり、風によって舞い上がっているからだ。地下排水路の淀んだ空気に比べれば幾分かマシなのだろうが、さしものエステルも、あの風に巻き込まれながら食事をするのは遠慮したいなと感じた。


 ライ麦パンとスープという組み合わせに、ヴェネットへと至るまでの旅路を思い出して、エステルは苦笑を浮かべた。ただ、朝からずっと働き詰めで身体を動かし続けていた今の彼女にとっては、なんであれ御馳走に変わりはない。


 スープに浮かぶ、土砂と共に打ち上げられた魚を利用した熱々の肉団子を、ホフホフと口の中で解体しながら食事を楽しんでいると、先程まで一緒に作業していた男達が、近寄って来た。


「なんつー格好してんだ、おめぇ」「作業終わったんだから、そっちの綺麗なのに着替えろよ」


 頭ごなしの乱暴な言い方だが、エステルはそれに気にした風もなく、自らの衣服に視線を落とす。赤鳳騎士団の制服の下に着用する黒いスパッツとブラ。その上に、手渡されたボロボロの作業服を自分サイズに適当に採寸(といっても、適当に丈を切断しただけ)したモノを纏っている彼女の姿は、まるで孤児のようで酷いものだった。


 因みに、彼が口にしたそっちとは、エステルが畳んで重ねて置いている赤鳳騎士団の制服の事だ。異端者隔離居住区ゲットーで着るには周りから浮いてしまうが、彼の言葉の通り、今の姿よりは随分マシであろう。


「どうせ……ほふっ、午後も、……はふっ、作業するのであろう? ならば別に、このままで……んぐっ! 良いではないか」


「女を捨ててんなぁ、お前」「それに誰だったかに貴族だって聞いたけどよ……本当に貴族なのか?」


 地べたに座り込み、ベルモスク人に両脇を囲まれながら、下級市民向けの配給を美味しそうに頬張る。そんなエウレシア人……そのうえ貴族とくれば、存在自体を疑いたくなるのも無理はない。


「疑わずともれっきとした貴族よ。武門のほまれ、誇り高きアマーリア侯爵家を知らんのか?」


「知らねぇな?」「知らんよな?」


「むぅぅ~~、知らんのか……確かに最近は……その、なぁ」


 子供のように口を尖らして不満を露にするエステルであったが、先代である父ゴードン・アマーリアが亡くなって以降、アマーリア侯爵家は落日の一途を辿り、歯止めが効かなくなっている状態である事を思い浮かべる。


 当代頭首、彼女の兄である次男カミル・アマーリアが建て直そうとしてはいるが、バンロイド領内での事情や家庭内の問題やらが重なって、今では没落の日も近いという風の噂をよく耳にするのも事実であった。


「口惜しい事ではあるが……未熟な私に出来るのは、偉大な先人達より受け継がれてきた家名に恥じぬよう、生きていく事ぐらいであるからな」


「それで、俺達に混じってドブさらいか?」「その恰好を御先祖様が見た日にゃあ、浮かばれねぇだろ」


 2人して顔を見合わせると、腹を抱えながら大きな笑い声をあげる男達を、指先を舐めてパンの一欠片ひとかけらまでをも堪能したエステルが、2人の顔をきょとんと見上げる。


「なにを笑う? 私はこの作業を手伝える事に、大変誇らしいのだが……貴方達は違うのか?」


 はじめ男達は、エステルが皮肉を零しているのかと勘繰かんぐったが、彼女が余りにも純粋な眼差しを向けて来るので、気まずくなって互いに顔を見合わせる。


「んなわけねぇだろ。ひとっつも割に合わねぇこんなクソみたいな仕事、代わってもらえるならいつでも代わってやるぜ」


「うーむ……私は難しい事は分からんが、自らの生き方を悪しきざまにいうのは感心しないぞ? ドブさらい、大いに結構ではないか。1つ掻き出すごとに、ここに住まう人々が助かるというのなら、幾らでも掻き出そうとういうものだ」


「そりゃおめぇ、自分で選んでこの仕事に着いた奴の台詞だろ。俺たちゃこんな場所に無理矢理押し込められて、やっすい賃金でこき使われてんだぞ?」


「そうなのか。私はてっきり貴方達が進んでこの生き方を選んでいるものとばかり思っていた」


「「ガハハハッ!」」


 男達を大笑いしながら口々にエステルの異端者隔離居住区に対する無知をあざけるが、エステルはそれ等の1つ1つに大真面目に相槌あいづちを打って聞き入っているだけであった。頭の出来が非常に悪いと自覚している彼女にとって、知らない事があるのは当たり前なので、こういう場面では怒りの1つも覚えないのである。


「つまり、ヴェネット領のエウレシア人は、貴方達にこの仕事を押し付けている……と、そういう事なのか?」


「まぁそういう事だな」「てめぇらで出したゴミや糞や小便。きたねぇもう全部、他人様に押し付けといて、てめぇらは綺麗な面して今日もパーティーだ。やってらんねぇよ」


「ふーむ……しかし、という事はだ。この街がこんなにも美しいのは、貴方達が存在が大きいという事で間違いないのであろう?」


 ようやく滑らかに愚痴が走り出そうという所に、水を差すようなエステルの問い掛けであったが、難問の答え合わせを持ち掛けるような真剣な眼差しを向けてくるので、逆に気圧されてしまう男達。


「……はぁ? そりゃあ……」「まぁ……そうなるのか?」


「やはりそうなのかっ。私も騎士団の入隊試験を受ける為に様々な街を巡って来たのだが、こんなにも美しい街は初めてだっ。特に水がいい。運河として使われているというのに、上から覗けば水底の小魚の数まで造作もなく数える事が出来る水など、初めての体験であったっ」


「「おっ……おうっ」」


 このヴェネットという街に入って疑問に思っていた事の答えを得る事が出来て、それを支える者が眼前に現れたのが余程嬉しかったのか、興奮気味に語り続けるエステル。


「それともう1つ。ここの空気は確かに悪い。しかしだな。今朝、街を走っていた時に感じたのだが、流れていく風がな? いい匂い? 新鮮? というか、とにかく王都アンバルシアよりも空気が心地良いのだ。これもきっと貴方達の尽力じんりょくによるところが多いのだろう? 丁寧な仕事をしているのが、朝の空気から知れるのはとても素晴らしい事だと思うぞっ、私はっ!」


「そりゃあまぁ、素晴らしいかどうかは知らねぇけど……」「……あっち側に汚物の回収も、俺達の仕事ではあるな」


「うむうむ……貴方達の仕事が、このヴェネットの水と空気を守っているのだな。水の都とうたわれるヴェネット。その水と空気を守る騎士達の力になれる機会を得られたのだから、やはり誇らしい……」


「もういいっ、やめろやめろっ」「いちいち大袈裟なんだよ、お前はよぉ」


 余りの気恥ずかしさに耐え切れず、エステルを2人がかりで揉みくしゃにして誤魔化す男達。エステルはそれに対して再び抵抗するのだが、その最中に彼女のお腹の虫が盛大な鳴き声をあげるので、皆の動きが止まってしまう。


「なんだぁ? 食ったばっかなのに、腹減ってんのか? お前」

 

「むぅぅ……朝から動き通しなうえに、普段の昼食の半分にも満たない量だったからな。致し方ないとはいえ、午後からの作業に支障が出なければよいが……」


「全く……ほらよっ、これ忘れてたろ」


 そうしてエステルが手渡されたのは紙に包まれたベーコンサラダを挟んだ、大きめのパンだった。彼女は中身を確認するなり、目を輝かせながら顔を上げる。


「なんだこれは? もしや譲ってくれるのか?」


「食え食え。元々お前んのだよ。災害復旧の手伝いをしてる奴だけは、配給にそれが着いてくるんだって説明あったろ」


「お前忘れてたみたいだから、俺達が持って来てやったんだよ。手間掛けさせやがって……ちゃんと説明聞いとけよなぁ」


「そうなのかっ? ありがたいっ、世話になるな。では、遠慮なく頂こうっ」


 なんの悪態も吐く事なく、笑顔と共に感謝を述べて美味しそうにパンを頬張り始めるエステルを見た男達は、両肩の力と共に、あらゆる事に対する負の感情までも抜け落ちていくようで……つられて浮かんでしまう苦笑と共にする食事も、普段よりも美味しく感じるのであった。

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